君のために終わらないおはなし

「ねぇ、どこまで行くの?」

数歩前を歩く伊庭君に、しびれを切らして声を掛ける。振り向いた彼は、もう少しですと言って綺麗に笑った。

今日僕は、伊庭君に屯所から連れ出された。理由としては「トシさんに頼まれたんです」ということらしいけれど、土方さんに頼まれた内容については教えてもらえていない。
目的地に着けば分かりますから、とはぐらかされて、もうどれくらい屯所から離れただろうか。この先に、何かあるとはとても思えない。伊庭君の向かう先には、山道しかないように思えるし。

「……あのさぁ、本当に土方さんに何か頼まれてるの?」
「えぇ、頼まれていますよ」
「いい加減内容を教えてくれても良いんじゃないの?」
「それは、もう直ぐ分かりますから」
「さっきもそう言ってたけど、全然わからないじゃない」

僕の言葉に、伊庭君が困ったように笑う。本当に、あと少しなんです、と言って。
そうして伊庭君が進んだ先はやっぱり山道で、一体どこに行くつもりなのだろうと思っていたら、その山道から外れた獣道に突然入って行く。

「えっ、何でそんなところに入るわけ?」
「こっちに用があるんです、沖田君も付いてきてください」
「もう一度訊くけど、土方さんに頼まれたんだよね?」
「そうですよ、僕を信じてください」

そう言ってほほ笑む伊庭君から、悪意は全く感じられない。それでも、怪しさを感じずにはいられない。だって、このまま進んだところで、あるのは木々だけだろうし。
だけど本当にそれが土方さんからの依頼だというのであれば、内容をきちんと確認して、確認してからきっちり文句を言わないと。もちろん、文句を言う相手は土方さんだ。

伊庭君の後について黙って進んで行くと、突然眩しさに襲われた。思わず目を細めて、額に手を翳しながら原因を確認すると、木々の間から痛いほど輝く光が見える。
伊庭君の声がした。

「あぁ、調度良かった。これを見せたかったんです」
「……何のこと?」
「沖田君、ほら、急いで!」

楽しそうな声をあげ、伊庭君が僕の手を引く。
ぎゅうっと握られた手に意識が向いたのは一瞬で、獣道を抜けた先の開けた場所から見える、沈んでいく夕陽にすぐに気を取られた。
けれど、さっきのあの眩しさはもう無い。

「あれ? 目が眩みそうな光が見えた気がするんだけど、あれは何だったの?」
「あの夕陽ですよ」
「どういうこと? 今は全然眩しくないじゃない」
「夕陽は沈む前に一度、とても眩しく光るんです」
「へぇ……それで? まさか土方さんに頼まれたことって、僕に夕陽を見せることじゃないよね?」
「いえ、これを見せたかったんです」
「えっ、これを?どうして?何で土方さんがこんなものを、僕に見せようとするの?」

驚いて質問をする僕に、伊庭君がおかしそうに笑った。

「正確に言えば、夕陽を見せろと言われたわけじゃなくて、沖田君に気晴らしをさせてくれと言われていたんです」
「気晴らし? 何で?」
「それは……最近、沖田君の体調が思わしくないと聞きました」
「別に、そんなことないけど?」

そう嘯いた僕に、伊庭君が「そうですか」と言って優しく笑う。
それから少しだけ沈黙が訪れて、不意に空気に溶け込むような静かな声音で、伊庭君が謝罪をした。

「……すみません、嘘を吐きました」
「嘘?」
「トシさんに頼まれたというのは嘘ではないんですけど、今日はトシさんに頼まれたことをしようと思ったわけではなくて、僕が沖田君と夕陽を見たかっただけなんです」

何で?と訊こうと思ったけれど、口には出せなかった。いつも穏やかな笑顔を浮かべている彼の、思いがけない真剣な表情が、僕に質問をすることを躊躇わせたからだ。

「この間行った茶屋で、女の子達が話していたんです。沈む前の眩しい夕陽に願い事をすると、それが叶うのだと」
「何それ、伊庭君てそんなこと信じてるんだ?」
「信じてるというより、信じたかったんです。沖田君はこういう迷信のようなことは、全然信じたりしないですか?」
「うーん、どうかな……」

正直に言ってしまえば、そんな噂話を真に受けるなんて馬鹿みたいだと思う。女の子達がそういう話をするのは気にならないけれど、男でそんなことを信じるなんて。
でもどうしてだか、伊庭君のことを馬鹿みたいだとは思わなかった。

「ところで伊庭君は、何をお願いしたの?」

僕の問いに、彼は少しだけ怯えたような表情になった。それから、さっき僕の手を掴んだ手に力を籠める。

「沖田君が……僕のこの手を、握り返してくれますように、って」

もしもこれを、屯所で言われていたら本気になんてしなかった。何言ってるの、と笑っていたに違いない。
けれど、普段は余裕のある態度しか見せない伊庭君のその手が、微かに震えているのに気付いてしまったから、とても笑うことなんて出来なかった。

「わざわざこんな場所に連れて来て、お願いしたのがそんなことなの?」
「僕にとっては、"そんなこと"なんかじゃないです。とても大事で、とても真剣な、どうしても叶えたいことです」
「どうして?」

そう訊ねると、伊庭君は深く息を吸い、少しの間を空けてから静かに呟いた。

「……あなたが、好きだからです」

僕は「へぇ」とつまらなそうに答えてしまった。別に冷たくしたかったわけじゃないけれど、思いもかけない事態に、僕は僕で少しだけ焦っていたんだ。

「僕は別に伊庭君のことなんて好きじゃないけど」

続けた言葉に、伊庭君が分かってますと言って手を離そうとする。その手を、今度は僕の方から掴んで、直ぐに指を絡ませた。

「でも夕陽の迷信は、本当にしてあげてもいいかな」
「……え?」
「信じたいんでしょ?」
「えぇ、そうですけど、でも……」
「伊庭君の願い事は僕と手を繋ぐことで、僕に好かれることじゃないんだよね?」

そう言うと伊庭君ははっとして、少しだけ悔しそうに「そうです」と答えた。

「もしも沖田君に好かれたいと願っていたら、叶えてくれたんですか?」
「うーん、どうだろう」
「では、明日試してみても良いですか?」
「え、どういうこと?」
「明日も、夕陽は沈むんですよ」
「また誘う気なんだ?」
「えぇ、もちろんです」
「……どうして?」

最後の問いに伊庭君は、一拍の間を置いてから。

「あなたが、好きだからです」

と、幸せそうに微笑んだ。

2017.05.19


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