言の葉瞑る

眠れない……
沖田総司は天井を睨みながら、つい先程のことを思い出していた。そのことが腹立たしくて、なかなか寝付けずにいる。
原因は、永倉新八だ。
恋仲になったばかりだというのに、総司を放って飲んでばかりの新八に、つい訊いてしまった一言。
「お酒と僕と、どっちが大事なんですか?」
新八はかなり酔っていたから、きちんとした返事がもらえるのかは分からなかったけれど、酔っているからこそ本音が聞ける気もしていた。
当然総司は「お前に決まってんだろ」と言ってもらえるのを期待していたというのに、実際にはその気持ちを裏切る答えが返ってきた。
「んなもん、酒に決まってんだろ〜」
分かっている、新八が酔っていたのは総司も分かっている。分かっているけど、許せなかった。
そうして一睡も出来ないまま、朝を迎えることになる。
気持ちが悪いし、気分も悪い。それでも朝食を食べに大部屋に行かないと、心配してくる者が少なからず出てくる。それはそれで面倒だからと自室を出ると、今最も顔を見たくない相手が立っていた。
「おぉ総司、おはよう!」
明るく声を掛けてくる、その表情にすら腹が立ってくる。
何か嫌味を言ってやろうかとも思ったけれど、口を開くのも嫌で総司は無視することにした。黙ったまま自分の横をすり抜けた総司に、新八が首を傾げる。
「おい、どうした総司? 体調悪いのか?」
背中に声を掛けても、総司は振り返ってこなかった。新八は慌ててその後を追う。
「総司、そーうじ、おい、総司ってば」
総司の腕を掴んだ新八の腕を、総司は冷静に振り払った。その態度で、さすがの新八もただならぬ事態であることを悟る。
「どうした? ……俺が何かしちまったのか?」
「そうですよ」
「えっ、本当か? 何しちまったんだ? まさか、お前のこと無理矢理……?」
新八の見当違いの予想に、総司は益々苛立ちを募らせた。
「新八さんが無理矢理何かするとしたら、僕にじゃなくてお酒になんじゃないですか?」
「え、何でだ?」
だって新八さんは僕よりお酒の方が好きみたいですからね、とは言えなかった。言ってやろうかとも思ったけれど、それを自分で口にするのが思ったよりも辛かったからだ。
「覚えてないならいいです。それと、新八さんとはもうお別れさせてください」
「はっ?」
呆けた顔をした新八を置いて、総司は早足で大部屋へと行ってしまった。残された新八は、後から来た平助に「新八っつぁん、何してんだよ?」と声を掛けられるまで、訳が分からずその場に突っ立ったままだった。

結局その日は一日中、新八は総司に無視され続けた。
新八には昨夜の記憶は無く、謝ろうにも何を謝れば良いのかすら分からない。だからと言って分からないまま謝ったら、余計に総司が怒ってしまうことだけは分かっている。途方に暮れて、新八はとうとう左之助に頼ることにした。
総司が何を怒ってるのか聞いてきてほしいと頼まれた左之助が、しょうがねぇなと呆れて笑う。今度奢れよと言って、左之助が総司に話を聞きに行った。

