願いの重さに撓む夜

※風間→沖田&伊庭→沖田前提の、風間+伊庭の沖田さんを巡る会話が主です。


「沖田君のことは、諦めてもらえませんか」

 人々の喧騒から、ほんの少しだけ離れた場所。日の沈みかけた時刻。僕は、夕陽を受けて目が眩みそうな髪色になっている鬼にそう頼んでいた。言われた彼は、呆れたような目をこちらに向ける。

「諦めろとは、どういうことだ」
「そのままの意味です」
「……その言い方ではまるで、俺が人間ごときに惚れているようではないか」

 呆れたような目が細められ、口からは侮蔑に似た笑いが漏れてきた。なるほど、鬼は矜持が高いらしい。
 けれど僕は、何の根拠も無くこんなことを言ったわけではない。つい数日前、彼と沖田君が一緒にいるところを見たのだ。いや、あれは"一緒にいる"などという軽いものではなかった。屯所の外の端、普段であれば人が寄り付かないようなその場所で、この鬼が沖田君に迫っているのを見てしまったのだから。
 盗み見はいけないと頭では分かっていたのに、そこにいたのが沖田君であったこと、その沖田君の手首が掴まれていたこと、相手が鬼であることが僕をその場に留まらせた。もしも沖田君を殺そうとしているのなら、戦わなくてはいけないから――――けれど、そんな殺気立った気配が無いことなど一目見ただけで分かっていた。分かっていたのに、僕はその場から動けなかった。
 風に乗って、鬼の声が聞こえてくる。

――……応える気が無いのなら、逃げれば良い
――…………
――こんなもの、触れているだけだ
――…………

 顔の向きの関係か、聞こえてくるのは鬼の声だけで、沖田君が何と言っているのかは分からなかった。ただ、その鬼の言葉だけでも何となく想像はつく。
 鬼が沖田君に迫り、自分の気持ちに応える気が無いのであれば逃げれば良いと言った。沖田君は手首を掴まれているから逃げられないのだと言って、けれどその力は強くなどないのだろう。触れている程度でしかないから、沖田君が振り解こうとすればすぐにそれは叶うのだと――きっと、そう言っているに違いない。
 それ以上は見ていられなくて、一度は二人に背を向けた。けれどどうしても気になって振り返ると、先程よりも二人の距離が縮まっている。顔が近づいて、口付けをしそうになった瞬間、沖田君が逃げ出した。僕のいる方とは反対側の、屯所の裏手側から行ってしまったから、僕がいたことには気付いていないだろう。鬼の方も沖田君の走り去った方へと視線を投げているから、僕の存在に気付いていない。そしてそのまま彼も、沖田君とは違う方向へと消えて行った。

 見たくなんてなかったのに、目を逸らせなかった。だから、二人が近づいた時、鬼が空いている方の腕をそっと沖田君の背に回すのも、顔を近づけるのを躊躇っていたのも、所作の全てに沖田君の逃げ道を作っているのも、僕は全部見ていた。そして、沖田君が本気で嫌がってなどいなかったことも……。
 人間を見下した発言をするくせに、どうして彼は沖田君を大切に扱っているのか。その理由に気付かないわけにはいかない。だって、僕も同じ気持ちなのだから。
 そうして、みっともないのを承知で僕は鬼に願ったのだ。彼の方から離れて欲しいと。

「鬼のくせに、嘘が下手なんですね」
「この俺が、嘘を吐いているだと?」

 あからさまに不快な表情を浮かべて、彼が僕に問う。

「えぇ、貴方が沖田君を好きではないなんて、嘘です」

 それを受けて揺るぎない意思を返すと、鬼は少しだけ怯んだように見えた。その目が沈みゆく太陽に向けられて、すぐにまた僕へと戻る。夕焼けを写し取ったような紅に、瞬間的にぞっとした。もしかしたら沖田君は、この目に惹かれたのかもしれない。嫉妬も含め、その存在に多少の憎しみを覚えている僕でさえも、目を逸らせなかったから。
 人ならざる存在というのは、卑怯だと思う。僕が昔から沖田君と培ってきた時間なんて、簡単にかき消されるほどの美しさなのだから。
 不意に、鬼が言う。

「俺の気持ちがどうであれ、貴様に指図される謂れは無い」
「えぇ、それは分かっています」
 
 僕の返事が不可解だったらしく、彼は眉を顰め、おかしなものを見るような目で僕を見てくる。

「でも、貴方にとって人間なんてくだらない存在なんですよね。だったら人間である沖田君を、貴方が想っているなんておかしいんじゃないですか?」

 この言葉に、鬼の表情が変わった。それは何と表現すれば良いのか――真面目な表情と言うべきか、ともすれば不遜なようにも見えるけれど、おかしなことに「困ったような顔」というのが一番しっくりくる。
 彼が黙っている間に夕焼けの橙が夜の紫に少しずつ浸食され、徐々に僕らの視界から鮮やかさが奪われていく。目が眩みそうなほどだった彼の髪色からも、輝きが消えていった。
 唐突に、鬼が口を開く。その声は少し掠れていて、夕陽が彼の声すら奪ってしまったのかと錯覚しそうになる。

「俺は……鬼の、頭領だ」

 吐き出された言葉の意図が読めずに、続きを待つ。そして伝えられたことは、彼は「人との恋など望んではいけない」ということだった。鬼であることよりも、頭領であることが問題なのだと。立場上、後継ぎを残さなければならず、人間の、しかも男と結ばれることなどあってはならないらしい。

「だから、好きだと告げても意味が無いのだ」

 許されないことだから、と寂しそうに彼が笑った時に完全に日が落ちた。入れ替わるように月が僕らを照らす。静かに輝く金の髪が、まるで泣いているように見えた。

「今でも、人間などくだらぬ存在だと思っている……だが、俺は沖田に惹かれたことを後悔するつもりはない。だから、行動に移したまでだ」

 例え報われなくても。例え許されなくとも。誰からも祝福されず、認められないと知っていて尚、悔いを残さないように生きているその姿に――勝てないと思ってしまった。

「貴様は何をしたのだ」

 不意に問われて言葉に詰まる。口にされはしなかったけれど、きっとこの鬼は僕を見てまた人間を軽蔑したに違いない。自分と比べて失うものの少ない立場で、何もしていない僕に、そう思わないわけがないのだから。

 明日、僕も沖田君に想いを告げようと思う。そう決意を述べた僕を見て、鬼が静かに笑う。沖田君の心が自分に向いていることを確信して嘲笑っているのか、それとも自分では叶えられない関係を僕に託そうとしてくれているのか、彼のことを知らな過ぎる僕には判断がつかない。それでも、彼に恥じないように生きなければと思った。

 陽は沈んだというのに、鬼の目の中には夕焼けが残っている。僕にとってそれはこの夜、敗北の色となった。

お題/誰花様
2019.10.16


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