※「うそつきな大人」の続きで、「うその代償」より後のお話


素直に俺の講義に出続ける総司の隣に、斎藤が座るようになった。
見たくないのに、それでも教室に入った瞬間総司を探す癖のついた自分の視線が嫌になる。
その内年度も変わり、就職活動が始まった総司達を大学で見掛ける日は少なくなった。

変わったことと言えば、一人教員が配属される話を耳にした事くらいだろう。
随分変な時期に来るもんだなと思ったが、何でも肩書を沢山持つ男だそうで、学部長が口説きに口説いてこの大学に呼び寄せたらしい。

ひとつ気になったのは、そいつの肩書というのが全て文学に纏わるもので、俺が居るのに何故そんな奴を? ということだった。
けれどすぐにどうでも良くなった。
総司にも会えないこんな場所に未練も無かったから、そいつを呼ぶ代わりに辞めろと言われたって構わない。

その日はいつ降り出すか分からない天候で、俺は幾度も窓の外を見ていた。
学部長に呼ばれていたので、廊下を歩きながらまた外を見た時、久し振りに総司が見えて思わず目を奪われた俺は立ち止まってしまう。
珍しく総司の隣に斎藤が居らず、そのことに何だかほっとしていた俺は、

「何を見ている」

突然掛けられた声にびくりとしてしまった。
声のした方へと顔を向けると、見たことの無い男が俺を見ていた。

「随分熱心だな、何か面白い物でもあるのか?」

訊きつつも窓の傍に寄ろうともしないそいつの態度と、人を馬鹿にしたような口調に俺は苛ついた。

「別に、何もねぇよ」

苛々を抑えながらそれだけ返すと、その男はにやりと笑い、揶揄うように言ってくる。

「まるで片恋の相手を見るような目をしていたが?」
「そうだった所で、てめぇには関係ねぇだろ!」

図星を指された恥ずかしさも相まって、声を荒げてしまった。
するとそいつは、楽しそうに目を細める。

「貴様の想いは実りそうにないな」

失礼な一言を残し、さっさと立ち去りやがった。
何なんだ、あいつは……!
それからすぐ、学部長に呼ばれていた事を思い出し、その失礼な男が向かった方向へと俺も足を向けた。
学部長の室へと向かいながら考えていたのは、先程見掛けた総司のこと―――などではもちろん無く。つい今しがたの腹立たしい男の顔だった。
腹が立つのに、やけに綺麗な顔立ちだったなとか、男の俺でも腰にくる程色っぽい声だったな、なんて事を考えてしまう自分にまた苛々する。

「くそっ、何なんだ一体!」

思わず呟き、自然速足となった俺は予想より早く目的の部屋の前に着いてしまって、流石にこんな状態で入る訳にもいかず、こほんと一つ咳払いをしてからノックをした。
すぐに入るよう言われて扉を開けると、そこには今正に考えていた男が立っている。

「はぁ……?」

俺は学部長の前ということも忘れ、馬鹿みたいな声を上げた。
すると俺が室の前で払った咳よりも大きな咳払いをした学部長が、呆れを含んだ口調で言ってくる。

「土方君、入ってもらえるかね?」

俺は慌てて扉を閉めた。
そこで話された内容は、驚いたことにこの新任の男――風間というらしい――の面倒を見ろ、というものだった。

風間の受け持つ授業は、特別なものだけだそうだ。
なら俺は何の面倒を見れば良いのかと思ったが、学校の案内やその特別授業の時の補佐等、風間の身の回り全般を任されてしまった。
学部長の手前、大仰に肩を落とす訳にもいかず「分かりました」と答えはしたが、こんな偉そうな男の面倒を見るなんて冗談じゃないという思いが消えない。

室から出ると、俺の教授室へと向かう。
風間用の室はまだ準備が整っていないとのことで、当分は俺と同じ室を使わなければならないらしい。
あんな狭い部屋にこの男と二人? 考えただけでうんざりした。しかも室に着くなり風間が放った言葉は、

「使う者が汚いと、部屋も汚くなるのだな」

ときたもんだ。上手くやっていける訳が無い。

「あぁ? 俺ぁ色々忙しいんだよ、必要なもんも多いんだから仕方ねぇだろ!」
「大きな声を出すな、下品な男だな」
「なんだと……っ!」
「貴様のような粗野な男とこんな部屋で過ごすとは……」
「こっちのセリフだ!」

