聞き出す
日中だというのに比較的人の出入りが少ないフロアにやってきた降谷は一直線にある男の元へ向かっていた。
本来なら他部署のフロアはどこに何の課があるなんて事は細かく把握はしていないのだが、ここはもうずいぶんと見慣れた景色だった。情報管理室と書かれたプレートがぶら下がった部署に着くと、いつもパソコンに向かっているあの柔らかな男の姿は見えない。
「すみません、苗字は休みですか?」
「苗字君?苗字君なら有休消化してるよ」
適当に暇そうにしていた男に話しかけると、興味なさげにそう言った。
苗字がいつも座っていた席を見るとたしかに机が整理整頓されている。資料室の整理整頓をきっちりやる几帳面な男だ。机の上には埃ひとつなく、何もかもがきちっと整えられていた。
「有休?どのくらいですか?」
「5日くらいって言ってたかな。全く君達といいサイバー課といいそんなに苗字君に用事があるなら苗字君に電話でもしたらいいのに」
「サイバー課の人間が来たんですか?」
サイバー課といえば苗字の元の所属課だったはずだ。聞き捨てならない単語に降谷は食いついた。だが表面上は潜入捜査をしている時のようににこやかな表情だ。男はどんな意図でそんな事を聞いているのかなど全く気にもせずに、聞いていない情報までペラペラと喋り出した。
「今度新しくサイバー課の課長になる奴が来たんだ。たぶん連れ戻しにでも来たんじゃないの」
「ほぉ、そうですか。分かりました。ありがとうございました」
端的に礼を述べると、降谷は足早にその場を去った。
次に向かったのは別フロアにある人事課である。皆が一様にパソコンに向かって仕事をしているのは警察庁の中では人事課だけかもしれない。カタカタとキーボードを打つ音、時折鳴る電話の音だけがその空間を支配していた。
だが降谷が人事課のカウンター越しに現れるとパソコンから目を離した職員達が色めきだった。一番近くに座っていた女性が少し興奮したような面持ちで対応に立った。
「な、何か御用ですかっ?」
「呼んで欲しい人がいるんですが。苗字の同期…なんていったかな」
すっかり静かになってしまった人事課の面々を一人一人観察して見ると、一人だけきっちり目が合う男がいた。その男は人事課と言われてもいまいちピンと来ない、むしろ現場にどんどん出ていくような体格の良さと強面だ。降谷はその顔に見覚えがあった。一度だけ苗字と親しげに喋っていたあの顔だ。比較的線が細い苗字とこの男は二人で並んでいるとかなり目立つのだ。苗字の名前を出したせいか、男は席を立つとこちらに向かって歩いて来た。
「苗字の同期なら俺です。あいつがどうかしましたか?」
「いや、今日は君に話があって来た。少し時間をもらえないか?」
「…少し待っててもらってもいいですか」
「あぁ」
男はそう言って自分の席に戻るとパソコンを少しいじってからすぐに「行きましょう」と言って降谷と共に場所を移動した。
警察庁内でゆっくり話せる場所は少ない。休憩室や食堂では話は筒抜けになる恐れがあるし、かといって私用で会議室を使う訳にもいかない。だがそんなに人が出入りしない場所もある事にはある。降谷が先頭を切って歩いた先は警察庁の屋上だ。いざという時のためにヘリコプターが止まれるよう丸の中央にHと書かれたマークが地面に広がっている。二人は適当にフェンスに寄りかかると、ビル風に煽られながら口を開いた。
「話って苗字の事ですよね」
「あぁ。俺は警備企画課の降谷と言う。君の事は苗字から聞いていたよ」
「どうも。それで要件はなんです?」
「…まぁ単刀直入に言うと苗字をこちらに引き抜きたいんだ」
「苗字を、ですか」
男の声は素直に驚きを含んでいた。
苗字が警備企画課というエリート集団と知り合っている事にも驚いていたが、まさかスカウトを受けるとは想像だにしていなかったのだ。
「ご存じかもしれませんけど、今苗字にはサイバー課からも引き抜き要請が来てるんです」
「知ってる。それでも欲しいんだ」
「本人は、なんて?」
「まだ伝えてない」
何せ降谷が行ったときには苗字はもう有休をとっていたし、連絡先も聞いていなかったのだ。
ふとフェンスの向こう側に見えた高い高層マンションが目にとまった。かなり前だが車で送っていった、苗字の住むマンションだ。距離にすれば本当に近くで、車に乗ってしまったらあっという間につくだろう。だが近くても、降谷と苗字はただ夜のあの静かな空間を共有する、名もない関係性の二人であって。会いたいと思うが会いに行っていいのかそれすらも分からない曖昧さがひどくもどかしかった。
だからまずは、手はじめに立場から苗字をこちらに引きずり込むのだ。
「俺は苗字が行きたい方に手を貸します。もちろん俺が手を貸した所でその人事が通るとは限りませんが」
「そうだな」
「とりあえず…、これ苗字の電話番号です。まずは本人の意思を確認してから出直してください」
男はフェンスに寄りかかったままポケットに入れた携帯を取り出すと、パパッと手早く電話番号を表示して見せた。画面には苗字と名前が登録されていて、ムスッとしたような表情の写真が設定されている。フルヤも同じように携帯を取り出し登録すると連絡帳が1件増えた。
「俺に出直してこいなんて言ったのお前が初めてだよ」
「どーも」
「さっそく連絡してみる、ありがとう」
一件増えた連絡先に、降谷は少し心が温かくなった。突然電話をかけたらはどんな反応をするのだろうか。用件が済んだから、と早々に屋上を後にした男を見送って降谷の携帯はさっそく苗字に電話をかけていた。だがいくらコール音が鳴っても、電話はつながる事がなかった。留守電の設定もしていないようで、携帯には着信履歴だけが一件表示されるだけだった。
「…寝てるのか?」
強い風に吹かれながら降谷は苗字のいるであろうマンションを見た。
空はもう暗くなり始めていた。