愛してるを傷にしたい

 沖田の首筋に、酷く熱い息と共にごめんなさいと泣きそうな声が掛けられた。この状況を未だ把握しきれていない沖田は、少しの間を置いてから「何が?」と返す。

「突然、こんなことをして……ごめんなさい」
「謝るならさ、理由もちゃんと言ってくれる?」

 今日は伊庭に誘われ、町の方に足を運んでいた。伊庭お勧めの茶屋にも行き、帰ろうとしたところで突然伊庭が沖田を抱き締めたのだ。訳が分からなかったが、伊庭が意味もなくそんな行動に出るとも思えなくて、沖田は怒ることもなく静かに状況を見守っていた。

「今日は、僕に付き合ってくださり有難うございました」
「うん」
「それで、僕が今こうしているのは……沖田君を帰らせたくないからです」
「まだ何か、僕に用事でもあるの?」

 沖田の言葉に、伊庭が悲しそうな笑みを浮かべるが、後ろ向きになっている沖田にはその表情は見えなかった。

「沖田君、それはわざと言ってるんですか?」
「どういうこと?」
「ただの用事で、あなたを抱き締めたりすると思いますか?」
「さぁ? 伊庭君とは随分会っていなかったから、伊庭君がどんな時にどんな行動に出るか、僕には分からないけど」
「そうですよね、だから帰したくないんです」

 そう言って、伊庭は沖田を抱き締める力を強めた。そうしておきながら、沖田が息苦しくなっていたらどうしようと心配もしている。

「だって沖田君が帰ってしまったら、僕とは離れてしまいますよね」
「そうだけど」
「僕とは離れるのに、トシさんとは一緒にいるんですよね」
「……どうしてそこで、土方さんの名前が出るの?」

 沖田のその質問には答えずに、伊庭が自分の想いを口にする。

「沖田君、ごめんなさい……あなたを愛しています」

 唐突に告げられた伊庭の気持ちに、沖田の思考がついていかない。前触れなんて無かったはずだ。揶揄われているのかもしれないという考えが一瞬よぎり、直後に伊庭はそんなことをしない人間だと思い出す。そして益々訳が分からなくなった。

「伊庭、君……」

 困ったように伊庭の名前を呟く沖田に、自分が沖田にとってどういう存在なのかを察した伊庭は、ぱっと沖田の身体を離した。

「すみません、帰りましょうか」
「え?」
「遅くなると、トシさんに……トシさん達に、怒られてしまいますから」
「別に僕は女の子じゃないんだから、心配なんてされてないよ」

 沖田の言葉に伊庭は微笑むだけで、足を屯所の方へと向けてさっさと歩き始めてしまう。最初から最後まで何が何だか分からなくて、もやもやとした気持ちのまま沖田がその後に続く。
無言で屯所の近くまで来てしまい、気まずくなって沖田が先に口を開いた。

「伊庭君、また誘いに来てくれるんだよね?」
「えぇ、沖田君が嫌でなければ」
「嫌じゃないから」
「有難うございます」

 お礼を言われるのは変だと思うのに、なら何と答えてもらえれば自分は満足出来るのかが分からなくて、沖田は小さく「うん」と返した。
 じゃあまたね、と言って屯所に戻って行く沖田を見守りながら、聞こえない程小さな声で、伊庭はまたごめんなさいと呟いた。

 ごめんなさい、沖田君。僕はあなたの特別になりたかったんです。「新選組と仲良しの伊庭八郎」のままでいるのが嫌だったんです。
 もしも「伊庭君はいい人だよね」で終わるくらいなら、いっそ嫌われてしまいたかった。だから沖田君を抱き締めてみたのに、いざ触れたら嫌われるのが怖くなってしまって……それでも、君を愛していると言ったことは嘘じゃない。
 そろそろトシさんの気持ちが限界になりそうだから、先に言ってしまいたかった。だって沖田君が選ぶのはトシさんだと、僕は知っているから。
 いつかトシさんに「愛してる」と言われた時、さっきの僕を思い出してほしい。その言葉を聞く度に、何度も何度も僕を思い出してしまえばいい。どうせ報われないのならせめて、沖田君の中に僕という傷を残したかった。

 あなたを好きなはずなのに、こんな醜いことをしてしまって……本当にごめんなさい。

2017.07.03

土方←沖田は伊庭君の勘違いで、実は沖田も伊庭君が好きなのにそれに気付けなくて、結局沖田を傷付ける伊庭君、というお話。


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