君は僕の心臓-壱
土方達の拠点である小樽から、第七師団が向かったという夕張までは茨戸に行くよりも遠い。
今まではナマエと尾形、二人だけの旅であったため徒歩と馬で間に合っていた。しかし、土方達と行動を共にする事になり、自然と人数も増えた。しかもその内老人が二人に怪我人が一人であれば、夕張までの移動に徒歩や乗馬なんて選択肢は最初から出るはずもなかった。長髪を後ろにまとめた男、夏太郎の用意した馬車に乗って、一行は夕張まで最短距離で走っていく事になった。
道中、馬車の中の空気があまり良くなかった事は言わずもがなである。皆お喋りではないし、話す話題もないのだから道中は必要最低限の会話を除いては無言であった。馬車から降りた時は、ナマエが思わず深呼吸をしてしまうくらいには息苦しい空間だった。
さてその必要最低限の話、と言えば夕張についてからの動きについてである。それぞれ噂についての調査をする事は決定事項だったのだが、提案された組分けで揉めた事が一番馬鹿馬鹿しい時間だと彼らは振り返る。ナマエと尾形が二人で一緒になるのは最早お決まりであったのだが、お目付け役として牛山が選ばれたのだ。これには牛山も尾形も不満げであったが、言いだしたのは土方であったから異論は受け付けられなかった。
夕張に到着し、時間や場所の確認をしてから早々に二手に分かれた後。町の細道を牛山、ナマエ、尾形の順で並んで歩いていく。情報収集をするには、まずは人が多い場所に行くのが定石だ。だが人が少ないこの通りを歩いているだけでも、兵士二人と洋装の大男という不思議な組み合わせは良くも悪くも目立つ。
牛山はともかくナマエは脱走兵、尾形は造反者であり、同じ軍人がいる夕張ではあまり目立ちたくはなかった。果たしてこのまま行ってもいいものか、と悩みながら歩いていると、後ろを歩く尾形がトントンとその肩を叩いた。
「何「シー…」
後ろを振り返ろうとしてすぐに尾形が人差し指を口の前に立てながらそう言う物だから、ナマエはすぐに口を噤んだ。続いて出された素早い手の動きを見ると、小さく頷く。その動きは戦争時に使われる手信号だ。言葉を交わさずとも言いたい事が伝わる手法は、こういう時に大変便利である。
牛山が通り過ぎる女性に目を奪われている間、二人は手信号でやり取りした通りにそっと近くの細い路地に姿を消した。
*
「おい尾形。行先にどこか当てでもあるのか?」
炭鉱の町と謳われるだけあって、町の中は炭鉱夫や商人達でわいわいと活気づいている。そんな人達の中を二人は足早に歩いて行く。キョロキョロあたりを見渡しながら歩く尾形を、ナマエは必至になって追いかけた。尾形は足が長いだけあって一歩が大きく、普通に歩いていては追いつけない。少し駆け足になってようやく隣に並ぶ事ができた。
「馬車の中からあいつらがあっちに歩いて行くのが見えた。探し出せばおのずと刺青人皮の元にもたどり着くだろうよ」
「あいつらって言うと第七師団か…」
馬車に乗っている間やけに外を気にしているかと思えばそういう事か。ナマエは素直に感心した。さすが、抜け目がない。
二人は外套の頭巾と軍帽をそれぞれ被り、尾形の言う“あっち”の方向に歩いていく。ただ方向は分かっても、兵士達がどこにいるかという詳細は分からずじまいだ。
「探すより聞いた方が早いだろう。俺達は幸いにも軍服だし」
動くのに都合がいいからと着ていた軍服はこういう時にこそ役立つ。何も知らない人から見れば、脱走兵と一般兵との見分けなんて付きやしない。
「それならお前に任せた」
「最初からそのつもり」
ナマエはなまじ顔がいいだけあって、聞き込みが得意だというのは自覚していた。特に女性達はよく喋ってくれるから聞き込みには大助かりだ。
今回も丁度良く井戸端会議をしている女性達に狙いを定めて、「応援で来たのだが、詳細を聞くのを忘れてしまって」なんて適当な言い訳で兵士達の居場所を聞き出していた。案の定聞いてもいない事までペラペラ喋った彼女たち曰く、兵士の行先はこの先にある剥製屋に数日前からいるらしい。
「剥製屋か…。剥製をわざわざ買いに来た訳でもあるまいし、刺青人皮を見つけたならすぐに退散するはずだ。何か企んでいるのかもしれないな」
「ふむ。ひとまず遠くから様子を伺おう」
