祈らずとも朝日はやさしい


「ミョウジ、腕大丈夫か?痛むようなら薬を作るぞ」
「大した傷じゃないから大丈夫だよ、アシリパさん」
「そうか?」

無事に炎上する剥製家から脱出した杉元、アシリパ、牛山、尾形、ナマエからなる一行は杉元の提案により、人がいないであろう山中をほどよい間隔をあけながら順番に並んで歩いていた。
向かう先は月形である。

山に生える木々は永遠に続いているんじゃないかと思えるほど、長く乱雑に立ち並んでいる。スゥと息を吸い込めば、澄んだ空気と樹皮の香りが体内を満たしてくれる。
そんな中、一行は川を渡り、低い枝葉を払いのけ、負った怪我に気を配りながらどんどん進んでいく。

杉元の読み通り山中に人はいないが、その代わりにいるのは動物達だ。鹿や兎、色々な動物が現れる。そして今一行の前に姿を見せたのは、ヤマシギだ。

現代でも高級食材として扱われるヤマシギは、明治時代のアイヌ文化でもおいしい事で有名だ。アシリパが興奮気味にそう言った。生きている鳥ですらおいしい料理に見えるのだろう。彼女の口からはよだれが出ている。

そうともなれば、手っ取り早く銃で仕留めてしまうのが尾形とナマエの考えであったが、彼女曰くヤマシギは一羽とれても他が逃げてしまうらしく結局罠で取る事になった。その時尾形が不服そうな顔をしていたのを、ナマエはばっちり見ていた。





「おい尾形、どこに行く」
「起きていたのか」

日が昇るより前の、まだ空が濃紺の色で満たされている頃。
ナマエは皆が起きるよりも先に起き出した尾形に声をかけた。まさか起きているとは思わなかったのだろう尾形は、顔こそは変えなかったが充分驚いたらしい。少しだけ肩を揺らした。

「ヤマシギでも取りに行くのか?」
「…お前はなんでもお見通しだな」
「まぁ昨日取れないって言われたからな。尾形なら取りに行くかと思って」

自尊心の高いこの男だ。アイヌの少女に馬鹿にされたまま終わるわけがないと踏んでいたのだが、想像通りだった。あまりにも想像通り動く尾形に、ナマエは内心笑いながら手早く自分の寝床を片づけ、朝の空気にすっかり冷たくなった小銃を手にした。

「俺も付いていく」
「ふん。いいだろう」
「どーも」

二人はあたりで適当に横に転がる三人を見た後、ひとまず物音で起きているだろう牛山に一言声をかけてから足音を立てないようにそっと抜け出した。

寝床となっている切り開けた場所から、二人は昨夜張った罠とは別方向へと進んでいく。罠があるならばヤマシギはそれに引っかかってしまい、そこにはいないだろう。それならば少しでも視界の広い所にいるヤマシギを捕えたい。

自分たちの拠点を見失わないように意識しながら、歩みを進めているとはだけた土の上にいくつか足跡があった。それはとても小さな点で、昨日見たヤマシギの足跡にそっくりだ。

「あ、いた。ヤマシギ。…全部で三羽」
「お前は手出すなよ」
「言うと思った」

あくまでも彼は付いて来ただけなので、小銃を背中に回し尾形の狩りの見学に回った。邪魔をしないようにと、物音を立てず細心の注意を払って息を殺す。

アシリパ曰く、ヤマシギは銃で撃てば一羽が取れても他が逃げるという。でもそれは銃が下手な奴の話だとナマエは思う。
程よく離れた一羽のヤマシギに照準をあわせ、引き金を引く尾形の姿に迷いはない。
一発の低い銃声の後、音に驚いて羽ばたいた二羽に間髪おかず銃声を浴びせる。三発の銃声は朝方の森にはよく響いた。

