わすれな草は空のいろ

※土→沖、原→沖からの土沖
※坂本さんのエピソードと、細かい諸々捏造


 空を切り取ってきたような真っ青な花の束を抱えて、雪村千鶴が屯所に戻ったのは昼過ぎのことだった。外出しようとしていた原田が出くわし、その花はどうしたのかと訊ねる。

「……坂本さんに、いただきました」

 言いにくそうにそう答えた千鶴に、原田が笑う。その花束を返せないよう千鶴をうまく言い含んでいる坂本の姿が、容易に想像出来たからだ。

「別にそれくらいでお前が新選組を軽んじてるなんて思わねぇから、気にすんなよ。花に罪はねぇんだ、大切に飾っておけ」
「はい!」

 嬉しそうに笑って返事をした千鶴に、原田が花の名を訊ねる。

「これは外国からの花だそうで……、えっと、ふぉ、ふぉげっとみぃ……なんとかって、坂本さんは言ってました」
「へぇ、難しそうな名前だな」
「そうですよね、私も覚えきれませんでした」

 照れくさそうに笑った千鶴と別れ、原田は外へと出て行く。普段は気にも留めていなかった路傍に咲く花が、今日はやけに目についた。自分も大概単純だなと思いながら、原田は歩を進めていく。結構な距離を歩いたけれど、坂本が千鶴に渡したあの花ほど蒼ざめた色のものは見当たらなかった。
 原田の目的地には、既に先客がある。その人物を認めた途端、原田は無意識に相好を崩していた。

「悪い、総司。遅れちまったか?」
「左之さん! いえ、僕が早く着きすぎちゃったんです」
「へぇ、そんな楽しみにしてたのか?」
「そんなわけないじゃないですか。土方さんのための予定なんて、さっさと済ませたいだけですよ」

 そう言ってふくれる沖田に原田は笑いかけたが、その表情はどこか寂しげだ。それに沖田は気づかなかったけれど、きっと原田本人も気づいていない。
 二人が肩を並べて歩き出すと、すぐに沖田が文句を言い始めた。

「どうして僕が買い出しに行かなきゃいけないのかな。土方さんの小姓は千鶴ちゃんなんだから、欲しいならあの子に頼めばいいのに」
「どうしてって、そりゃお前が土方さんの句集の紙を、何枚も破いちまったからだろ?」
「わざとじゃないんですよ」
「わざとじゃなくても、お前のせいなんだから。自分がされた側だったらどう思うんだ? やった奴が買いに行けって思うだろ?」
「…………そうかもしれませんけど。でも本当にわざとじゃなかったのに」

 そう言ってむくれる沖田の頭を、原田が優しく撫でる。

「まぁいいじゃねぇか。帰りに何かうまいもの食べてこうな」
「……あんまり高い物は困るんですけど」
「値段なんか気にすんなよ、好きな物食えって」
「え? 僕がご馳走しますよ、付き合ってもらうんですから」
「俺が好きで付いて来ただけなんだから、そんなことしなくていいって」
「でも……」
「いいからいいから。それよりさっさと用事済ませて、どっか入ろうな」
「はい」

 嬉しそうに顔をほころばせた沖田を見て、原田は「やっと笑ったな」と思う。いまここに居ない土方のことを考えるよりも、自分といることを意識してもらいたかったし、むくれた顔より笑顔が見たかったから。

 ――ことの発端は、二日前に遡る。
 いつものこと、と言うべきだろうか。沖田が土方の室に入り、仕舞われていた句集を引っ張り出した、ちょうどその時に運悪く土方が戻って来てしまったのだ。沖田が手にしているものを見て、土方が怒る。反論しようと身体の向きを変えた際、持っていた句集の端が文机に引っ掛かって、表紙から連続して何枚もの紙が破れてしまったのだ。
 土方が「句集を持ち出そうとしたことはこの際許してやるが、破れた紙の弁償はしろ」と言うと、沖田はわざとじゃないから嫌だと答えた。その態度に、ひどい剣幕で怒り始めた土方の声を聞きつけた原田が駆けつけ、仲介に入る。

「明後日買い物しに行く予定があるから、総司も一緒に買いに行くか。土方さんも、その紙は別に今日必要なもんでもねぇだろ?」

と、二人を宥めた。
 第三者の介入で少し冷静さを取り戻した土方は、眉間に皺を寄せながら原田に返事をする。

「あぁ、紙が早く欲しいわけじゃねぇ。こいつが自分のしたこと分かってねぇみてぇだから怒っただけだ」

 これを聞いて沖田が何かを言いかけたが、原田がすかさず「総司も反省してるよな」と問いかけてきたため、渋々頷いたのだった。事実、句集を破くつもりなどなかった沖田は、その点については罪の意識があった。ただ、わざとやったわけでもないことに、土方が必要以上に怒ってくるのが気に食わないだけだ。
 