件の剥製屋は背後に木が生い茂る、所詮町はずれに立っていた。雑木林がある事は、隠れて偵察するのに大いに役立つ。一度遠回りをして林の中に踏み入り、雑木に隠れながら中の様子を伺った。
たしかに女性達の噂通り、剥製屋の中には軍人の姿が見て取れる。ナマエも尾形も見覚えのある前山一等卒が窓の外をぼんやりと見つめている。時々見える見知らぬ青年は剥製屋の主だろう。続いて一人の軍人が風呂桶を持って外に出て行った。あの顔は間違いなく月島だ。その後少し観察したものの、今は建物内には前山しか確認ができない。
「どうする?」
「剥製屋本人を捕まえる。月島は長風呂だから、しばらく戻ってこないだろ」
「了解。前山は」
「殺す」
「ん」
尾形は剣を木に突き立て、その上に銃身を乗せて照準をあわせる。間違いなく前山はこの後死ぬだろう。尾形がこの距離で外すわけがない。
元ではあるが、生活を共にし、戦争を生き抜いた戦友が殺されると言うのに、ナマエの心は凪いでいた。兵舎から抜け出したあの日から、遅かれ早かれ殺す日が来る事は分かっていた事であった。元仲間と隣にいるこの男と天秤にかけたらどんな事だって軽く思えてしまうのだから仕方がない。どんな人間であれ、自分たちの前に立ちはだかるのならば迷わず引き金を引けるだろう。
「尾形。やっぱりそれ、俺にやらせてくれないか」
「…外すなよ」
「あぁ」
外すな、はきっと同情をするなという意味だろうと捉えてナマエは頷いた。雪山では兵士の足や腕は撃ったが、命を奪うのはこれが初めてだ。それでも躊躇いなく小銃を受け取り、照準をすぐに合わせる事ができるのだから、自分は薄情な奴と分類される人間なのだろう。今更そんな事を考える自分を自嘲気味に笑って、その引き金を迷う事なく強く引いた。
高いとも低いともつかない銃声に紛れて、小さく窓ガラスが割れる音がする。手元から漂う、嗅ぎなれてしまった火薬の匂いに目を細める。この匂いがする時は、いつだって自分を守る時だったが今日からまた違った意味に変わる。ナマエは今日、初めて仲間の命に幕を下ろしたのだ。
前山が倒れたのを見届けた後、二人は山を下りて剥製屋の前にやってきた。腰にぶら下げていた拳銃に弾薬を装填し撃徹を引き起こす。ぐるりと弾倉が回れば準備完了だ。お互い目をあわせひとつ頷いた後、立派な玄関の扉を蹴り飛ばした。
「…これはすごいな」
踏み入れた部屋は見事な剥製が所せましと並べられていた。どこから手にいれたのか大きなシロクマや、壁につりさげられた鹿の頭。釣り下げられたフクロウ達。まるで北海道に生きる動物達が一同に会したような異空間である。こんな時でなければじっくり見て回りたいものだが、あいにくとこの家の主である剥製屋を探さなくてはならない。
一階は尾形に任せ、ナマエはひとまず二階にあがった。二階は寝室らしく、ざっと見て回った限りは人が隠れられるような場所はなさそうだ。しいて言うなら随分と変わった顔立ちの猫がいたが、それくらいだ。そもそもよっぽどの考えなしじゃなければ、逃げ場のない二階になど来るはずがない。
早々に二階の捜索を切り上げ、階段を降りていく。剥製屋はどこに行ったのだろうか。そんな事をぼんやり考えていると、静かな家中に銃声が響き渡った。銃声からして尾形の拳銃だろう。ここにはもう敵はいないはずなのだが。
後一歩で階段を降り終わるという足を止めて、壁越しに一階の様子を見る。真っ直ぐに伸びた廊下の先には、風呂に行ったはずの月島がいた。ある一室の出入り口を塞ぐように壁に寄りかかりながら、その声を張り上げている。やれ反乱分子だの、仲間を売るのだの、耳障りの悪い言葉ばかりだ。
「(尾形はあの部屋の中か)」
部屋の出入り口を塞いでいるのだから、つまりはそういう事だろう。ならば、そこから月島を退けなければならない。しかし、真っ向勝負では月島に軍配があがるだろう事をナマエはよく分かっていた。
「(…手っ取り早く奇襲をするか)」
丁度死角になっている階段にナマエがいる事は幸いにもまだ知られていない。その証拠に、意識は室内の尾形に注がれている。奇襲をするなら今が好機だ。拳銃をチラリとみて、撃てる状態である事を再確認する。
