君は僕の心臓-肆
「……」
「……」
あの後「遊んでないで早く食べるぞ!」とアシリパに急かされた大人四人は、適当に空いていた食卓の席について、ようやく全員が食堂に集まった。
大人数が座れる長い机の中央には、家永が作った料理の入った大きな鍋が置かれている。そこから順番に具と汁をたっぷり椀によそっていく。
ほかほかと立ち上る暖かな湯気は、すきっ腹だった皆の食欲を刺激するような良い香りだ。配膳を手伝ったナマエもスッとその香りを吸い込んで、ぐぅと小さく腹を鳴らした。
そして椀と箸、白米やお茶を並べてから、ようやくそれぞれがマイペースに椀に箸を入れた。ナマエも手をあわせてから一口二口と綺麗な所作で口に運ぶ。やわらかく煮込まれた野菜や肉は口の中でホロリと崩れ、染み込んだほどよい塩気が身体に染みわたるようだ。腹が減っていたのも相まって、椀一杯などぺろりと平らげてしまう。
「ナマエ」
「…」
「おい」
「家永さんおかわり下さい」
「あら、そんなにお腹空いてたの?」
「無視するな」
「ふん」
隣に座る尾形を無視して、再び満たされた椀の汁をすする。
味はとてもおいしいく不満はないのだが、ナマエは無表情だった。それもそのはず、アシリパに中断されてしまったが、まだナマエと尾形の決着はついていないのだ。食事をしながらも喧嘩をする二人に、黙って聞いていた杉元一味と土方一味もどことなく空気が重い。
そこで話を切り替えようとした白石が鍋の材料を聞いていたが、このなんこ鍋のなんことは馬肉の事である。今度は馬肉が食べられないキロランケが吹き出し、場は沈黙に包まれた。
そこで沈黙を破ったのは杉元である。行儀など気にせず肉を噛みながら、反対側に座る土方一味を見た。
「あんたらよくその顔ぶれで手が組めてるな。特にそこの鶴見中尉の手下だった男。一度裏切った奴はまた裏切るぜ」
杉元の矛先は尾形に向いていた。
急に名指しされた尾形は一度箸を止め、隣のナマエを見た。相変わらず彼はツンと素知らぬ顔をして、視線もよこさない。それでも杉元に対してはフンと鼻で笑って見せた。
「今のは傷ついた」
そういう割にはその顔には薄ら笑いが浮かんでいる。案の定軍にいた時代にすら”蝙蝠野郎”と呼ばれていた尾形にとっては、そんな言葉は気に留める事でもない。むしろ生ぬるい言葉だ。
そんな事の成り行きを見守っていたナマエも、全く傷ついたとは思ってもいないだろうとモグモグ口を動かしながら思っていた。そして、こちらはきちんと口の中が空になって、ようやく口をはさんだ。
「それを言ったら俺もだぞ。杉元」
「そうだ。なんでミョウジはこいつといるんだ?」
杉元から見えるようにひょこりと顔を出せば、杉元は「そういえば」と声をわずかに高くした。出会いがしらに戦った尾形とは違い、呑気に雪山で鍋を囲んでいたナマエに対し杉元は比較的友好的であった。ナマエも、杉元にはいつも通り、あっさりした調子で返す。
「山ん中で探してる奴がいるって言っただろう?それがコイツだ。今は絶縁中だがな」
「おい」
「喧嘩ならよそでやれよ」
はぁ、と呆れ気味な白石の制止には誰も反応を示さなかった。やはり白石である。
一時不穏な空気に包まれた食卓であったが、話は淡々と進んでいく。
家永が贋作を見抜けそうな人間として、熊岸長庵の名をあげたのである。その男は、月形の樺戸監獄に収監されており、白石も面識がある男であった。他に心当たりがあるかと言われればない一行の目的はひとまず月形の樺戸監獄を目指す事になったのだ。
*
食事の片づけもそこそこに、杉元一味と牛山、永倉は火災が落ち着いたという炭鉱へ。剥製屋には土方、家永、尾形、ナマエの四人がいた。夕張を出る前に、それぞれ確認しなくてはならない事があるからだ。
もしも月島が生きているのならば贋作を見分ける手がかりを掴まなくてはならない。その手がかりは、贋作が作られたこの剥製屋にこそあるはずだ。土方はそう道筋をたて、家の中をあちこち漁っていた。