なかなか戻らない左之助に、新八の不安がどんどんと増してくる。
取り返しのつかないことだったらどうしよう、総司が心底自分に愛想を尽かしていたとしたら、もう謝っても駄目かもしれない。それどころか、左之に話を聞いてもらってる内に、総司が左之を好きになっちまったらどうしよう。そんなことになったら、俺は二人の仲を喜べない。顔を合わせるのも辛くなる……そんな自分の考えに、余計に落ち込んでいく。
ようやく戻ってきた左之助が、新八の元に来るなり新八の頭をはたいた。
「いてっ、何だよ左之! 何でぶったんだ?!」
「お前があんまり馬鹿だからだよ! 総司が怒ってる理由、お前本当に覚えてねぇのか?」
「あぁ、覚えてねぇ」
「お前が、総司より酒の方が好きだって言ったからだとよ」
「はぁ? 俺が?」
「お前以外に誰がいんだよ?」
そう言われても、どうしても思い出せない。確かに酒も好きだけど、総司とだったら比べるまでもなく総司の方が好きだ。だから、そんな返事を自分がしたなんて信じられなかった。
「まぁ俺は分かってるけどな。総司とお前が恋仲になる前の長い期間、お前がどんだけ総司が好きか聞かされてたから。だけど総司はそれを知らねぇだろ?不安にさせんじゃねぇよ」
「……でも、そんなこと言った覚えはねぇし」
「だから、記憶をなくすほど飲むんじゃねぇっつってんだよ。まぁ安心しろ、お前が総司にめちゃくちゃ惚れてるってこと、言っといてやったから」
「なっ、何で言うんだよ!恥ずかしいだろ?」
「でもそれを言ってなきゃ、お前本気で愛想尽かされてたぞ? それでも良かったのか?」
「う、それは良くねぇ」
「なら俺に感謝しろよ?」
「あぁ、助かったよ」
渋々お礼を言う新八の情けない顔を見て、左之助がおかしそうに笑う。
「今なら総司も少し機嫌が良いだろうから、すぐに謝りに行けよ」
「……だな、行って来る!」
切り替えの早い新八が嬉しそうに駆け出していくのを見て、左之助はやれやれと溜息を吐いた。新八のことだ、今許してもらってもまた繰り返す気がする。だけど総司を宥めるのには苦労したんだ、次は新八に泣きつかれても絶対に放っておこう。
そう決意して、左之助は自室へと戻って行った。

同じ頃、総司の室には息を切らせた新八が入り込んでいた。入るなり土下座をして、酒よりお前の方が好きだ! 大好きだ!と叫んだ新八に、総司は驚いて言葉を発せずにいた。
何も答えてくれない総司の方へ、新八が恐る恐る顔を向けると、目が合った途端に総司がぱっと顔を逸らす。総司の頬に朱が差しているのは、新八の角度からは見えなかったのだけれど。
「でも、昨日はお酒の方が好きだって言ってました」
「悪かった! 酔ってたんだ、お前より好きなもんなんてねぇよ! これが本音だ!」
「そんなこと今更言われても、信じられないんですけど」
「お前が許してくれるまで何でもする! 何でもするから、どうか信じてくれ!」
「何でもですか?」
「あぁ、何でも言ってくれ!」
総司は少し考えてから、ぼそりと何かを呟いた。
「ん、何だ?」
「だから、……ぶですよ」
「え?よく聞こえねぇ」
「おんぶしてくださいって言ってるんです」
「へっ、おんぶ?」
「駄目なんですか? 何でも良いんですよね?」
「いやそうじゃなくて、そんなんでいいのか? もっと他のことでも良いんだぞ?」
「これでいいんです、してくれないんですか?」
「する! それでお前の気が済むなら何時間だってしてやる!」
新八が叫ぶように答えると、この日初めて総司が新八に向けて笑顔を見せた。少し困ったように微笑むその顔が可愛くて、新八は泣きそうになる。もう二度とこの笑顔が見られなくなるところだった。昨日の自分を殺したいとすら思う。
「んじゃ、ほら。おぶされ」
促されて、総司が新八の背中に乗った。総司をおぶったまま部屋の中をぐるぐる歩くうちに、そう言えば今日は月が綺麗だったなと思い出す。
「総司、外行くか? 月が綺麗だったぞ?」
「え、この格好のままでですか?」
「だってお前、おんぶされてぇんだろ?」
「そう言いましたけど、人に見られるのは……」
「だぁーいじょうぶだって、もうみんな寝ちまってるよ!」
何の根拠もないくせに自信満々にそう言うと、総司の返事も聞かずに新八は外に出た。
裏庭の木の側まで歩いて行き、そこで立ち止まって空を仰ぐ。まんまるの月が、こちらを見ていた。
「ほら総司、見えるか? 綺麗だろ?」
「…………はい」
「ん? どうした? 見えねぇか?」
「いえ、見えてますけど、その、ここだと山南さんに見られそうで」
「別に見られたって構わねぇだろ? ほら、もっと月見ておけよ。今日が満月みてぇだから、明日からあの月はどんどん萎んでっちまうぞ?」
別に月の形なんてどうだっていいのに、と思ったけれど、新八があまりに嬉しそうに言うものだから、総司は「はい」と素直に答えた。
言われた通りに月を見上げたのに、新八が色々と話してくるせいで落ち着いて見られない。何がしたいんだこの人は、と呆れたけれど、そんな新八を好きな自分もどうかしているなと思う。
新八の話に相槌を打っている内に、総司の瞼が重くなってきた。そう言えば昨日は一睡もしていないんだった……

