とある隊の一日


地面を揺らすほどの爆音。
舞い上がる土煙。
乾いた大地が、積みあがる敵や仲間たちの血で赤く染まろうとも、そこにいる戦士たちの気持ちはひとつだった。

「ミョウジ、大丈夫か」
「…はい、どうにか」
「無理するなよ」
「戦争なんて物は、無理しないと生き残れないでしょう。それこそ死ぬ気でないと」

生きねば。生きて守らねば。
血で血を洗う、汚れきった戦場においてなお美しく輝く彼を。

「お前ら分かってるな!?必ず敵を討ち取って来い!!突撃ーっ!!」
「「「うおおおおお!!!」」」



「おはよう、尾形」
「くぁ…眠ぃ」
「まだ目が覚めてないのか。シャキッとしろ」

「「「……」」」

日露戦争が終わってすっかり平和…とまではいかないが、落ち着いてきた第七師団において、暗躍する隊があった。戦争を機に結成されたその隊には、今もなお有志が後を絶たない。

その名もミョウジナマエ親衛隊。
いつの間にかそう命名されたこの隊は、日々隊員を増やしながらひっそりと動いている。彼に知られないように、毎日平和に過ごせるよう見守るのが主な使命である。特に決まった規則があるわけではないが、彼らにとってナマエはおいそれと気軽に話しかけられるような人間ではなく、結果的に見守るという形になっているのだ。

「さっきの見たか?」
「あぁ見た。尾形上等兵が羨ましい」

もちろん隊員たちはナマエと同じく軍所属である。そのためいつでも忙しいが、決して私語が許されていないわけではない。消灯前のわずかな時間や朝食時、そして各所にバラけて掃除をする時はキッチリ手を動かしていれば、少しの私語も多めに見てもらえるのだ。

そしてそこに親衛隊が集まれば話すのはもっぱら彼の事だ。
彼らは担当である物置を掃除しながら、しっかり口も動かしていた。

「俺達にはあんまり笑ってくれないけど、最近は柔らかくなったと思わないか?」
「あぁ、尾形上等兵と一緒にいるようになってから優しくなられた」
「うむ。美しさに磨きがかかった」
「「「ハァ…」」」

それぞれ窓や床を拭きながら、思い思いに彼の事を思い出しては語る。
やれ所作が美しいだの、目があっただの、他愛もない事なのに彼の事となると胸が熱くなるのだ。思わず雑巾を握る手にも力が入り、手も止まってしまうというものだ。

その時、わいわいと盛り上がる物置部屋にひとつの足音が近づいていたのだが彼らは気づかない。

「おい、お前らサボってんじゃねぇ」

そしてその足音は部屋の前で止まると、開けっ放しにしていた扉から顔を出した。

「ハッ、お、尾形上等兵!」
「「お疲れ様です!!」」

尾形と言えばミョウジナマエを語るに決して欠かせない存在である。親衛隊である彼らの間でも、当然知られている有名人だ。

(((そんな男が何故こんな所に)))

その場にいる全員の気持ちがこの時ばかりは一致していた。尾形は彼らと同じ班ではないし、たしか持ち場も離れていたはずだ。疑問に思いながらも掃除していた手を止めて、一度お辞儀をしてみせる。彼はその様子を横目に見ながら髪を後ろに撫でつけ、扉に寄りかかった。

「ほら、手が止まってんぞ」
「は、はい!」
「尾形上等兵は何故こちらに?」
「サボってないかの見回りだ」
「な、なるほど」

たしかに自分たちも手が止まっていたばかりだ。見回りと言われれば納得がいく。他の班ももしかしたらサボっていたのかもしれない。上等兵が見回っているという事はつまり、そういう事であろう。

上等兵がいる手前、ぺちゃくちゃと喋りながら掃除をする訳にも行かない。喋っていた分を取り戻すように、雑巾を握る手に力をこめて腕を動かす。元々掃除の進みは早く、室内は綺麗であったが、尾形のじとりとした黒い瞳の圧に圧されて床や机を鏡のようにせっせと磨く。