尾形とナマエもまた、微妙な距離感を保って同じ部屋の捜索をしていた。喧嘩をしていても、同じ空間にいるのは最早無意識である。長年染み込んだ隣という立ち位置は早々に変わる事はないのだ。
二人は特に何を話すわけでもなく、無言のまま箪笥と壁の隙間や、引き出しの中を見て回る。しかし見つかるのは鳥の羽や紙くずやら、手がかりにはならない物ばかりだ。こんな物がまさか手がかりなわけあるまい。
尾形は部屋の中を見つつ、引き出しの中を漁るナマエをチラリと見た。
「おい、ナマエ」
「…」
「ナマエ。悪かった」
ガサガサと引き出しを漁るその後ろ姿に、ぽつりと謝った。
その声はいつもの調子と大して変わらないが、尾形が素直に謝るなんて事は長く共にいたナマエであっても珍しい部類に入る出来事である。(ふざけて謝る事はいくらでもあったのだが)そんな尾形が素直にその一言を言うのだからナマエは一瞬目を見張ったが、だからと言ってすぐに「うん」と頷くのも釈然としない。引き出しを漁るのをやめて、尾形の方へと振り向いた。
「俺だってな、好きでこんな顔してる訳じゃない。あぁいう風に言われるのは心外だ」
「悪かった」
「本当に反省してるのか?」
そこは”はい”だのなんだの言う所だが、あの尾形だ。ただこくりとその場で頷くだけで、余計な弁明はしないらしい。そういう所は昔からなんら変わりがなく、ナマエはフゥと身体に入っていた力を抜いた。
ここでつらつらと謝罪の言葉を述べられたら、それこそ謝罪なんて軽く感じてしまうだろう。
尾形なりの誠意に、ナマエは「うーん、」と少し悩んだ後、ようやく小さく頷いて見せた。
「じゃあ罰だ」
罰。
その一言に尾形がほんの少し目を見開いた気がしたが、今度は尾形の頬をナマエがぎゅーっと左右に引っ張った。尾形の頬は少し硬くて、引っ張った所でそんなに伸びる事はなかった。指をパッと離せばすぐ元に戻ってしまう。
だがやはり効果はあったらしい。抓られた頬をゆっくりと撫でている。少し前の自分を見ているようで、ナマエは少し笑いを零した。少しは抓られる気分も分かった事だろう。
「これで許してやる。さぁ調査に戻ろう」
頬をつねって満足したナマエは軽い足取りで広間に戻っていく。そのあっさりとした姿を、少し意外に思いながらも「直ったのならそれでいい」と尾形もまたその後ろについて歩く。喧嘩をしつつもしっかりと部屋の調査は終えていたのだ。
コツコツと足音を響かせながら、二人が向かう先の工房のような部屋には土方がいた。贋作を作った現場はおそらく、いや四十八区この工房であり、何か手がかりがあるならばそこが一番怪しいのだ。
「何か見つかりましたか?」
「いや。それらしいものは何もないな。お前達は…、喧嘩はもういいのか?」
ひょこりと工房に顔を出すと、やはりこちらの収穫もいまいちらしい。机の上や片付けられた道具を見ながら、フッと口角をあげた土方にナマエは少し恥ずかしくなって「えぇまぁ」とお茶を濁して工房の捜索に加わった。彼にとったら自分達の喧嘩なんて、くだらない、取るに足らない問題なのだろう。
「きっとこの中に手がかりが残されているはずだ」
土方の声に、部屋の中をぐるりと見渡す。
部屋のあちこちには作りかけの剥製や完成品が置かれていて、この剥製にも何か手がかりがあるのだろうかとナマエはその中のフクロウをじっと見つめた。まんまるのガラス玉の瞳が美しい。羽もふわふわしていて、まるで生きているようだ。北海道に住んでいても、フクロウなど間近で見る機会は早々なく、その物珍しさには惹かれるものがある。
早くも本来の目的を見失いつつある時、
ガシャンッ
「なんだ?」
突如静けさを打ち破る様に何かが割れるような音が聞こえた。その音に皆が一様に同じ方向を見る。その先は食堂だ。一番出口に近かった尾形が部屋を出て扉を開くと、その場には不似合いな熱い空気がぶわりと頬を撫でた。
「チッやられた」