――風間の印象は、最悪だった。

その日から俺達は毎日狭い部屋で言い合いをした。
お互い文学を教える立場なだけあって言葉が留まる所を知らず、随分と白熱する。それでも風間の選ぶ言葉はいつもどこか気品が滲み、それがまた俺の苛々を助長していた。

言い合いが続いて、早二週間。
まだ風間の室が出来ない大学側の準備の悪さにさえも腹が立った俺は、明らかに暴言となる言葉を風間に向けて言い放った。
その時初めて風間が口を閉ざし、瞬間的に言い過ぎたと反省はしたが、謝る雰囲気でも関係でも無い訳で。俺も口を閉ざすことで、それ以上の状況の悪化を避けようと思った。それなのに。

「だから貴様は、恋一つ実らせる事が出来んのだ」

突然言われた言葉は、すぐには意味が分からなかった。
少し時間を掛けて、やっと総司のことを思い出す。
風間と言い合う毎日は、俺から総司を想う気持ちをかなり希薄にさせていたようだ。
けれど久し振りに思い出した総司への想いは、今でも少し苦味を伴うものであったし、例え実らなくてもそれを馬鹿にされる筋合いなんて無い。

「てめぇにゃ関係ねぇだろ!」

怒鳴るように言うと、そいつは嫌味な顔で微笑んだ。

「関係無いことは無い。毎日このような狭い部屋で、負け犬のような顔で隣に居られたのでは敵わん」
「何だと!」

俺が風間に掴みかかると、その手を取られた。

「こういう態度が女々しいというのだ、男ならば余裕で構えたらどうだ?」

言われてみれば確かに大人気無い行動ではあるが、苛々の原因であるこの男に馬鹿にされれば誰だって腹も立つだろう。
だが手を出すのは、確かにみっともない。

「ちっ」

風間から手を離し、俺自身も離れようとした時、突然風間に腰を取られ、ぐいと引っ張られた。
思いもよらぬ方向へと自分の身体が傾き、何が起きてるのかと思う間に唇に熱を感じる。

「な……」

何をしている、と言おうとしたのにその言葉が風間の口に飲み込まれてしまう。
突如深く口付られ、今度は息すら飲み込まれる。

「んっ……」

総司との関係が無くなってからは遊ぶ気も起きなくて、随分禁欲的に生きてきたと思う。
そのせいか、久し振りのその感覚に力が抜けてしまった。
しかもいままでは自分からすることはあっても、されることなど無く、初めての経験に実は驚いてもいた。
大した抵抗も出来ないまま風間に口内を貪られる。その甘い感触に鳥肌が立った。
それから風間が俺から唇を離し、男の俺でも腰にくる艶の有る声で呟く。

「そろそろ言い合いも飽きたな」

言うなり、俺の服の中へと手を滑らせてきた。
抵抗せんと動いた俺の身体を後ろから抱き締め、風間は行為を続ける。

「おい、何をして……!」
「いい加減、そんな想いなど捨てたらどうだ?」

その言葉に、俺はすぐには何も言えなかった。
総司への想いなら、俺だって捨てたいさ。だけどあんなに夢中になったのは、生まれて初めてだったから。
見掛ける回数が減ったとは言え、たまに目に付く総司の姿は俺の未練を掻き立てるだけで……。それでも言われるまで忘れていたというのに、風間の言葉で久々に思い出してしまった総司の顔は、俺の気持ちを悲しくさせた。
抵抗を止め目線を落とした俺に、風間は楽しそうに笑う。

「捨てられぬなら、吐き出せば良い」

そう言って、俺自身を直接握り込んできた。
それまでただ肌を触られていただけだった俺は、突然の刺激に震えてしまう。
いや、それだけなら良かったんだ。俺は震えただけでなく、思いもよらぬ声を出してしまった。

「あっ……」

自分から出た声に驚き、慌てて風間から離れようとする。しかし細い割に随分と力強い風間の腕がそれを許さず、それならば風間の手を離そうと風間の腕を掴んでみるも、扱かれ始めてしまえば力も抜けるってもんだ。
久々の快感に逃げ出す気力さえも失せ、結局達するまで俺は風間の腕の中に居る羽目になった。
風間の手に俺の欲が吐き出され、荒い息を繰り返す俺に、淡々とした口調で風間が問いかけてくる。