その間部屋は静まり返っていたのだが、様子を見ているだけで飽きたのだろう。一番最初に尾形がぽつりと口を開いた。

「ところで…お前らさっきナマエの話してたな。親衛隊の奴らか?」
「えっ!?何故それを、」
「知らない奴なんてあいつぐらいだ」

アイツ、というのは本人の事だろう。何せ親衛隊は大勢いるのだ。気づかないはずがないのだが、彼はあまり噂話などに興味がない。というより嫌悪しているので、本当はこうして持て囃されているのを知らなかったりする。
わざわざいう事でもない情報を、尾形はナマエには言わないのだ。

「まぁアイツに気づかれないようにする事だな」
「も、もちろんです!」
「ならいいが…。おっと、噂をすればって奴だな」
「え?」

扉に寄りかかっていた尾形からは、廊下も見る事ができる。そこに誰かを見つけたのだろう、「よぉ」と軽く挨拶をしながら片手をあげた。

「あ、尾形。何してんだこんな所で」
「「「!?」」」

聞き間違いじゃなければ…、いや毎日じっくり耳を澄ませて聞いている声だ。聞き間違えるはずがない。

(((ま、まさか!?)))

コツコツ。コツコツ。
軽やかな足音は、静かな廊下によく響く。何せ皆が皆、お喋り、いや掃除どころではなくなったのだ。その場は再び水を打ったように妙に静まり返っていた。ギギギギと錆びた鉄のように、軋んだ動きで扉を見る。

「なぁにサボってたからちょっと尻を叩いただけだ」
「どれどれ…ってもう綺麗じゃないか。どうせ尾形が油売ってたんだろ」
「俺は至って真面目だ」

そしてその時はやってきた。

部屋の中を伺うように姿を現したナマエは、部屋の中をぐるりと見た。もちろん掃除中の彼ら一人一人とパチパチと目が合った。時間にしてわずか一秒にも満たず、瞬きをする暇もなくすぐに視線を移していく。埃ひとつなく、綺麗に掃除された部屋を見渡した後、彼は隣に立っていた尾形の頭を持っていた用箋挟でパコンと軽く叩いた。

「「「…」」」

目があい、同じ空間にいる。
たったそれだけの事であったが、彼らにとってはまさに青天の霹靂であった。

ずっと遠目から見ていた彼が目の前にいるのだ。緊張が稲妻のように全身に駆け巡る。尋常じゃない緊張が、思考を雁字搦めにしてしまう。

「それで、お前こそ何しに来たんだ?まさか油を売りに来たわけじゃないだろう」
「あぁ。俺の担当場所が思いのほか時間がかかりそうでな。早く終わった所に手伝ってもらおうかと」

尾形を叩いた用箋挟に挟まった紙を確認したナマエは、申し訳なさそうに眉を下げる。誰だって持ち場の掃除が終わったらさっさと解放されたいものである。そこにまた新しい仕事を頼もうというのだから罪悪感があるのだろう。非常に言いにくそうだ。

しかし、それを聞いた尾形はニヤりと笑った。

「ほぉ。…お前ら良かったな。ナマエの持ち場の手伝いだと」
「えっ?!」

ナマエの、と念押しをするように言えば彼らは一瞬驚いた。しかし、すぐさまに雑巾やバケツを回収して、二人の前に踵を揃えてピシッと整列して見せた。

元々掃除は終わっていたのだ。また掃除を手伝うなんて事はなんともない。

むしろ彼らにとっては喜ばしい事が起きていた。何せ彼らの見守るべき存在が、すぐそばにいるのだ。許されるのならば、両手をあげて喜びたいくらいである。彼を目の前にした手前、そんな事はできないのだが。あくまでも彼らはナマエを見守るのが常なのである。

「悪いな」
「いえ!喜んで掃除させていただきます!」
「?お前は掃除好きなのか?」
「…ククク」
天然でそう言ったナマエに、その場で笑っていたのは真相を知る尾形ただ一人であった。



「ミョウジ上等兵、そこは私が掃除しますので」
「そうか?悪いな。じゃあこっちの床を」
「ミョウジ上等兵、こちらの掃除の確認をお願いします!」
「ん?あぁ、よく磨けてるな」
「ありがとうございます!!」


「(掃除が終わらないのはナマエが原因じゃないのか)」