香る独占


「失礼します。ミョウジナマエ上等兵です。お呼びでしょうか。鶴見中尉殿」
「入りたまえ」

夜もすっかり更け、各々が自室に戻った頃。

ナマエは上官である鶴見の執務室を訪れていた。帽子をとって頭を下げ、視線をあげるとさすが将校とだけあって下の兵とは全く違う部屋の広さにどこか落ち着かない気分だった。
広い部屋の中央には丸い机と二脚の椅子が向かい合わせになるように配置され、その一脚に呼んだ張本人である鶴見は優雅に座っていた。背もたれに軽くよりかかり、長い脚を伸ばすその姿は様になっており、育ちが良かった事を伺わせる。

上官相手に席に座る訳にもいかず、どこに立とうかと少し迷ったが、扉から少し離れた所で手足をまっすぐにそろえて立つ。

「遠慮せずに座ってくれ」
「いえ、自分はここで結構です」
「…私の言葉に従わないのは君くらいだよ」
「…分かりました。それでは失礼します」

暗に従えと言われ、ナマエは渋々鶴見と向き合うように座った。向かい合わせて座ると当然二人の視線は絡み合う。黒々とした目にナマエは少しだけ視線を逸らすと、心の中でため息をついた。
どうにもあのうっとりとした、夢を見ている様な瞳は苦手だ。

「…」
「…」

呼ばれたというのにお互い何を言う訳でもなく、鶴見はナマエを、ナマエは鶴見の向こう側の壁を見つめる事1分間。

実はナマエと鶴見が向き合って座り、沈黙するのは初めてではない。度々呼び出されてはこうして何をするわけでもなくただそこにいる事を求められる。そして必ずこの言葉が出てくるのだ。

「ふむ、君は何度見ても美しいな。芸術品のようだ」
「…ありがとうございます」

聞きあきた言葉に心がうつろになって、たった少しの時間がとても長く感じる。

本音を言ってしまえば、さっさとベッドで横になって眠りたいのだが、いかんせん上司であり何かと優遇してくれている男には逆らえない。例え苦手であってもだ。
ただただ芸術品に見入るように、人の顔をじろじろ見ようが怒る訳にもいかないのだ。

そうして何よりも長く感じる時間の中で、何もしゃべらずただただ空虚を見つめているのはかなり辛いものがある。少しずつ瞼が重くなり、ぱちりぱちりと瞬きの回数が多くなる。

「そういえば月島軍曹から聞いたが、この前の任務で肩に怪我をしたそうじゃないか」
「はい。もう治りかけですが」
「医者には見せているのかね?」
「いえ。放っておけばふさがりますので」

軍人の怪我など日常茶飯事で任務では常にまとわりつくものだ。
一度医者に見せた後、よっぽどの事がなければ自然治癒させるのが当たり前となっているのだ。
ナマエも例外でなく、久々に肩に怪我を負ったが放置していた。未だじくじく痛むそこは、ようやく傷口がふさがった所だった。

鶴見はそれを聞いて何かを考えるように頬杖をつくと、「見せてみなさい」と涼しい顔をしてそう言った。

「今なんと」
「見せてみなさい」
「傷口など見ても楽しくないかと」

退屈な時間にうつらうつらと舟をこいでいたが、唐突の命令にナマエの意識はすぐに鮮明になった。

(何を言っているんだ)

身体など見られて困るような事はないが、見せるという事はつまりシャツを脱がなければいけないわけでナマエはそれに抵抗があった。服を脱ぐ事でこの男には心まで見透かされそうな気がするのだ。

しかしこれが命令であれば従わなければいけない。

困ったように唇を噛むと、鶴見がスッと席を立ちあがった。そして何を思ったのか、ナマエの横に立つと肩に手を伸ばした。あらかじめ月島から細かく聞いていたのだろう。寸分狂わず傷口のある場所に触れると、そこへ思いきり指を立てて力強くつかんだ。

「い”っ」

予想だにしない、突如走った痛みに薄く開いた口からは思わず耐えるような声がこぼれた。

「ふむ。やはり治りきっていないのか」
「離して下さい…!痛い」

強く圧迫されると、じりじりと染みるような痛みが湧き上がる。あきらかに原因はこの傷口をえぐるように握る鶴見の手だ。
自然とにじみでる涙を目にためてキッと睨むと、少し興奮しているらしい顔と目があった。それは三日月のようににこりと細められる。

「分かった分かった。そんな顔するな」

ほら、と言って掴まれていた手はたしかに離された。だが、かなり力強くつかまれたせいか傷口が熱をもったようにじくじくと痛む。もしかしたら傷口がまた開いたかもしれない。

(全く何を考えてこんな事をしてくれたんだ…!)