ナマエも後ろからそっと覗き込むと、部屋の中では炎が黒煙を吐き広がっていた。先ほど使った長机と椅子、そして偽の人皮に使われた剥製達を火種にしてメラメラと赤い炎が揺らめいている。それは到底ここにいる人間だけで消せるような大きさではなく、あっという間に部屋中に燃え上がっていく。
熱い空気に目を細めながら、部屋を見渡せば窓ガラスが盛大に割れていた。火炎瓶でも投げられただろう事は誰の目にも明らかだった。
「今外にチラッと軍服が見えた。数名に囲まれているようだ」
「贋作制作に繋がる証拠を隠滅しに来たか」
「ついでに俺達の始末か。わざわざ人数少ない時に狙ってきやがって」
尾形の言う事が事実ならばおそらく今この家から一歩でも出れば一瞬で蜂の巣だろう。ならば選択肢はひとつしかない。
三者三様、自分の銃を手元に手繰り寄せ、素早く弾を装填する。三人の間で『敵を玄関に追い込む』、たったそれだけの作戦を決め、尾形は二階に、土方は玄関の前に立ちはだかった。「ナマエ!」と二階の尾形が呼んだ気がしたが、ナマエは聞こえないフリをして再び工房に身をひそめ、息を殺しながらそっと外の様子を見た。
そして二階から響く銃声で、この戦いの幕が落とされた。
あちらこちらから鳴る銃声に紛れてナマエも銃床で素早く窓を割った。割れた窓越しに外の人影に向けて指を駆けた引き金を引き、負けじと一発二発と盛大な銃声を響かせる。
二階で狙撃する尾形は、外から見れば恰好の的である。意図しない形で囮になる尾形に釣られて、皆が一様に銃を構えている隙を狙えばナマエは簡単に討ち取れるのだ。無防備なその姿の急所に的確に打ち込み、こちらに気付いた後は玄関の方へ追い込むように威嚇射撃をする。
「あそこだ!一階の窓際にいるぞ!」
「おっと」
不意打ちが効くのは初めだけである。銃声と弾丸の放たれた方向で狙撃手がいる方向は簡単に割り出されてしまうのだ。
すぐに襲ってくるであろう弾丸を回避するために頭を引っ込めると、何発かが真上を横切って窓ガラスを突き破る。おかげで髪には粉々になったガラスが降り注いだ。
その間に玄関でもドンッドンッと身体に響くような重い銃声が響いている。
「やってるなぁ」
この銃声は土方が持っていた小銃のものだろう。景気よく打って入るが、この調子がずっと続くわけではない。打ち続けている以上弾切れを起こし、補填しなければならないからだ。
「(これはここで狙撃をするより玄関に手助けに行った方がいいかもしれない)」
いくら手練れとはいえ玄関を一人で守るのには限界がある。流れ弾に気を付けながら玄関に顔を出すと、やはり土方は弾を装填している途中だった。
そして案の定ナマエの予想通り、装填を待っていた第七師団が扉を開け放ってやってきた。一人は不思議な装備をしているが、見覚えのある顔立ち。二階堂だ。扉を破ってきた勢いそのままに、家の中へと散らばっていく。
「いけいけッ2階だッ2階の狙撃兵を倒せッ」
「!!まずい」
二階堂の言う狙撃兵は間違いなく尾形の事だ。ナマエの顔は一瞬で厳しい物を見る目に変わる。
今、外に向けて射撃を続けているその背中を狙われたらたまったものではない。もしも、もしも背後に忍び寄る敵に気づけなかったら、考えるだけでゾッとする。
階段に向けて一直線に走る若い兵士の背に向けて、ナマエは素早く銃をかまえた。
ドンッ
「っ!?」
「お前の相手は俺だッ!!」
しかし、ナマエが引き金を引くよりも早く、新たに玄関口に現れた兵士の弾丸が彼の腕を抉った。
「くそっ」
緊張高まる戦場の中で、反射というのは恐ろしく早い。突然の敵の出現に、ナマエは考える間もなく瞬時に近くの壁の影へと飛び込んだ。
「(やるしかないな)」
撃たれた腕はジクジク痛むが、今は生きるか死ぬかの問題だ。気にしてなどいられない。
ひとまず冷静にならねば。フゥと息を吐き出すと、先ほどの奴が打っているのだろう、壁の真横を弾丸が飛んでいく。その間にナマエは手にしていた小銃を手放すと、手早く腰にぶら下げた拳銃に持ち替えた。弾がしっかり入っているのを確認して、装填する。
