雪山と銃口


静かな山の中で、ほんのかすかだが銃声が聞こえた気がした。
森の中で異質なそれは、近くにいたであろう動物たちを動揺させるには充分だったようだ。我先にと逃げ出した動物たちは、あっという間に姿を消す。

突如あわただしくなった森の気配にナマエにも自然と緊張が走る。耳を澄ませると一発、間隔を空けて更にもう一発。二発も聞こえればさすがに聞き間違いではないだろう。たしかにそれは銃声であった。

(まずいな、徐々に銃声の音が近づいてきている気がする。…しかもこれは三十年式?)

銃声の数は増し、少しずつだが音が大きくなっている。こちらに近づいているようだ。
自分を狙ったものではないにせよ、こちらに近づいてきている分武装している人間と鉢合わせる可能性がある。ナマエは手早く荷物をひとまとめにすると、足跡や座っていた痕跡に雪をかぶせて消し去った。

そしていつでも打てるように銃を手に持ち、ひとまず見晴らしのいい山の上に行く事にした。
蔓で作ったカンジキを付けた足はサクサク雪の上を歩いていく。冷たい空気を熱くなる身体に取り込みながら、時々聞こえる銃声を背景に傾斜を上りきると、さすがに額にも汗が流れる。

山上からは高いと感じていた森の木々を優に見下ろす事ができる。適当な木の幹に隠れて銃についたスコープをのぞくと、木々の間をジグザグに走りながら何かがこちらに走って来ているのが見えた。時折それは後ろを向き、銃声を響かせている。

「…尾形?」

その動きと背中はナマエには随分見慣れたものだった。白い外套をひらりひらりと翻しながら、確実にこちらに向かってくる。少し動きが鈍いのは長時間逃げているからだろうか。

(となれば追ってきているのは第七師団か)

尾形がこちらに来ている以上ナマエも逃げなければ見つかる可能性が高い。今は脱走の身であって見つかったらすぐに殺されるだろう。だが尾形を置いて逃げるなどという選択肢は、ナマエの考えには毛頭なかった。

すぐにボルトハンドルを動かし弾を装填すると、遠くにチラホラ見える第七師団の一人を狙って引き金を引いた。ダンッという重たい音と同時にスコープ越しに見える男は膝から崩れ落ちていく。

「よし」

続けざまに空薬莢を弾き飛ばして弾を装填し、素早く次の標的へと引き金を引いた。そうして何度も狙撃をしていればチカッと光る発砲炎から狙撃場所というのはすぐにバレるもので、突然現れた狙撃手を見ようと山の上を見上げた尾形にナマエは隠れる事もせず大きく手を振った。
 
尾形が山を登ってくる間、ナマエはただひたすら無心で銃をかまえていた。狙撃をする場合上を陣取った者が圧倒的に有利である。特に狙撃手として俄然優秀であったナマエの飛距離は長い。相手の射程圏に入る前に追ってくる者の足を砕けば、第七師団の動きはぐっと鈍くなった。

「はぁッ…はっ…ナマエ!」

適度に威嚇射撃をしていると、ようやく尾形がやってきた。久々に会えた事にドキリと胸が高鳴ったが、今は再会を喜んでいる暇はない。心の中にあふれる暖かい何かを抑え込み、息が乱れている尾形の傍に駆け寄った。銃以外の重い装備を担いで第七師団がいる森とは逆方向へと歩き出す。

「とにかく逃げるぞ。…全くまた厄介なの連れてきやがって」
「悪いな」

ナマエを先頭に山を下り、二人は道中で見つけた洞窟へと身を滑らせた。
本来ならば遠くに逃げたい所だが尾形の消耗した体力では無理はできない。白い外套に開いている穴にナマエはギョッと目を丸くしたが、その下には血は滲んでいなかった。不思議な状況に首をかしげると、先に口を開いたのは尾形だった。

「なんでお前がここにいるんだ…。しかもあいつ等を撃って」
「軍は脱退してきた」

事のあらましを端折って説明すれば、尾形は一瞬呆れたような顔をした。しかしそれは一瞬の事である。次第にその顔はニヤニヤしたものへと変わっていった。身体は疲労に蝕まれているだろうに顔は全く真逆の表情をするのだから尾形と言う男は器用だ。

「やっぱりお前俺の事が好きだな」
「はぁ?違うだろ。…遊び相手がいなくてつまらないから抜けてきただけだ」
「フッ。まぁそういう事にしといてやるよ」

追手に追われていると言うのに妙に緊張感のない二人は、まるで兵舎にいる時のような掛け合いをしながら洞窟の中で一夜を過ごした。いくら夜が寒いとは言え、たき火をすると近くに第七師団がいた場合バレる可能性が高い。二人はできるだけ身を縮こまらせながら情報交換をした。

ここでナマエは初めて刺青人皮の存在を知る事となった。

「刺青人皮か。尾形も鶴見中尉もそれを追いかけていたのか」
「あぁ、もちろんここまで来たんだ。ナマエも来い」
「そりゃ行くけど…。そもそも抜けるなら俺に声かけて行けよ」
「裏切る直前に宣言する奴がいるか。大体お前を巻き込まないように抜けてきたっていうのにお前は」
「尾形がいないと思ったよりしんどかったんだよ!」
「…(また殺し文句をすぐ言いやがって)」

憤るナマエに、尾形は大きくため息をついた。そのため息によって吸い込まれた冷たい空気が、尾形の熱くなる身体を冷ますのにはうってつけだった。その熱は逃亡していた興奮からなのか、無自覚な彼のせいなのか、はたまた別の何かか。
尾形はそこまで考えて、途中から「理由なんてなんでもいいか」と寝転んで体力の回復に努めることにした。