文句のひとつやふたつ言いたい所だが立場上そんな事はできず、ぐっとその言葉を飲み込む。

そんな様子を見て、鶴見はにんまりした笑いの皺を頬に浮かべながら、壁際に置かれていた箪笥から小さいながらも美しい箱を取り出した。それをナマエの目の前におく。
間違いがなければこれは随分と豪勢な塗り薬入れだ。

「今日はこの薬を渡したくて呼んだだけだったんだが、いやはや君の痛みに耐える顔はいいね」
「…そうですか」
「これはすごく効く薬だから、必ず塗るんだよ」

蓋を開けて見せると、中には乳白色の軟膏が入っており、たしかに薬独特のきつい匂いが香ってくる。

鶴見が言うのだから、きっといいものにはちがいないのだがナマエは少し受け取るのをためらった。人の怪我をえぐっておいて、と本当に理解ができなかった。

だがそんなのは関係ないというように薬入れを無理やりその手に握らせた。鶴見は形の整った髭をなでて、「そうそう」と何かを思い出したかのようにナマエを見た。闇のようなその瞳が困ったような、痛みに耐えるような複雑な表情を捉える。

「次に来た時確認するからね。傷跡は残さないように」
「…かしこまりました」
「せっかくの美しさだ、傷物にする訳にはいかんからな」

「(この人は俺の事を本当に物だと思っていないか?)」

やたらと気にかけ、ましてやこんな薬をくれるなど本当にそう思っているとしか思えない。
散々綺麗だとほめたたえる人はいてもここまで徹底されるのは初めてだった。

この薬を渡す事が今日の目的なら、もう用は済んだだろう。
未だに痛みにひきつる肩を早く楽にしたくて席を立ちあがると、鶴見は特にそれをとがめる事はなく、ただただ楽しそうにしている。

「もう行くのかね」
「肩が想像以上に痛みますので…。申し訳ありませんが、本日はこれで失礼します」
「そうか。しっかりと治すんだぞ」
「はい」

挨拶もそこそこに一度頭を下げ、ナマエはゆっくりと鶴見の部屋を出た。
そして廊下に出てから自室までは尋常じゃない剣幕かつ早歩きで戻ると乱雑に服を脱いだ。上着をぬぐと下に着ていたシャツの肩口が赤く染まっている。次いでシャツも脱いで見れば、たしかにふさがっていたそこはぱっくりと開いているではないか。どうりで痛いわけだ。

部屋に備え付けの簡易薬箱から止血用のガーゼを当て、血をとめるとふと鶴見からもらった薬が目についた。やたらと豪華なそれは普通にしていたら触れる事などない一級品であり、その中に入っている薬も間違いなく高級なものだ。

「…仕方ない」

傷跡が残るのは鶴見と同じで不本意だが嫌なものだ。
これは自分で選んだ訳であって決して言われて塗っているわけではないと自分に言い聞かせながら軟膏を塗ると、その独特の匂いに少しだけ眉をひそめた。




「何の匂いだ?これ」
「軟膏。やっぱ匂うか…」

くんくんと肩に鼻を寄せれば、少しは慣れたもののやはり変わった匂いにナマエは唸った。

鶴見からもらった軟膏はここ数日毎日つけていた。やはりあの上司が押すだけあって質はよく、えぐられた傷も治りが早い。

隣を歩く尾形に「臭かったら離れろ」と少し距離を置いて歩いていると、廊下の曲がり角からあの日以来会っていなかった鶴見が偶然にも現れた。先に気付いたナマエは石のように身体を硬直させると、尾形も同時に足を止めた。

「おやぁミョウジくぅん。久しぶりだねぇ」

廊下には隠れる場所も物もなく、ナマエはぎこちなく「そうですね」と相槌を打った。
なんだか今日の鶴見は機嫌がいいようで、後ろで手を組んで離れていた距離をぐっと近づいた。そして隣で怪訝そうな表情を浮かべている尾形に向けて意味ありげな笑みを見せた。

「良い香りをさせているじゃないか。やはり私があげた軟膏はよく効くだろう」
「えぇ、はい。ありがとうございました」
「いやなに、部下を気遣うのも上司の努めだよ。また今度私の部屋に来たまえ」

それじゃあ、と組んでいた手をほどいてひらりと手を振ると更に機嫌を良くして鶴見はその場から去っていった。

その後その場に残されたナマエは真顔の尾形から何があったんだと問い詰められ、お仕置きなどと称した悪戯が行われるのはまた別の話。