 一昨日のことを思い出した沖田が、土方の文句をまた言い始めた。いつもいつも煩いのだと言っていると、原田が同意しつつも土方を庇う。

「確かによく怒っちゃいるが、立場上、苦労も多いんだろ」
「土方さんに苦労が多いのは、立場じゃなくて性格のせいじゃないんですか?」
「まぁまぁ、そう言うなって。怒ろうが何だろうが、あの人は女性に人気あるしな。変わる必要もねぇんだろ」
「そんなこと言って、左之さんももてますよね」
「そんなことねぇよ」
「でも僕が女性だったら、土方さんなんかより絶対左之さんがいいんだけどな」
「…………そうか?」

 ありがとな、と続けた原田の声はぎこちない。けれど笑顔で誤魔化してしまったせいで、そのことに沖田が気づくことはなかった。
 町に着くと互いの用を済ませ、美味しいと評判の茶店に入ってから屯所へと戻る。入り口を通り過ぎたあたりで、沖田が原田に申し訳なさそうに頼んだ。

「土方さんにこれを渡す時、一緒に来てもらってもいいですか?」
「あぁ、そのくらい構わねぇぞ。どうした、土方さんが怖いのか?」
「そうじゃなくて、今日左之さんといて楽しかったから、土方さんに怒られて嫌な気分になりたくないんです。左之さんもいれば、土方さんもあんまり怒らないと思うし。あの人、僕にだけ厳しいんだもん」

 原田は気づいていた。土方が沖田にだけ感情的になる意味を。そして沖田がそれに気づいていないことも。迂闊なことを言って、沖田の方まで土方を意識し始めたら困る。だからいつも、返事には気を配っていた。いまもどう言えば沖田が土方を意識しないでいられるかを、必死に考えているところだ。
 しかし何かを答えるより先に、土方と会ってしまった。

「……戻ったのか」

 静かに言う土方に、沖田が無言で紙の束を差し出す。その態度に、土方の眉がぴくりと動いた。慌てて原田が沖田に言う。

「ほら総司、何か言うことあるだろ?」
「……こんなもの買いに行かされたせいで、足が疲れました」
「何だと?」

 沖田の差し出していた紙を、受け取ろうと伸ばされていた土方の手が止まる。すかさず原田が割って入った。

「いや土方さん、疲れたのは仕方ねぇんだ。総司のやつ、ちょっと良い紙を探して歩き回ったから。総司も悪いと思ってんだよ」
「……ならそう言えばいいだろうが。そもそも何で原田に言わせてんだ、てめぇで言えってんだ」
「わざとやったわけじゃないのに、土方さんてばしつこく怒ってくるんですもん。だから、喋りたくないんです」

 誰の目にも明らかなほど、土方に青筋が立つ。それをまた原田が「まぁまぁ」と宥めている。
 原田の気遣いに気づいているからか、土方は舌打ちを一つしてから、沖田から苛だたしげに紙を受け取った。けれど原田には見えていた、受け取る時に沖田の指に触れないようにしている土方が。
 ――気づいたのは、自分もよくやることだから。一度触れてしまったら、理性を保てる自信がないのだ。

 用は済んだと思った沖田が、さっさと自室へと戻ろうとする。それも、原田の着物の端を掴んだまま。その態度に、原田の胸中には痛いほどの愛しさが湧いてくる。沖田を誰にも渡したくない。けれど自分のものでもない。それどころか、沖田も土方を好きなことに、気づかないわけにはいかなかった。
 待ち合わせ場所に着いた時、原田は言った。沖田が早く来ていたのは、楽しみにしていたからか、と。原田は「自分と買い出しに行くこと」のつもりで訊ねたのに、沖田の返事に存在していたのは「土方さん」だけだったから。
 それだけではない。沖田が感情を剥き出しにするのは、つまり本音を言うのは、いつだって土方だけなのだ。原田は、沖田の笑顔が見たいと常々思っている。笑顔にさせてやりたいとも思っている。けれど、もっと信頼してほしい。いや、信頼はしてくれていることだろう。だからそうではなくて……詰まるところ、土方のような存在になりたかった。自分にも、包み隠さない本音をぶつけてもらいたい。
 
 原田の着物を引っ張ったまま歩いていた沖田が、廊下の角を曲がったところで原田を振り返る。

「左之さん、ごめんなさい」
「何がだ?」
「ほんとは左之さんは関係無いのに、ずっと付き合ってもらっちゃって……」
「いいってことよ、あんまり怒られなくて良かったじゃねぇか」
「それも左之さんのお陰ですよね。やっぱり土方さんより、左之さんの方が断然素敵ですよね」

