痕跡の花

労咳だと知られてから、余り外出させてもらえなくなってしまった。
僕は平気だと何度も言っているのに、土方さんが許してくれない。
土方さんの言い付けなんて無視すれば良いけど、近藤さんまで心配していると言われたら聞かない訳にはいかなかった。

桜が綺麗に咲き始めたらしいのに、それも見られない。
こんな時期に限って体調が優れなくて、例え土方さんの許可が下りた所で出られそうになかった。

「桜、見たいなぁ……」

独りで寝ている部屋で、ぽつりと呟いた。
返事が欲しかった訳ではないけれど、何の反応も無い部屋では寂しさだけが募っていく。

外の風が障子を揺らした。
共に舞って来た桜の花弁が、部屋の畳に薄い陰を落とす。
それををぼんやりと見ている内に、さっきまで寝ていたというのに僕はまたうとうととし始めた。
まばたきをする間隔が短くなってきて、意識が遠のいてゆく。


夢を見た。
その夢には鬼が出てきた。

鬼は金の髪を揺らしてこちらを見る。
表情は笑顔だった。

夢の中でも僕は寝ていて、寝たまま彼を見上げた。
彼の名前は何だったか――そう、確か

「かざま……」

僕の声に彼はまた微笑んだ。
その手の中には桜の枝。

手折られたばかりのその先には、満開の花が綻んでいた。
嗚呼綺麗だなと思う。

「貴様が見たいと言っていたからな」

風間の声は靄が掛かったようでいて、そのくせどこか澄んでいる。

「はは、僕ってば夢の中で夢が叶ったんだ……桜、綺麗だね」
「一番美しい枝を持って来てやったからな」
「ふぅん、花盗人だね、捕まっちゃうよ?」

風間はくくくと笑った。

「俺はそんな下手など打たん」
「そう…こんな綺麗な桜が見られるなら、僕、もう目覚めたくないな……」

僕の言葉に、風間は困ったような表情を見せる。
どうしてそんな顔をしているのか、訊ねようとした時風間の顔が近付いた。

ほんのり淡いその感触は、まるで桜の色のようだ。
口付けなんて、最後にしたのはいつだっただろう。
僕の頬が染まっている気がした。

夢なのに、冷静でいられないなんて。

風間が離れて行く時、金の髪からひとひらの花弁が落ちてきた。
手に取ろうと伸ばした腕を、風間に掴まれた。

熱い、

と思った気がした。
同時に目が覚めて、部屋に視線を巡らせたけれどそこには風間など居なかった。
矢張り夢だったようだ。

お花見をしている夢で良かったのに、何故風間付きの夢なんて見てしまったんだろう。
しかもまるで恋仲のように、あの口付けに抵抗は無かった。

僕は風間が好きなんだろうか。
憎らしいと思っていた筈なのに、向ける気持ちが強過ぎて、執着がその名を変えてしまったのかもしれない。

自分の考えに、僕はくくくと小さく笑った。
その笑いが、夢で見た風間のそれとよく似ている事には気付かなかった。

少しお腹が空いてきた。
誰か呼ぼうと思ったけれど、近くに人の気配が無い。
仕方無い、台所に行って誰かに頼もう。
ゆっくりと起き上がると、布団の傍に夢で見た桜の枝が置かれているのが見えた。

気付けばその枝を持って走り出していた。
夢で風間が握っていた部分がまだ温かい。否、夢でなかったに違いない。

屯所中を駆け回ったけれど、どこにも風間は見当たらなかった。
息が上がって苦しくなった。
少し噎せてけほけほと咳をしている所に、何をしている、と静かに訊ねる声がして、顔を向けるとそこには斎藤君が立っていた。

僕が無言で桜を見せると、不思議そうな顔をされ、風間が持って来てくれたんだと言ったら更に不思議そうな顔をされた。
斎藤君の顔を見ていると、風間の名前は酷く不自然に思える。

風間以外の誰か――
そうだ、本当は近藤さんが持ってきてくれたのかもしれない。
風間の事はやっぱり夢だったんだ。

「ねぇ斎藤君、この花誰が持ってきてくれたか知らない? 斎藤君じゃないよね?」
「あぁ、俺ではない。誰が持ってきたかは悪いが心当たりは無い。気になるなら調べてみるが」
「……ううん、いいや」

斎藤君が調べて、屯所内の誰かだと知るのが怖くなった。
怖いなんて、何を考えているんだろう僕は。

だけど怖いんだ。
花をくれたのが風間じゃなかったと知るのが、とても怖い。
手元の桜に視線を落とすと、斎藤君がそう言えばと口を開いた。

「そう言えば、先程裏庭から風間が去って行く姿を見たと言っていた者が居たな」
「え……?」
「だが雪村は無事だし、それどころか風間と会っていないと言っていた。新選組の誰も被害など受けていないようだったが、副長には報告を――」
「僕、見て来る!」

斎藤君の言葉を最後まで聞く事無く僕は裏庭へと足を向けた。そこには大きな木がある。
何か風間の痕跡は無いかとそこら中を調べてみたけれど、足跡すら見付けられなかった。

知らなかった、僕って本当に風間が好きだったんだ。
夢じゃなかったという証拠を、こんなにも必死に探しているなんて。

肩を落として木を見上げた。
さわさわと心地良い風が、葉を揺らしている。
僕と違って随分と生命力があるなと思っていると、何かが降ってきた。
それは僕の鼻先を掠めて地面に落ちる。

見下ろすと、桜の花弁。
僕は直ぐにまた木を見上げた。この木は桜の木じゃない。近くにも無い。
それならこの花は――

僕は手に持っていた桜の花弁と、拾った花弁とを比べてみた。
間違いなく同じ花だった。

夢の中で、僕から離れて行く風間の髪からこの花が落ちてきた。
恐らく枝を手折った際に髪に降っていたのだろう。
それはきっと一枚ではない。

この木を伝って去って行く風間から、何かの拍子に落ちたに違いない。
たった一枚の桜の欠片が、風間の痕跡。

僕が来るまでこの一枚を攫わずにいてくれた風に、僕は素直に感謝した。
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