ゆるやかな一撃を


「やぁ。随分男前になったな」
「お前に褒められるとは光栄だ」

今日も今日とて道端に雪がこんもりと積もる中、馬を飛ばしてやってきた病院の一室に入れば、病室の住人である尾形は相変わらず横になっていた。
横になっている事は変わらないが、当初に比べれば尾形の容態はかなり回復してきていた。腕の包帯は取れ、顔の腫れもすっかり引いている。ただ頬には痛々しい縫合の傷痕が残り、それを皮肉ってみればば動くようになった手で頬の傷跡をなぞって見せた。

その仕草が何故か様になっていて、皮肉じゃなくて事実だったとナマエはなんとも言えない微妙な顔をして見せた。

「で、あれは持ってきてくれたのか?」
「…ほらよ、新しい暇つぶしだ」

いつものように差し出された手に、紐で束ねられた本を置くと紐をほどく尾形の横に座った。ペラペラと捲られていく本はナマエの本棚に眠っていた蔵書だ。
身体は動かせるようになっても大事をとって未だ横にならざるをえない尾形の為に少しずつ持ってきては読み終わった本を回収していると、それがすっかり気に入ったのか催促までしてくるようになった。時折気に食わない本があってはフンッと鼻を鳴らす事にはイラッとしたが。

今回の本はお気に召したようで、持ってきた本は無事寝床の横に鎮座する読む予定の本の山へと積まれた。

「毎度悪いな。礼に林檎でも剥いてやろう」
「待て待て病人がやるんじゃない!」

本を置いた手は、今度はそのまま真っ直ぐお見舞い品の果物セットに伸びた。慌ててその手を止めて果物の山から林檎を奪い取ると、林檎越しに少し不満げな尾形が見えた。
いくら治ったとは言え、病室にいる限りは病人なのだ。大人しくしてもらわねば困る。

せっかくなので看護師から果物ナイフを借りて林檎を向いてやれば、少し驚いたような顔をするものだからナマエもはてと首をかしげた。

「なんか問題あったか?」
「いや、…この形は、木の葉か?」

皿の上に並ぶのは尾形の知る林檎とは少し様子が違っている。幾重にも切り込みが入り、見事に木の葉の形をしている林檎はナマエの手の中で作られていた。そして形を変えた林檎はまた皿に並んでいく。
ひとつつまみあげてみれば切り込みを入れている事から普通に切るより手間はかかるが、顎にかかる負担は少しで済みそうだった。

「思ったより簡単なんだぞ、これ」
「へぇ。お前は器用だな」
「こんな事は誰にだってできる」

といいつつ彼の顔は少しニヤけていた。

器用な手はしっかりと動き、切られた林檎の大半は尾形が食べたが最後のひとつはナマエの口にねじこまれた。あきらかに不服と書かれた顔でもぐもぐ林檎を食べる様子にこっそり尾形が笑ったのはここだけの話だ。

腹が満たされると、ふぅと息を吐きながら尾形はふと思い出した事を口にした。

「そういや鶴見中尉はどうしてる」
「鶴見中尉?あぁ、なんだか最近忙しそうだな。最近は銀行が襲われたり兵舎が焼かれたりとまぁ事件が多いからな」
「そりゃ引っ張りだこだな」
「おう。でも俺は付いてっていないから詳細は知らん。知りたくもない。あの目が怖くて近寄りたくないんだよ…」

今は此処にいない上司の事を思い浮かべ、苦虫をかみつぶしたように眉を顰めて見せる。それを見た尾形は何かを考えるように顎に手のひらをそえた。黒々とした目は伏せられ、指でなぞるその頬の傷跡はいまだ痛々しい。

「鶴見中尉が怖いなら、俺は怖くないのか?」
「?なんでだ」
「世間的には俺も鶴見中尉も分かりにくい人種らしいからな」
「そうか?尾形は結構分かりやすいと思うけどな」

きょとんとしながらそう言ってのけたナマエに、尾形の胸の内は何かにぎゅぅと握られたようだった。
何故なら自分が分かりやすいだなんて言えるくらいには、彼は己の事を見ているのだ。その感情に名前を付ける事は容易にできたが、尾形はあえてその事は言わずに、自分だけが知る無意識の告白に微笑を浮かべた。