「少しは楽になったか?」
「な、にを、言ってやが、る……」

強い口調で言いたかったが、息が整わないくて無理だった。
それでも風間を睨みつけ、風間の行動の意味を知ろうと思ったのだけれど。

「やっと大人しくなったな、明日から毎日俺がしてやる」

そう言って、俺の出したもんで汚れた自分の手を拭いながら、俺を振り返りもせず帰ってしまった。
訳の分からないこの事態に、俺は頭が上手く働かない。
次の日、言った通りにまた手淫でもって俺を黙らせた風間の顔を見るまで、もしかしたら夢なんじゃないかと思っていた俺は、馬鹿だったと思う。
この日から、毎日風間に達かされるようになる。
抵抗しよう、抵抗しなければ。そうは思うのに、いざ風間が近付くと、その声を聞くと、その目を見ると――何故だか暴れる事も出来なくて、簡単に快楽に流されてしまうのだ。
段々とそれが当たり前になってくると、一日に二度、三度と風間に達かされるようになった。
そのうちに、どちらともなく唇を求めるようになったが、風間は一方的に俺を達かせるだけで、俺に何もさせようとはしない。

俺を馬鹿にするつもりかと思わないでもなかったが、それならばキスなんてしないだろうとも思うと風間の真意が分からなくて、気付けば風間の事ばかり考える毎日になった。
ある日、流石に訊いてみた。

「てめぇには何もしなくて良いのか?」

すると風間は口の端を上げたが、何も返事をせずにまた俺を扱いてくる。
慣れた行為は、羞恥すらも薄めるようだ。

「あぁ、あ、あぁぁ……!」

俺は声を抑えることも無く、その快感に素直に身を委ねた。
いつも通りに風間の手の中へと出された俺の熱。いつもと違ったのは、その熱を俺の秘所へと向けた風間の指。
それからやんわりと机に押し倒された俺の身体。

「……何だ」

何をしようとしているのかと訊こうとして、何たる愚問かと自分に呆れた。いままで俺が、散々他人へとやってきた行為だったのだから。
しかしされるのは初めてだったし、そんなことを受け入れるつもりもなかった。
だから焦って、制止しようと声を掛ける。

「おい、止めねぇか」
「ではまだ引き摺るつもりか?」

しかし訳の分からないことを言われ、風間の質問に意識を向けた俺は、風間の指の存在を瞬間忘れてしまっていた。
何のことだと俺が訊くのと、風間の指が俺の中へと入るのとは同時だった。
だからまともに質問出来たか分からない。
けれど風間は答えてきた。

「片恋を、まだ引き摺るつもりかと訊いたのだ」
「何、を言ってやが……あ、止めろ!」

俺に声を掛けながらも俺の中に侵入させた指を折り、刺激を与えてくるその感覚はいままで味わったことが無いものだ。止めるよう言ったが、当然風間は指の動きを止めない。
それどころか、すぐに本数を増やされた。

「あ、ぁ、だめ、だ……止めろっ、って、言ってんだろーが」

全く力の無い声で、それでも口だけでは抵抗を示している俺に、風間は何だかよく分からないことを言ってきた。

「貴様は与えるばかりだから上手くいかんのだ」

返事らしい返事が出来ない俺に、風間は言葉を続ける。

「少しは求める事を覚えろ」

言いながら更に増やされた指に、俺は思考がはっきりしない。その指が抜き差しを始め、すぐにその動きを速められる。
異物感を感じたのなんて最初だけで、こんなにも気持ち良いもんなのかと驚いた。
最早抵抗もせずに喘ぐだけとなった俺に、風間は嬉しそうに微笑んでいる。
悔しいことにその笑顔に興奮してしまって、俺の感度は上がっていく。
まだ指だけだというのに、俺は腰が揺れ風間の肩へと腕を伸ばすと、抱き締めるようにして風間に縋った。

風間は一瞬驚いたようだったが、すぐに俺から指を引き抜き自身を宛がう。
熱いそれを、きっと風間はすぐにでも挿れたいだろうに、ゆっくりと俺に埋めてくる。

「かざ、ま……風間っ、あ、待て……」

指とは比較にもならないその圧迫と熱に、どうにかなってしまいそうだ。縋る腕はそのままに、制止の言葉を吐く俺は馬鹿みたいじゃねぇか。
風間は勿論止めたりなどしてくれず、どんどんと俺の中へと侵入してくる。
生理的な涙が一滴零れてしまったが、それを風間がやんわりと舐め取った。
そのまま耳元へと口を寄せ、短く囁く。

