変わる
「よっ捗ってるか?」
「見ての通り忙しい。何か用か?」
「あぁ、ちょっと面貸せよ」
「…どこのヤンキーだ」
「まぁまぁ細かい事は気にすんな!飯がまだなら飯でも食いながら話そうぜ」
何の前触れもなく姿を現した同期の男、山田は苗字の肩に腕を回すと返事を待つ事なくズルズルと外へ引きずり出した。今は昼時なだけあって、廊下はざわざわと騒がしい。わずかに向けられる痛い視線も何のその。あっという間に山田の運転する車の助手席でシートベルトを締めると、車は彼の性格を現したかのように安全運転とはかけ離れた荒々しい運転で店までこぎつけた。
「おばちゃん、俺月見うどん」
「天ぷらうどん1つ。…で、話があるんだろ?こんな遠くまで来て」
メニュー表を見るのもそこそこに、店員が去ったのを見計らって苗字は切り出した。
この店は警察庁からはかなり離れていて、パッと見た所店内には警察庁の人間はいない。わざわざこんな所まで来たのだから、きっと重要な話があるのだろうと踏んでいたのだが思ったよりも事態は深刻らしい。何故なら山田の顔も深刻そのものなのだ。
「あぁ。…お前あの資料室の整理もっとゆっくりやれ」
「はぁ?」
「今残業してまで片づけてるだろ。それをやめろっつってんだよ」
「なんだそれ、順調に進む分には問題ないだろ」
ハッキリとしない物言いに、苗字は詰め寄るように身を乗り出した。だが、彼は全くひるむ事なく机の脇に置いてあったセルフサービスの冷水を二人分コップに注いだ。ひとつは苗字の手元に置き、自身は冷水でのどを潤した。
「あ〜。俺はまどろっこしいのが嫌いなんだ。ここだけの話だがお前に少し前移動命令出てたんだ」
「移動命令?でも俺は変わってないけど」
「そうだ。最近風向きが変わったのさ」
*
「苗字、ちょっと来い」
「なんすか」
「上からの伝言だ。資料の整理が終わり次第辞令を出すとよ」
珍しく人事課の人間に呼ばれたかと思ったら、全く嬉しくないニュースのお知らせだった。
『お前が整理してる資料室最近評判がいいんだ。だから上は資料室の整理をさせるだけさせて移動させるんだと』
ようはこの仕事が終わったら本格的にお払い箱という宣言だ。事前に山田に聞いて心の準備はしていたもののやはり直接言われて良い気がするものではない。苗字はあからさまに顔に出ないように気を付けながら相槌を打った。
「上もお前がこの資料室に改革を起こしてるのを聞いたんじゃねぇか?最近評判もいいしな」
「あぁ、新しいデータベースの事ですか」
「そうそう。そういう訳だから、よろしく頼むよ」
何も人事課の人間が悪いわけではないのだが、どうしてもその下卑た笑みを浮かべる顔を殴りたくてしょうがない。だがそんな事はもちろんできずに、やり場のない怒りが身体の中がじわじわと湧き上がってくる。
資料室に戻ると、初期に比べれば圧倒的に減った資料の数に嬉しいはずの気持ちより複雑な気持ちが勝る。残された作業が終わればどこか知らない土地に飛ばされるのだ。警察庁内での残りの時間をまざまざと見せつけられるようにさえ思えてくる。
「あー…」
そんなに警察庁にこだわっているつもりはなかったが、いざそれが現実味帯びてくると空しくもなってくるものだ。机に突っ伏すと気が重いせいか身体まだ重く感じる。
「苗字、どうしたんだ」
「あれ、降谷さん。今日登庁日だったんですね、お疲れ様です」
「あぁ。苗字も。それより珍しいな、こんなに項垂れて」
ふと聞こえた声に失礼だと思いながらも視線だけあげると、降谷が缶コーヒーを二本持って部屋の入口に立っていた。
「ほら、コーヒーでも飲め」
「風見さんの分じゃないんですか?」
「んー、まぁ言わなきゃバレないだろ」
「じゃあお言葉に甘えて」
缶コーヒーのプルタブを開けて一口飲むと、体中にコーヒーの苦さが広がっていく。コーヒーは大好きだが、今はこの気持ちを表しているようでおいしいのに、複雑な思いだ。そんな気持ちが顔に出ていたのか、降谷は少し困ったように目じりを下げた。
「コーヒー嫌いだったか?」
「いえ。コーヒーは大好きです。ありがとうございます」
「それじゃなんだ。ついに辞令でも?」
「まぁそんなもんですかね。この資料室の整理整頓が終わったら移動になるそうです」
「どこに?」
「まだそれは聞いてないんですけど」
いつか終わりが来ると思うと悲しく、空しく思えてしまう。特に警察庁自体に思い入れがあるわけではないが、この人達と出会ってから闇に落ちたと思っていた日常に光が差したような気がしたのだ。まだもう少し、あの夜が続けば側にいられればと思う。
「あなたの側ならどこへでも行くんですけどね…」
ぽつりと自然にこぼれた音場は、静かな空間の中にスッと溶けて行った。
*
「風見、今ちょっといいか」
「なんでしょう」
「風見は苗字の事をどう思う?」
「苗字、ですか?」
久しぶりに昼間に登庁すると、デスクの上は相変わらず風見が積んだ資料やどこからか回ってきた回覧で埋まっていた。締切の近い資料をさっさと片付け、風見にそう聞けば不思議そうな顔をしたものの、ゆっくりと口を開いた。
「そうですね…。あそこにいるのは勿体ない人物だと思います。サイバー課にいただけあってそういう方面の能力は申し分ないですし、人に好かれる人柄をしていますね。それと仕事に対する熱意があります。どんな形であれ腐らず前を向いて自分にできる事をする。まぁ他にも色々ありますが…何故そんな事を?」
「いや何、どこか別の所に流されるくらいならうちで取ろうと思っただけさ」
「!それは良いアイディアですね。賛成です」