「お見事。さすがだな」
「このくらいナマエにだってできるだろう」

褒められて悪い気分ではないらしい。フンと鼻で笑いながら、いつものように髪を後ろに撫でつける。

尾形の視線の先にはヤマシギが三羽見事に打ち落とされていた。
銃が得意とはいえ、彼にもここまでできるかどうかは分からない。的も小さく、想像通りの動きをしない鳥を仕留めるのは中々に骨が折れるのだ。
そう考えるとやはり尾形の腕前は素直に誉めるべきものである。もう一度褒めれば「もう充分だ」と言われてしまったが。

「三羽いれば朝飯には困らないだろう」
「あぁ、帰るか」

自分たちの後ろを振り返れば、拠点あたりだろう場所から細い煙があがっている。ヤマシギを追ってだいぶ遠くまで歩いてきてしまったようだ。拠点では大方牛山あたりが活動を始めたのだろう。

打ち落としたヤマシギの足を尾形が掴んで持ち上げると、ナマエは踵を返して、煙があがる方へと一歩先を歩く。お目当ての鳥を捕まえたせいか、その足取りは軽い。

「後は罠にかかってるかどうかって所かな」
「アイヌの罠がどんなもんか楽しみだ」
「これで尾形よりも多く獲れてたりしてな」

そんな他愛もない事をを喋りながら二人は獣道を歩いていく。小枝を踏み、パキパキと鳴る音が耳に心地いい。

やがて暗かった森の中には、日の光が入ってきた。やわらかな光の帯が木々の間をすり抜けて歩く二人の道を照らしている。その光は青々とした葉の上にたっぷりと溜まった水を玉のように輝かせていた。

その景色はもう何度も見ているが、深い緑の葉を透かし、露を輝かせる朝の森というのは、神代にでも紛れ込んでしまったかのように思えてしまうほど美しいものだ。

そんな光景に尾形が目を細めると一瞬、前にいるはずのナマエがいないような、そんな錯覚に陥ってしまったのだ。

「尾形?」
「?!」

彼の声はいつも不思議と尾形の脳にスッと入る。
その声にハッと気が付いた時には、反射的に空いた手で前を行くナマエの細い手首を握っていた。振り向いた彼は鳩が豆鉄砲を食ったように、尾形の顔を見つめる。

「どうした?」

さて、どう言い訳をしたものか。
まさか「いなくなったような気がして咄嗟に掴んだ」など、この尾形が言える訳がなかった。掴んだ事は彼以上に自分の方が驚いているのだ。

ひとまず握った手首を離すと、ナマエは「んー…」と握られた手を握ったり開いたりしながら何か悩むような声を漏らした。そして尾形が何かを言うよりも早く、ナマエの手が尾形の手のひらを握った。

同じ男だというのに、握る指は細く、暖かい。どうしてこうも何もかもが違うのだろうか。尾形は彼が時折繊細なガラスのような人間だと思ってしまう。

どちらからともなく指先にぎゅ、と力を入れて手のひらと手のひらを擦り合わせる。触れて、温度を感じる手は、そこにナマエがちゃんといるのだと実感させてくれるようだ。

「俺、迷子になりそうだからこのまま掴んでてくれないか」
「……そうだな」
「おい」
「冗談だ」

全く、見失いそうなのはこちらだというのに。

尾形の心を見透かしたように、そんな事を真顔で言うナマエに尾形は少し馬鹿にするように鼻で笑った。けれど、心の内には温かいものがこみ上げてくる。
つまらない意地を、分かっていてもナマエは否定しないのだ。

「ナマエ」と呼べば「んー」と返事ともつかない言葉と共に雑念のない瞳が自分を映した。

「なんでもない」

手を繋いだまま、二人はきらきらと眩い森を真っ直ぐに歩いていく。
それはどこか神聖な雰囲気を纏っていた。周囲は空気を読んだように鳥すら羽音を立てず、この森には二人だけしかいないと思えるほど、恐ろしく静かだ。
唯一小さな話し声と足音だけがこの鬱蒼とした森の中でははっきりと聞こえる音だった。