「俺にしておけ」
「な、んだよ、そりゃどういう意味だ……?」

風間は腰を進めながら、俺の質問に答える。

「俺なら、お前にあんな顔をさせたりなどしない」

風間の言う「あんな顔」がどの顔なのか分からなかった。
もしかしたら初めて風間と会った日の、総司を見つめていた時の顔かもしれないし、風間に初めて手淫を施された日の、総司を思い出した時の悲しい顔かもしれない。
どの時を指しているのかは分からなかったが、総司への報われない感情を風間が気に掛けているのだということは分かった。
その上で風間にしろ、というのは……。

「はっ、何だそりゃ。俺を好きだとでも言うのか?」

そんなわけが無いと思いつつも、心のどこかで期待もしながら俺は質問してみる。
風間はまた口の端を上げ、嫌味な表情を作った。
だからきっと「勘違いするな」とか「馬鹿を言うな」とか、何にせよ否定を意味する言葉を吐かれるのだと思っていたのに……。

「そうだ」

そう短く呟き、動きを止めた。既に最奥まで達していた風間自身が、俺の中で存在感を放つ。
俺は風間を見上げ、風間は俺を見下ろす。目を逸らすことも出来ないのに、言葉を発することも出来ない。

いつ好かれたのか分からない。
好かれる覚えもない。
あんなに言い合いをした仲だし、大体そこそこに美形で肩書もあって、金もあって女に不自由などしなそうな男が、何でまた俺なんかを?
泉のように湧いてくる疑問に、どれから質問すれば良いのか分からなくて、黙った俺に風間は一度キスをする。

「お前の答えは聞かせてはもらえんのか」

それから、少し寂しそうに笑って言った。その顔は、俺に対する本気を表している。
きっとこいつは本当に俺を好きだ、揶揄いなんかじゃない。
そう気付いてしまったら、下手な返事も出来なくて、結局黙るしかなくなってしまった。

風間は小さく溜息を吐くと、腰を動かし始めた。
俺の中に入れたままの風間自身は、もう俺の一部のようになっていたから、突然抜かれたその感覚は、とてつもない刺激となった。
思いがけず上げてしまった高い声に、自分で驚く。風間は俺の声に気を良くしたのか動きを速め、俺からは間断無く嬌声が上がった。
激しく動きながらも器用に俺の感じる場所を探り当てた風間は、そこを狙って激しく突き上げてくる。
息をするのもままならないのに、俺は風間に必死に縋りひたすら風間の名前を呼び続けた。

どんどん極まってくる俺は、より快感を求めてか、それとも風間を求めてか、風間の腰に自分の脚を絡め深く深く風間を取り込もうと自分から腰を寄せた。
それから風間が更に動きを速めたので、風間を締め上げるかのように強く抱き着いて、とうとう俺は果てた。
程無くして、俺の中に風間の熱を感じる。
まともに息も出来なかったことと、達した解放感と倦怠感で、俺は意識を失いそうになるのを必死で堪えた。
目を開くことすらままならなくて、机に寝転がったまま息を整えていると頬に熱を感じる。

与えられたそのキスが、やけに俺の気持ちを嬉しくさせた。
嬉しい、と思ってしまった自分の気持ちを自覚した途端、今欲を吐き出したばかりのくせに俺は強い欲を持ち始めてしまう。

総司の恋は、辛かったが応援してやれた。
けれどもしもこの男が他の奴を選んだら……、俺はきっと応援出来ない。
けれどこんな気持ち、認めたくない。
そう思って頭を振ってみても、結論は同じ場所へと辿り着く。

笑ってしまった。
風間はいつの間に俺を好きになったんだと思っていたが、俺こそいつの間にこんなに風間に惹かれていたんだ?

「てめぇ、責任取れよ」

俺がそう言うと、風間が不思議そうに訊ねてくる。

「何の責任だ?」
「……俺を、本気にさせた責任だよ」

風間は驚いた目をしたが、いつもとは違って嬉しそうな笑顔を見せた。
その笑顔を可愛いと思ってしまった俺は、既に末期かもしれない。

「それならば、俺こそ取ってもらわねば困る」

言いながら俺を抱き締めてくる風間を、矢張り誰にも渡したくないと思った。
この日から、俺の人生は一変する。
総司を思い出すことも無くなったし、総司を見掛けても気にならなくなっていた。
いつどうなっても良いと思いながら生活していたが、風間との出会いは人生自体を本気にさせたのだ。

これが、俺の最後の恋となる。


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