休んでやる


「…後一冊で終わりか」

痛んでいる背表紙を撫でると、薄らとついていたのだろう埃が指先についている。今や埃をかぶっている資料はもうこの冊子、一冊を残すところとなった。最初に来た時はどこか不気味で薄暗い資料室だったが、今は整理整頓されて資料も探しやすくなった。
もっとかかるかと思っていたが、残業をしてひたすら片づけていたからだろうか。それとも降谷達と出会ったからだろうか。思ったよりもアッという間に時間は過ぎる。

もう慣れた資料室とデスクの間を資料を持っていき、パソコンの前に座る。

「…」

人事課から言い渡された執行猶予はこれで終わりだ。そう、これで終わりなのだ。いつもならデータベースに情報を登録し、資料室に戻すのだが静香はその資料をパソコンの脇に置いた。そして定時になると同時に立ち上がった同フロアの部長に声をかけた。

「あの、部長。すいません。突然で申し訳ないんですけど明日から有休もらってもいいですか」
「有休?あぁ、もうすぐ移動だもんな。いいぞ。たまにはゆっくり休め」
「ありがとうございます」

案外あっさり有休がとれた事に苗字はこっそりと胸をなでおろした。
まだ登録していない資料は、目印をつけて資料室に返す。資料を返してしまえばもう仕事もなく、わざわざ仕事がないのに残業をする理由などない。鞄を持って外に出れば、外はまだ日が出ていて眩しいばかりだ。ここ最近ずっと残業をして月明かりの下で帰っていた苗字にとっては、違和感しかなかった。

明るくて眩しくて、早く帰れてうれしいはずなのだが。心の中は虚無感でいっぱいだった。この窓際部に追いやられてなお、こんなに悲しい気持ちにはならなかった。

「…帰るか」

そんな思いを忘れたくて、苗字はただただ何も考えずに家に帰った。途中のスーパーで普段は飲まないような量の酒をたんまりと買い込んで。

夜、月が上る頃には窓を開け放って空にぽっかりと浮かぶ月を眺めていた。月の色を見ていると、どうしても降谷を思い出すのだ。

「降谷さんとももうお別れか」

昨日までならこの時間帯でもあの静かな中にいたんだけど。

ぐいっと缶ビールを煽れば、口いっぱいに苦味と炭酸がはじけた。特にビールが好きなわけでもなかったが、今は甘いものよりも苦いものが飲みたい気分だった。缶ビールを持ったまま、窓の外のベランダに出ると冷たい夜風が吹き抜けた。ベランダの下には夜だというのにちらほらと明かりが見える。ここから見える警察庁も、やはりまだ電気がついているフロアがいくつもある。そのうちのひとつが今までは自分だったのだと思うと、またビールの苦みを味わいたくなった。

その内警察庁のあかりがひとつ、またひとつと消えていくのを眺めながら空っぽになる缶もまた1個1個増えていき、月が水平線の向こう側に沈む頃。苗字は酔いによって堅いフローリングの上で眠っていた。