すると、間が悪い事にトントンと軽快な足音を立てながらあの変わった顔立ちの猫が降りてきたではないか。猫は平たい道を歩いている時は足音がしないが、階段を降りる時は人間同様足音がする。ナマエは慌てて猫が来ないように手で追い払う。しかし、月島がその音を聞き逃すはずがなく、「江渡貝かッ!?」とこの家の主を呼んだ。
せっかく背後から忍び寄ろうとしていたのに作戦が台無しだ。仕方なく壁から半身を見せ、一発、手早く弾を装填して二発。小銃よりも軽い引き金を引く。敵を見ずに放たれた弾丸は、照準も何もあったものではなく壁にめり込んだ。月島は銃口の先から一瞬で飛びのくと、近くに置いてあった動物の剥製の影に身を隠した。
「ッ新手か!?」
「口吸いした相手くらい、忘れないで下さいよ」
「!?ミョウジか…!尾形といるという事は、やはりお前も造反者だったか!」
「今となってはどちらでもいい話です」
階段を降りきり、廊下に立つと先ほどまでいた場所に月島はいない。喋りながら、でも警戒は怠らずに月島が退路を塞いでいた部屋まで慎重に歩く。そしてその出入り口を守る様に立った。おそらく中には尾形がいるのだろう。銃は剥製に向けたまま、チラリと部屋の中に視線を向けた。
「尾形!大丈夫…か?」
ナマエは目に映ったその景色に声を失った。
薄暗いその部屋には、死んでいるのか生きているかも分からない人達が食卓を囲っていたのだ。部屋の奥には頭部だけが吊り下げられている。それはほんの一瞬でも、目をくぎ付けにするのには充分だった。
「ナマエ!前だ!」
「え」
その隙を見逃さず剥製の影から飛び出した月島は、彼の銃を持つ手首を狙って蹴り上げた。拳銃は弾丸を放つ事なく宙を舞う。続けて尾形から奪い取った拳銃の銃床でナマエのこめかみを横殴りにした。
耳元で鈍く重たい音が響く。
「い”っ」
こめかみは人体の急所のひとつである。殴打されると、ただ頭を殴られるよりも激しい痛みが襲う。
気づいた時にはもう、頭に強烈な痛みが走っていた。殴られたからだろう、目を開いているというのに、視界がチカチカする。目の前の敵よりも、ぐるぐると回る気持ちの悪さと頭の痛さにナマエは頭を押さえて蹲った。そんな彼を見下ろす月島の顔には怒りのような、険しい皺が刻まれている。
「油断したな」
「それはこっちの台詞だ」
ドンッ
すかさず放たれた尾形の弾が月島の腕をかすめた。暗い部屋の中からでも明るい出入り口の様子ははっきり見える。人型剥製の間から伸ばした長い銃身で、入口に立つ人影に向かってまた一発、弾を放つ。人影は見慣れた影よりもどこかがっしりした体型で、尾形は迷う事なくそれが月島だと判断していた。
威嚇射撃に更にもう一発、重い音を響かせた後、尾形は机を飛び越えて部屋の外に出る。暗い部屋に慣れた目に、外の光は少し眩しい。眉間に皺を寄せて辺りを伺うと、丁度月島が外套をひらりと翻して外へ転がり出た所だった。
「二対一じゃ分が悪い…!」
「おいナマエ大丈夫か!?」
「……あぁ…大丈夫、頭が痛いだけだ」
月島が江渡貝を追って出て行ったのを確認した尾形は、未だに蹲るナマエに駆け寄った。頭を押さえている手をそっと剥がして殴打されたこめかみを見る。髪をかきわけてその地肌を見ると、青く変色していた。血が出ている訳ではないが、彼に似合わないその怪我は見ているだけでひどく痛々しいものだ。
「すぐ直る。それより、早く月島を追え」
俺は後から行く。そう言うナマエの指さす先は月島が出て行った方だ。月島が出ていったのだから、ここに剥製屋はいないと言う事だ。早く追わねば逃げられてしまうかもしれない。
それでも尾形が彼を置いていっていいものか考えあぐねていると、また誰かがやってきたらしい。小さな足音がひとつ、ふたつ聞こえる。どことなく落ち着きのないその足音は男のものだろう。尾形は廊下で蹲るナマエを一度食堂の中へ引き込んで、壁越しに外を伺い見た。
「誰か来たな」
「…気を付けろよ」
月島と入れ替わるようにやってきたのは、不死身の杉元と脱獄王、白石だった。彼らは倒れた前山を見つけ、あちこちを捜索し始める。そして食堂に入ってきた白石に偽刺青人皮の端切れを掴ませ、江渡貝の追跡に向かわせる事に成功した。白石が土方と通じている事を、尾形はあらかじめ聞いていたのだった。
そしてナマエの言う通り、尾形自身も剥製屋を飛び出して江渡貝を追う争いに身を投じるのだった。