長々と話し続ける新八の言葉に、総司の返事が聞こえなくなっていた。
「総司? おい、総司?総司ってば」
何度呼び掛けても返事が無い。また何か怒らせてしまったのかと焦った時に、すぅと静かな寝息が聞こえてくる。
「あ、寝ちまったのか」
自分の背中で安心して寝てしまった総司が愛しくて、新八はそっと笑った。どうせ聞こえないと分かっているけれど、どうしても言いたくなって「好きだぞ」と呟いた。

総司の部屋の前で総司をおんぶしたままうろうろしている新八を、土方が見つけて「はぁ?」と言うことになるのは、それから数時間後の話だ。
「何してやがんだ、新八」
「いや、総司が寝ちまって、下ろせないからどうしたもんかと」
「馬鹿かてめぇは、誰かに下ろすの手伝ってもらえば良いだろうが」
「でも総司が起きちまったら可哀相だしよぉ、それに俺ももう少しこうしてたかったし……でもさすがに足が疲れてきちまって」
「てめぇの隊は明日の朝、巡察だろうが! とっとと総司を下ろして寝やがれ!」
「しー、土方さん、しーっ! あんたの声で総司が起きちまったらどうすんだよ」
新八に文句を言われて、土方は舌打ちをする。何で俺がそんな気を遣わなきゃならねぇんだ、と。
「手伝ってやるから、お前も部屋に戻れ」
「あぁ、悪いな」
土方の手を借りてようやく総司を下ろした新八は、背中から消えた温もりに僅かな寂しさを感じた。
布団を敷いて、総司を寝かす。
じゃあなと立ち去った土方に礼だけは言ったものの、新八はまだ総司の部屋に残っていた。総司の寝顔を見ながら、もう一度謝る。
「ごめんな、総司」
言ったところで聞こえてないか、と思ってから、そうだ、どうせ聞こえないなら言っちまおう、と思った。寝ている総司の前髪を掻き分けて、額に唇を寄せて囁く。
「昔はお前をこんなに好きになるなんて、思ってもみなかったけど……他の何とも比べられねぇ、俺は総司のことがこの世で一番好きだからな」
言い終えるなり、額に口づけを落とした。それからおやすみ、と言って新八は立ち去る。本人が起きてる間には照れ臭くて言えないから、寝ている総司に言うことしか出来ない。
格好悪いのは分かっているけれど、自分の気持ちを吐き出せて新八は満足だった。

新八の足音が聞こえなくなってから、総司がぱちっと目を開いた。心臓がばくばく言っている。
「新八さんが、あんなこと言うなんて……」
実は土方の声で起きてしまっていたのだ。自分を起こさぬよう、気遣う新八のために寝た振りを続けていたけれど、それが良かったのか悪かったのか。
昨夜と同様に天井を見上げると、額に落とされた温もりが、今になって熱を帯びてきた気がする。思わずそこを手で押さえて、溜息を吐く。
「どうしよう……」
総司は困っていた。今夜は嬉しくて眠れそうにない。
結局この日も、総司は一睡も出来ないまま朝を迎えることになった。

2017.07.01


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