「このまま手放さないでくれよ」
「死んでも手放すか」





「ヤマシギ二羽しか取れなかった!」
「不機嫌だな」

煙を目印に拠点に戻ると、さすがに全員起きたらしい。遠くからでもその賑やかな声が聞こえてきた。残念ながら結果はよくなかったらしい。

そうともなれば鼻高々なのは尾形である。戻って早々に取ってきたヤマシギをこれ見よがしに出して、牛山と杉元を見下ろすようにふんぞりかえって見せた。きっと同じ事をしても、杉元には取れなかったのだろう。悔しそうな顔だ。

「ところで何で手繋いでるんだ?」
「俺の迷子防止」
「なんだそりゃ」
「尾形、もう手離すぞ」
「あぁ」

手放すと、温かかった手は一気に寒くなる。それは手の温度もあるだろうが、少しばかり、心の寂しさもあるようだ。離れた手をじっと見つめると、「尾形も来い!」とアシリパの呼び声に顔をあげた。

さっそく尾形の取ってきたヤマシギの羽をもぎり、調理にとりかかる。その脇ではくべられた薪の上で鍋がぐらぐらと煮詰まっていた。調理途中に何故かアシリパがヤマシギの脳みそを掬って男共の口の中へ放り込んでいたが、ナマエは尾形に妨害されて結局の所食べていない。

「後はこれをチタタプにする」
「出た〜!チタタプ!」
「チタタプってなんだ?」

「この前の奴か」
「食べた事あるのか」
「あぁ、おいしかったぞ」

杉元達と森の中で食事をしたのは、ナマエにとっては今やもう昔の話であるが中々に印象深い食事だった。何せアイヌ料理など、専門店が出ている所など見た事がなくあれが初めてだったのだ。

調理の指揮をとるアシリパに言われた通り、牛山に続いてナマエも「チタタプ、チタタプ」と呪文のように唱えながら小刀で肉を刻んでいく。果たしてこんな感じでいいのだろうか、と様子見がてら彼女を見れば「うまいぞ!」とありがたいお墨付きを頂いてしまった。

続いて尾形の番。

黙ってナマエと場所を交代すると、トテトテ小刀で刻む。力を入れすぎないように、けどしっかりと刻んでいる。その手際は良いのだが、いかんせん尾形という人間はマイペースなのだ。

「アシリパさん尾形がチタタプって言ってません!」
「尾形ぁ…どうした?」

「チタタプだって。チタタプ」
「うるさい」
「…えぇ〜」

最初から言うつもりもなかったのだが、執拗にチタタプを強要する杉元にイラついて更に口を閉ざした尾形は、結局チタタプとは一言も言わずにオハゥは完成した。



一方その頃土方一行も馬に乗り、月形の樺戸監獄を目指していた。

道中、夜となった折りには火を囲いながらそれぞれの声に耳を傾ける。今日は白石の話に耳を聞いていた。そう、これは彼が脱獄王と言われるきっかけになった話である。

「熊岸長庵と出会ったのは…、俺が二十歳を過ぎてはじめて樺戸集治監に入れられた時だ」

ある日熊岸が白石に言ったのである。脱獄に連れて行って欲しいと。

「その代わり春画を描いてくれと言ったらこれをもらった」
「!?これはミョウジじゃないか」
「そう、一枚目はこれだった。美しいと力説された」

白石が胸ポケットからそっと取り出して見せたのはナマエの横顔であった。
今よりも少し若いだろうか。相変わらず凛々しく、しかしどこか冷たい目をしている。紙はもう何度も広げられているのだろう、皺皺だった。

描かれた当初白石は絵とは言えあまりにも美しすぎたため、熊岸の妄想だと思っていたのだ。

しかし、全国を飛び回って見つけたシスター宮沢は、絵のまさに生き写しと言わんばかりにそっくりだった。白石の百年の恋も冷める程に。
同時にこの絵が事実だと言う事が判明し、ナマエもまた存在する人間なのだと考えを改め、あの雪山で彼は出会ったのだ。この絵のままの実物を。

「…え?終わり?」
「熊岸長庵はめっちゃ絵がうまい。現にミョウジもいた」
「くだらね。もう寝るわオレ」
「えぇ〜っ」