「…お前も大概俺の事が好きだな」
「なんでそうなるんだよ」

クックッと痛む身体を揺らしながら笑う尾形に、ナマエは訳が分からず一人取り残されたような気分になってふてくされた。

この時は尾形が何をしようとしているかなんて、彼には知る由もなかった。
 


「君は鰊は好きかね?」
「鰊ですか。嫌いではないですが…。何故そんな事を?」
「なぁに鰊漁にでも行こうかと思ってね」

相変わらず上司は何を考えているか分からない。いや本当に。鰊漁に行くなどと、まさか冗談かと思いきや本気だったらしい。

ナマエは不本意にも海上にいた。
中尉の指示のもととある船を追っているのだ。とはいっても船をこいではおらず、双眼鏡を持ってその船の様子を見ていたのだが、まぁ何せ寒い。平地ですら着込んで寒かったのに風をさえぎるものない海は更に寒い。歯はガチガチ鳴る上に双眼鏡を掴む指先もキンキンに冷えている。
それなのに双眼鏡の中に映る男は何故か真っ裸だ。

(あいつ死ぬんじゃないか?)

敵とは言えこの極寒の海に飛び込もうとしている輩には同情しかない。そして嫌が応にも見えてしまうアレがなんとも寒そうである。

「海に飛び込んで辺見を助けるようです」
「よし!その間に追いつくぞ!こげ!」

中尉の命令で一気にスピードをあげた船はさっきよりも強い衝撃と潮風が襲う。バタバタと舞う髪をおさえるようにぐっと深めに軍帽をかぶりなおすと、再度双眼鏡をのぞいた。

双眼鏡の中では、男を引き上げた船に乗っているアイヌの女の子が細身の槍のようなものを手に持っていた。そして何を思ったのか海から身体を出していたシャチに槍を投げると、見事に槍はシャチの身体に刺さる。シャチと槍の先に繋がった紐がピンと張られたかと思えば、その船はぐんと速度をあげて双眼鏡の視界から消え去ってしまった。
どうやらシャチに船を引かせているようだ。

「シャチに槍刺して逃げましたね…」
「止まれ。あの速さでは追い付けん」

魚類の泳ぐ速度にはかなわない。先を走っていた船は物凄い勢いで遥か彼方へと行ってしまった。こちらにいくら漕ぎ手が多くいるとは言え人力には限界がある。

大人しく船を陸に戻すと、中尉はさっさと鰊漁で大儲けした金持ちの家へと戻った。ペラペラ動く口はあきらかに軍への資金提供を促していてナマエはげんなりした。自分には全く興味のない話であったし、いい加減に耳にタコであった。

聞く必要がないと判断されれば、興味は鰊御殿の豪華絢爛な見た目に行く。煌びやかな装飾をぼーっと見つめていると、こちらに小走りで誰かがやってきた。ピシッと敬礼するそれは同じ第七師団の一人だ。

「鶴見中尉殿。尾形百之助上等兵が病院から消えました。それともう一人、二階堂浩平一等卒の姿が数日前から見えません」
「…!?」

予想だにしない名前に、ぼーっとしていた頭が急に鮮明になる。

(一体どういう事だ。最近ようやく動き回れるようになったばかりだというのに、何故?消えたという事は第七師団を裏切ったという事になる。しかも部下の二階堂まで)

突然の一報に心の中を何かどす黒い、モヤモヤしたものが取り巻く。状況の整理のために必死に回る頭はその靄に絡みつかれて正常に働かない。この気持ちの悪い感情は一体なんだろうか。

鶴見はどう思っているのかと顔色を窺えば、やはり何を考えているかその顔から読み取る事はできなかった。

「ふむ、分かった。次はそちらに行こう。ミョウジ君は兵舎に戻りたまえ。顔色が悪い」
「え」

当然自分もついていくものだと思っていたナマエは、鶴見の言葉にひどく驚いた。
薄ら笑いを浮かべて、肩を叩く鶴見はまるで部下を気遣う理想の上司のようだ。だが体調が悪いわけでもないし、何より自分だけが尾形を追えないのは納得がいかなかった。

「俺も行きたいです」
「ダメだ。部下に無理は強要できん」
「行きます!!」
「ダメだ」

強く訴えるナマエに、鶴見は半ば呆れ交じりにため息をつくと伝令を伝えに来た兵へと視線をやった。

「君、彼をよろしく頼むよ」
「ハッ」
「鶴見中尉殿!!」
「これは命令だ。分かってくれるね」

命令という言葉は軍の中では絶対だ。
たとえ忠誠がなくとも、形にそわなければ罰せられるものである。心配だなんだと言いながら命令を下す鶴見に、ナマエは不満と不信感を募らせた。

だがこれ以上何かを言えば最悪反逆罪などとでっちあげられる可能性も否定できない。言いたい言葉を飲みこんで睨むと、その不敬とも言える態度を前にしても鶴見は上機嫌そうで、ナマエを残して兵の待つ待機所へと足を進めた。