 そう言って微笑んだ沖田に、原田はもう限界だった。

「なら、お前は俺を選べるか?」
「何がですか?」
「言ってただろ、お前が女だったら、土方さんより俺を選ぶって」
「あぁ、あのことですか。当然じゃないですか、絶対左之さんですよ」
「男のお前ならどうだ?」
「え?」
「もしも女だったらとかじゃなく、沖田総司個人としてなら、どっちを選ぶんだ?」

 原田の質問の意味が飲み込めないようで、不思議そうな表情のまま首を傾げる沖田に、原田の理性が飛びそうになる。そこへきて、何も分かっていない沖田が軽い調子で答えてしまった。

「左之さんですけど?」

 いましかない、と思った。沖田は未だに自分の気持ちに気付いていないし、土方も自分の気持ちを伝えるつもりはなさそうだ。沖田が自覚をする前に、自分に好感を持っているいまのうちに……そう思った原田が、沖田を廊下の柱に押し付ける。そのまま唇を、と顔を近づけている途中のことだった。
 原田と沖田の顔の間に布が差し込まれた。……布? 何が起きているのかと改めて沖田を見たつもりが、肝心の沖田の顔が見えない。一歩下がってよくよく見れば、沖田の顔を守るように抱き締めている土方の姿がある。布だと思ったのは、土方の着物の袖だったらしい。あまりにも勢い良く入ってきたから、それが腕だと気づけなかった。

「土方さん?」
「悪い、原田……総司は駄目だ」
「駄目って、何が?」
「総司は渡せない。どうしても、それだけは……すまない」
「渡せないって、総司は別にあんたのもんじゃないだろ?」
「あぁ、違う。だから、ただの俺のわがままだ」
「そんなこと言われてもな、」

 苦言を呈そうとした原田の耳に、「そうなんですか?」という、か細い声が届く。土方の腕に抱き込まれているせいでくぐもって聞こえるその声は、嬉しさを孕んでいる気がした。
 苦しそうにしている沖田に気付いた土方が腕を下ろす。中から現れた沖田の表情は、いままでに見たこともないほど幸せそうだ。原田はそこで、自分の勝ち目はもう無いのだと悟った。
 うまく足が動かない。聞きたくもないのに、その場から動けないせいで、原田は沖田と土方のやり取りを聞くことになってしまう。

「僕、土方さんのことなんて嫌いなんですけど」
「あぁ、知ってるよ」
「でも土方さんは、僕のことが好きなんですか?」
「……あぁ」

 思いがけず素直に頷かれ、訊ねた沖田の方が困惑する。えっ、と漏らした沖田の驚きの声を、土方は「自分の気持ちが伝わっていないのだ」と捉えた。だから、意を決して告げたのだ。

「………………好きだ」

 と。それを聞いて沖田が喜んだことよりも、原田にとっては土方がそう告げたことが一番の衝撃だった。まさかあの土方が、鬼の副長が、自分の気持ちを言うとは思わなかった。一生胸に秘めているだけだと思っていたのに。自分が行動を起こしても、悔しがるだろうが何もしてこないと思っていたのに……。
 土方に告白をさせてしまったのは、自分なのかもしれない。そう思うと、情けなさと悔しさが一気に押し寄せてくる。ふらりとよろめく身体を無理に動かして、二人から離れて行く。その背中越しに、「総司」と痛々しいほどの声音で呟く土方の声と、僅かな衣擦れの音がした。沖田の声が聞こえないのは、土方に全身を抱き締められたせいだろうか。それを確認する勇気は、さすがの原田も持てなかった。

 ふらふらと病人のような足取りで外へと向かう。途中でまた千鶴と会った。その胸には、青い花束。

「あ、原田さん! ……大丈夫ですか、顔色が優れませんけど」
「いや、悪い。ちょっと思い掛けないことがあってな……あ、いまこっちの廊下通るなよ、土方さんが大事な話し合いしてるみてぇだから」
「そうなんですか、分かりました」
「それより、また坂本に会ってたのか?」
「あの、これは……会ったというか、帰り道で坂本さんが待っていて」
「へぇ、それで今朝と同じ花を渡されたのか。清々しいほど分かりやすい奴だな」
 