ナマエは自分の苦手な事をしっかり自覚していた。
あの兵士と白兵戦をすれば、自分に不利だという事を。
「(それならば、至近距離に持ち込まれる前に決着だ)」
この時代の拳銃は、どれも弾の補填に数秒は使うのだ。それは小銃も拳銃も変わらない。その一瞬は攻撃は一方的になる。再び床に弾丸が突き刺さったその一瞬の間を狙って、ナマエは影から飛び出した。
ドンッ
小銃より軽い拳銃でも、それなりの衝撃が両腕に走る。痛みに歯を食いしばりながら、弾倉を回して視界に映りこんだ頭めがけて引き金を引いた。
「うっ」
至近距離で撃てば、ナマエが外す事はない。一発。敵が照準を定めるよりも早く引き金を引いて一発。眉間と心臓を的確に打ち抜く。それは西部劇さながらの早打ちで、小銃よりも軽く、そして早く打てる拳銃の強みを最大に利用した戦いであった。
しかし、人は撃たれてもなお少しの間生きる事があるという。この男も頭から血を流しながらも、ふらふらと数秒耐えて見せた。わずかに動く手に、緊張が走る。そしてそれは、足に力が入らなくなったのか数歩歩いた所でバタリと倒れた。顔から真っ直ぐ倒れ込んだその男は、もうピクリとも動かない。ただただ頭から血を流している事が、死んでいると実感させてくれる。
そこでようやくナマエの額に薄っすら浮かんだ汗がたらりと垂れる。
だがまだ勝負がついた訳ではない。流れる汗を袖で拭き、拳銃に弾を込めていると再びあたりが騒がしくなってきた。
「チッもう来たのか」
二階の尾形が気になる所だが、一階で仕留めて敵を二階にあがらせない事が先決だ。そう判断したナマエは拳銃を握りしめて、姿が見えない敵に向けていつでも撃てるように銃口を向ける。
そしてその足音はやってきた。
「あっミョウジ!?」
「杉元!?」
その声が耳に入った一瞬で引き金から指を離し、向けた銃口をおろす。目の前に滑り込むように現れたその姿を、危うく撃ってしまう所だった。
「尾形と土方見なかったか!?」
「尾形は二階だ。土方さんは一階」
「分かった」
杉元はそれにひとつ頷いて、颯爽と二階にあがっていった。杉元が行ったのならば、二階は問題ないだろう。
ナマエはひとまず敵が二階にあがらないよう広間に入ってきた敵を壁に隠れながら狙撃した。拳銃の弾が半分を切ってからは、再び小銃に切り替え撃っていく。
すると二階から早くも杉元が戻ってきた。今度は土方を探しに行くらしく、小銃を構えながら素早く視界から消えて行ってしまった。
「忙しい奴だなッ」
残った敵はナマエ任せらしい。
残りわずかとなった敵兵達の頭をぶち抜きながら、彼にはまだ文句を言う余裕があった。最期の一人を打ち抜く頃には、もう食堂であがった煙が家中に広がっていた。吸ってしまった煙に咳き込んでいると、二階から足音が聞こえてきた。杉元が降りてきた今、もうその足音の主は一人である。
「逃げるなら今しかない!急げ!!」
「お、尾形!?お前血が、」
「いいから行くぞっ!!」
降りてきた尾形は鼻血を流しながら、驚きのあまり顔が強張るナマエの手を掴んで走り出した。
家の中に転がる第七師団の死体を飛び越えて、杉元達が走っていった方へ向かえば格子が外れた窓があった。それは家の裏側にあたる窓で、遠くには土方と杉元が走っている影が見える。こちらは元々手薄だったのだろう、兵士もいないようだった。
割れた窓ガラスで傷を作らないように、窓枠を踏みつけて黒煙と共に外に転がり出た二人は、周囲に気を配りながら息が上がるほど走ってようやく集団の最後尾に追いついた。
「お前達は先に月形へ向かえ」
「こいつらと?」
家永を乗せた馬の傍に立つ土方に、牛山の困惑する声が聞こえる。後からやってきた尾形にもナマエにもさっぱり話しの流れが分からず、短い呼吸をどうにか押さえつけながら真っ先に思った言葉を口にした。
「「何の話だ?」」