望んだ懐古

また剣術の練習になればと思って屯所に寄ると、みんなが次々に顔を出してくれた。
けれどそのなかに、沖田君の顔だけがない。

「トシさん、沖田君は外出でもしてるんですか? 剣術の稽古の相手をしてもらおうと思ったんですけど」
「あぁ、総司か。あいつはいま風邪で寝込んでるんだ。悪いな、せっかく来てもらったのに」
「風邪ですか?」
「あぁ、でも他のやつらはみんな元気だから、稽古ならやっていけるぞ」
「………………」

トシさんが屯所内へと僕を招き入れる。促されるまま入ったけれど、僕の気持ちも思考も沖田君のことだけに占められていた。

「トシさん、沖田君の看病は僕にさせてもらえませんか?」
「お前に? 伝染ったら困るだろ、そんなことさせられるか」
「いえ、僕がしたいんです。どうかお願いします、新選組の皆さんにご迷惑はお掛けしませんから」
「そりゃお前が俺たちに迷惑を掛けるなんざ思っちゃいねぇけどな……まぁそんなに言うなら、少しの間だけ面倒を頼むとするか」

トシさんは苦笑しつつ、僕を沖田君の部屋へと連れて行ってくれた。
中に入ると、目を覚ましたばかりなのか、緩慢な動作で沖田君がこちらを見る。

「あれ、土方さんと……伊庭君?」

驚いて起き上がろうとした沖田君の額から、布が落ちた。枕元の水桶を見る限り、熱を冷ますために乗せられていたものだろう。

「あぁ馬鹿が、起き上がるんじゃねぇ!」
「お客さんが来たのに、寝たままでいるなんて失礼でしょ?」

土方さんに怒られた沖田君が、むっとして反論する姿がいつも通りで、思わず笑ってしまう。

「思ったより元気そうですね」
「うん、でもうつったら困るから、伊庭君は近寄らない方がいいんじゃないかな」
「俺もそう言ったんだがな、八郎がどうしてもお前の看病してぇって言うから連れて来たんだ」
「はい、僕が頼み込んだんです。少しだけ、沖田君のそばにいても良いですか?」

そう言うと、沖田君は呆れた顔をして「好きにすれば」と言いながら、起こしかけた身体をまた横にした。
「必要なものがあったら言ってくれ」と言って、トシさんは部屋を出て行く。
二人きりになると、沖田君は困ったように視線を泳がす。

「ほんとうに伊庭君が看病したいって言ったの? 土方さんが、新選組の手が空くように頼んだんじゃなくて?」
「トシさんがそんなことするはず無いじゃないですか、僕が頼んだんですよ」
「でも伊庭君にそんなこと、させられないんだけど」
「そんな寂しいことを言わないでください、昔はよく看病させてくれたじゃないですか」
「それは昔だからでしょ、今は立場とかあるんだから……」

沖田君は自分が大変なときでも、人に気を遣ってばかりだ。
元気そうに見えるといっても、沖田君は元々食も細いし、ほかの人ほど実際に元気なわけではないだろう。

「今みたいな立場になったからこそ、沖田君のそばに居られるのが嬉しいんですよ」
「……伊庭君て、そういうこと言ってて恥ずかしくないの?」
「僕、何か恥ずかしいこと言いましたか? それより熱冷まし用の布、あったまってるみたいですね。冷やしましょう。それと何か欲しいものはありますか? 食べたいものは? 確かトシさんがさっき林檎があるとか言ってたはずなので、剥きましょうか? 最近、うさぎさんの形に剥けるようになったんですよ」
「……いらない」
「でも何か食べた方が良いと思いますよ? 食べるのが辛いなら、すり下ろしますし。それとも他に欲しいものがありましたか? 何でも言ってくださいね、風邪引いたときくらいはわがままになって良いんですよ」

畳み掛けるように話す僕を、困ったように沖田君が見つめてくる。
まだ少し熱があるのか、その視線にも熱が込められているように見えて、こんなときだというのに僕の心臓はどきどきしてくる。
不意に、冷やし直すために水桶に布を入れていたことを思い出した。看病するために来たというのに、何をしているのか。
それを絞りながら、昔のことを思い出した。

「そうだ、沖田君! 熱が早く下がるおまじない、しましょうか?」
「え?」

潤んだ瞳が、僕を見る。
きっとその目には、嬉しそうに微笑む僕が映り込んでいるに違いない。
沖田君の返事も待たず、僕はおまじないをかけた。
ちゅっ、という小さな音が静かな部屋に木霊する。口付けた沖田君の額は、熱があるのかやはり熱い。

「ちょ、ちょっと、何するの……」
「え? ですから、おまじないですよ。昔よくやったじゃないですか」
「それは昔の話でしょ? 大人になってからするなんて、伊庭君ちょっとおかしいんじゃないの?」
「あれ? 沖田君、顔が真っ赤ですよ? 熱を下げるためにしたのに、上がってしまったんでしょうか? もう一度、おまじないしますか?」
「しなくていいから!」

焦って否定する沖田君が可愛くて、僕はふふっと笑ってしまう。
笑った僕を沖田君は咎めたけれど、それでも帰れとは言わなかった。
水桶に戻していた布を、改めて絞る。今度はそれを沖田君の額に乗せて、僕はほんの僅かに沖田君から離れた。

心臓が、痛い。
僕は何でもないふりを、ちゃんと出来ていただろうか。
おまじないは、昔よくしていたものだった。
僕が屯所に寄るのは、また昔みたいに仲良くしたいという思いもあったし、おまじないをしたのだって、昔を思い出したからだ。
それは純粋な気持ちからだったのに……どうやら僕は、自分で思っている以上に沖田君のことが好きだったらしい。
額に触れただけで、こんなにも緊張してしまうなんて。
これでは、昔みたいになるなんて無理だ。もう僕の気持ちが変わってしまっているのだから。

そんな僕の思いに気付いているのか、いないのか。
いや、きっと沖田君のことだから気付いていないのだろう。だからこんなに恐ろしい言葉を吐けるのだ。

「僕がもし寝ちゃっても、隣に居てくれる?」

ぽつりと投げただけの君の言葉が、どれほど僕を呪縛するのか、知らないから言えるのだ。

「えぇ、沖田君がそれを望むなら」
「ごめんね、伊庭君に看病なんてさせちゃって」
「いいえ、それは僕が望んだことですから」

そのくせ、どこまでも僕を「お客様」扱いして、少しだけ突き放してくる。
沖田君の優しさから出ているはずのその言葉は、僕に深い傷を負わせた。
だけどその傷を埋めるのも、また沖田君なのだ。

「……ありがと」

嬉しそうに微笑んで、小さな声で呟かれたお礼は、僕を簡単に幸せに導くのだ。

2017.12.16


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