まるで白日夢

ある茶屋の二階で、僕は窓から町を見下ろしていた。いつもは混んでる店なのに、今日に限って僕以外には誰もいない。だから気が抜けてしまったのだろうか、普段だったら絶対にそんなことにはならないのに。たぶんこの日の日差しが、季節を勘違いしてしまいそうなほど暖かかったせいだーーどうやら僕は、知らぬ間に寝てしまっていたらしい。
目を覚ますと、誰かの膝の上に頭を乗せていた。

「……起きたのか?」

上から冷めた声が落ちてくる。目を上げると、つぶらな瞳が僕を見ていた。

「あれ、千鶴ちゃん?」

寝ぼけた頭でそう言ってから気づく、この子が千鶴ちゃんじゃないことに。

「千鶴が良かったのか?」
「いや、千鶴ちゃんかと思っただけで、千鶴ちゃんが良かったわけじゃないよ」

千鶴ちゃんが良かったわけじゃない、という言葉が嬉しかったのか、薫はほんの少しだけ嬉しそうな表情を見せた。すぐにまたつまらなそうな顔に戻ってしまったから、見間違いだったかもしれないけれど。
僕は起き上がって、薫の隣に座りなおす。

「なんで薫がこんなところにいるの?」
「お茶を飲みに来たら、お前が間抜けな顔して寝てたんだよ」
「へぇ、でもなんで膝枕なんてしてるの?」

その質問に薫は答えず、ただ「嫌だったのかよ」とだけ言った。

「ううん、良い夢見た気がするし」

僕の返事に、薫は「そうだろ?」と言って笑う。今度は見間違いなんかじゃなく、明らかに嬉しそうな顔だ。
その笑顔はすぐに偉そうな表情になり、「またしてやるよ」という言葉に変わった。

薫はきっと、居場所を探しているのだろう。
自分が必要とされる場所が欲しいのだ。
どうしてその相手に僕を選んだのかは分からないけれど、追求してはいけない気がして「ありがと」と短く答えた。

おかしいな。いつもだったらこの茶屋は混んでいるというのに、いまは僕と薫しかいない。
静かな時間が流れている。窓の下の喧騒はまるで作り物みたいだ。その音が余計に、僕らのいる空間の静寂を強めている気がした。
ぽつりと薫が言葉を零す。

「前の……お礼だ」
「え? 何のこと?」
「前に……千鶴と一緒に俺を助けてくれた、お礼」
「何が?」
「膝枕」

あぁ、それでしてくれたのか。
自分でもいつ寝てしまったのか記憶にないから、多分最初は畳の上に倒れるように寝ていたはずだ。そのままだったら、首を痛めていたかもしれない。

「薫って、案外律儀なんだね」
「案外は余計だ」
「ありがとう、助かったよ」
「……もう帰る」

薫が唐突に立ち上がった。だけどすぐには出ていかず、ちらりと僕の方を見やる。
それから言いたくなさそうに、僕に質問をしてきた。

「お前、寝てたよな?」
「え? 寝てたから膝枕してくれたんでしょ?」
「寝た振りじゃなかったんだよな、って聞いてんだ」
「うん、寝てたよ。どうして?」
「寝てたならいい」

自分勝手にそう言って、薫は逃げるように階下へと走って行った。
窓から外を見ると、すぐに茶屋から出てきた薫の後ろ姿が見える。ぼんやりとその姿を見つづけているうちに、昼寝の最中に見た夢のことを思い出した。

夢の中で、誰かが優しく僕の頭を撫でていたのだ。
それは、近藤さんだった気がする。だから良い夢だったなと思ったんだけど、その人物はそのあと僕に口づけをしていたような……
さすがに近藤さんはそんなことをしないし、してほしいとも思わない。それに、そうだ、よく思い返せば僕の頭を撫でていたあの手は、近藤さんよりもっと小さかったのではないだろうか。

あれって本当に夢だったのかな。
薫が最後に僕が寝ていたのか確認したのは、もしかしてーー

薫が僕の隣にいたのはつい今しがたのことなのに、全然現実感がなくて、まるで白日夢のようだと思った。

2017.12.11


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