 いっそ土方が坂本のような男だったら良かったのに、と原田は内心で歯噛みする。こんなにも分かりやすい態度を示すような男となら、正々堂々と勝負出来たのに、と。

「今回は、この花の名前の由来を教えてもらったんです。すごく悲しくて、だからとても大事にしなきゃなって思いました」
「名前の由来? その花の名前、何つーんだっけか?」
「あ、それはまだ覚えきれてないんですけど……でも、意味は "僕を忘れないで" 、だそうです」
「僕を忘れないで?」
「恋人にこの花を渡そうとした男性が川に飲み込まれてしまって、最後の力を振り絞ってこの花を投げて、恋人に"僕を忘れないで"と言って亡くなったと聞きました。その言葉が、この花の名前の由来なんですって」
「そうか、死んじまったのか……可哀相だな。そいつも、その恋人も」
「はい。私はその方を知りませんが、その方の気持ちは忘れずにいてあげたいって思いました」
「あぁ、大事に生けてやれ」

 原田にそう言われ、千鶴はぺこりと頭を下げてから去って行く。
 花の名前の由来を聞いて無性に泣きたくなったのは、死んだ男の気持ちと同調してしまったからだろうか。そんな気持ちを振り切って見上げた空は、いま見た花の束と同じ色だった。
 俺の気持ちは覚えていてもらえるのだろうかと、ふと考える。すぐに無理だと気づいた。だって沖田本人は、気付いてさえいないのだから。
 口付けようとした原田の行動は、土方の腕で隠されてしまった。気持ちだって土方が先に伝えてしまい、原田は沖田に伝えることすら出来なかった。土方の気持ちを知った瞬間から、沖田にはもう、土方しか見えていなかったのだ。割り込む余地すら無かった。

 もっと早く行動に移すべきだったろうか、いや、それとも気持ちを伝えるべきだったろうか。土方への気持ちを自覚する前の沖田だったら、どうにか出来たかもしれない……そこまで考えて、でもきっとそんなことをしても後悔をしていただろうと思う。
 そんなやり方で沖田を手に入れても、心のどこかでずっと「いつか土方さんに取られてしまう」という不安に苛まれるだけだということは、目に見えている。
 だったら今日、あんな行動に出なければ良かったのだろうか――けれど何度考え直しても、あの瞬間に自分はあぁしていただろうという結論にしかならなかった。

 振り返れば後悔ばかりで、いつのまにか俯いていた顔を、原田は再び空へと向ける。目に映った色は、忘れないでと訴えているようだ。肝心の相手に伝わっていなくたって、もし伝わっていたうえで忘れられたって、俺は自分の気持ちを忘れたりしないのに、と原田は思う。

 その日の夜、沖田が原田の室へ来て言った。

「左之さん、さっきはいつの間に居なくなってたんですか?」
「ん? 土方さんが来てすぐだよ」
「じゃあ、あの……土方さんと僕の会話は聞いてないですか?」
「そうだな、土方さんがお前を好きだっつったのは聞いてたけど」

 原田がそう言うと、沖田は照れたように笑う。

「左之さんがいるのに、恥ずかしい人ですよね」

 あぁ、自分の気持ちに沖田は本当に気付いていなかったんだなと原田は確信した。少しでも望みがあれば良い、などと思っていたことが虚しくなる。

「良かったな、大事にしてもらえよ」
「左之さんには助けてもらうばっかりで……ありがとうございました。さっきはお礼を言う前に左之さんがいなくなっちゃってたから、こんな遅くなっちゃってごめんなさい」

 いいさと言って、原田は笑った。きっとこれからは、二人の関係を知っている自分に、沖田は色々と相談をしてくることだろう。
 何でも言ってもらえる土方さんのような立場になりたかった。けれどそれは、こんな「本音」を聞きたかったわけではない。
 そうは思うのに、嬉しそうな表情を浮かべる沖田を見られるのは喜ばしくもあって、原田はいたたまれない気持ちになる。

「お前が嬉しいなら、俺も嬉しいよ。土方さんにいじめられたら、すぐに言えよ。俺がとっちめてやるからな」
「本当ですか?」

 沖田の笑顔からは、幸せが溢れてくるようだった。

 それから、二人のことは誰にも言わないと原田の方から約束し、沖田を帰した。原田の室を出て行った沖田が向かったのは、自室か、それとも土方の室か――それ以上は考えたくなくて、原田は軽く頭を振った。
 けれどどうしたって思い浮かべるのは、沖田のことばかり。もしもこの先もっと大切な人が現れても、狂おしいほどの恋が待っているのだとしても、総司に焦がれていた想いを忘れることなど、きっと出来ない。遊びでも、軽い気持ちでもなかったから。新選組を丸ごと捨ててでも手に入れたいと思っていたこの気持ちも、うまく伝えられなかった情けなさも、結局眼中にも入れていなかった悔しさもすべて――――

「俺は、忘れない」


 日本でこの花に『わすれな草』という名前が付けられるのは、もっとずっと後のこと。明治三十八年である。

title/雪華様
2018.07.16

めい様に捧げます。
リクエストありがとうございました!


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