僕等の恋の詩

僕は基地に住んでいる。戦争は終わったのに、それでも「次」に備えて訓練を怠ってはいけないんだって。
馬鹿みたい、って思うのにやる事もやりたい事も無い僕は結局この基地に住み続けていて、日々訓練とやらを積んでいた。
この基地の最大の特徴は、フェンスを1枚挟んで隣に別の国の基地があること。
もしも僕の国とその国が戦争を始めたらどうなるのかな、っていつも思うけど、何だか小難しい条約があって大丈夫なんだと皆は言っている。そのくせ「フェンスには近付くな」っていうのが暗黙の了解だなんておかしな話だとは思うけど、事なかれ主義の僕はそれを守ったままだ。

とある真夏日。
それはそれは天気が良くて、カラッとした陽気が僕の気持ちも明るくさせた。普段は訓練以外で外になんて出ないのに、この日は日陰になっている場所に座って過ごそうと思った。
あぁ、訓練さえ無ければ外ってこんなに気持ちが良いんだな……。そう思った僕は、いつも見ている紙切れを取り出す。そこには「砂漠の恋の詩(うた)」が載っていた。これは雑誌の切り抜きで、毎日見ているせいで随分すり減ってはいるけれど、まだきちんと読むことが出来る。

こんな愛の詩を読むなんて、本当は柄じゃない。だけどその詩には満月の浮かぶ夜の砂漠の写真が付いていて、雑誌を手に入れてからというもの、どうしてだか僕は何度もそのページを探してしまっていたから、とうとう切り抜いて持ち歩くようになっていたんだ。暗記する程読んでいるのに、今日もその字面に目を走らす。

ほとんど外に出ることの無い僕は、気を抜いていたみたいだ。夏なんて元々風が少ないから余計に気を抜いていて、だから突然吹いた風に砂漠の恋の詩が攫われてしまった。慌てて追い掛けた先にはフェンスがあり、そこにその詩が引っ掛かっている。あぁ、良かったと手を伸ばした時、フェンスの逆側からその紙を取った人物がいた。
何をするんだと思ってそいつを見ると、美しい蒼い目をした男が立っている。それは砂漠の夜を想わせて、僕は一瞬息を飲んだ。

するとその男が僕には理解出来ない言葉で話し掛けてきた。あぁ違う国の言葉を話しているんだな、と直ぐに理解はしたけれど、僕は僕の国の言葉しか喋れないから「君が話す意味が分からない」と伝える方法を考えた。でもどんなジェスチャーをすれば良いのか分からなくて困っていると、突然僕にも分かる言葉で訊かれた。

「これはお前のか?」
「えっ?」

何で突然言葉が理解出来たんだろう?
そんなもの決まっている、その蒼い目の男が僕の国の言葉を喋っていたからだ。それに気付いたら、今度は何故その男が僕の国の言葉を話せるのか不思議に思って、結局ずっと驚いた顔をしてしまった。そんな僕を見てその男は困ったように呟いている。

「この言葉でも分からないのか……?」

僕は慌てて返事をした。

「ううん、分かるよ! それ、僕のなんだ」

そう云うと、その男は静かに微笑んだ。いくらカラッと晴れてはいても、やっぱり真夏日。日陰ではない場所では、ただ立っているだけで汗が流れてくる。その暑さに、目の前で微笑む男の美しい顔は蜃気楼なんじゃないかと疑ったけど、言葉を続けられて現実だと知る。

「この詩は、俺も持っている」

現実なんだけど、その内容は現実感が無くて僕は多分呆けた顔をしていたんだと思う。蒼い目の男が

「どうした? 言葉が分からないか?」

と訝しげに訊いてきたので、また僕は慌てて返事をした。

「違うよ! だってそれは僕の国の雑誌に載ってたのに、何で君も持ってるの?」
「俺もそちらの国に居た事があるからな」
「へぇ、だから僕の国の言葉を話せるの?」
「……まぁな」

初対面だから自信は無いんだけど、まぁなと答えたその表情が何だか辛そうに見えたから、僕は話しを変えた。

「君もこの詩が好きなんだ?」
「あぁ、詩というよりも、この写真が綺麗で取ってある」
「ふぅん、僕も一緒」

それから目を合わせて、僕らはくすくすと笑い合った。僕は自分の基地内の誰とでも気軽に話せるのだけれど、気の合う人間というのはいなくて、だからこんな小さな話しを出来る人に会えて凄く嬉しくなった。
この日の僕達は、流れる汗も、照りつける暑さも忘れて、沢山話しをした。それからまた明日も話そうと言って、僕等は別れる。フェンスを通して返された恋の詩が、いつもよりも特別な物に感じた。
基地に戻ると注意をされたけど、僕ははいはいと言って次の日も、その次の日も、ずっとフェンスに通い続けた。フェンスに行くのは決して規則で禁じられている訳ではないから、僕は気にせず蒼い目の男に会いに行く。蒼い目の男も、毎日僕に会いに来る。
いつしかフェンスを邪魔に感じるようになったけれど、壊す訳にはいかないからなるべくフェンスに近寄って僕等は話をしていた。

そのうちに、蒼い目の男の国の言葉を習うようになる。「こんにちは」とか「おはよう」とか、まずは僕達が会った時に、お互いがお互いの国の言葉で挨拶をしようって決めて。
向こうは僕の国の言葉を知っているから、僕が一方的に習うだけなんだけど、彼に紡がれる言葉はどんな音律よりも綺麗に聞こえた。だからだろうか、つまらない挨拶の言葉すらまるで恋を唄っているようで、教わる言葉は全て特別な感じがする。

毎日僕は夢中だった。彼に会いたくて話したくて堪らなかった。
彼と会っていると時間はすぐに過ぎてしまうのに、彼に会うまでの時間は凄く長くて、会えない時間は砂漠の恋の詩を見て彼を思い出すようになっていた。
余りに夢中で、だからこそ僕は気付けなかった、彼の表情がいつも暗いことに。

ある日、真夏なのに長袖を着てきた彼に違和感を感じる。どうしたのかと訊いても、何でもないとしか答えてくれない。この日ほど、フェンスを邪魔だと思った事は無かった。目の前に居るのに、僕は彼が言ってくれた言葉でしか彼を知る事が出来なくて、それが凄く悔しかったんだ。
だけど余りしつこく訊いて"もう会わない"なんて言われたら困るから、僕は仕方なく話しを変える。

その日から、毎日彼は長袖で来た。一応「暑くないの?」と訊くのは止めなかったけど、彼はいつも平気だとしか答えなかった。
そのうち、彼の表情が暗いことに気付く。いつからこんな表情をしていたのだろう? もしかしたら最初からだった……?
話すことに夢中だったせいで、彼の表情を余り思い出せない自分を悔いた。でも最初は一緒になって笑っていたその彼が、最近は笑わなくなっているのは気のせいなんかじゃない。

「僕と話すの、つまらない?」
「そんなことは無い」

そうは言ってくれるけど、やっぱり笑ってはくれなくて。一方的に僕ばかりが会いたがっているのかと思うと寂しくなる。
だけどこれからも会いたいから、僕はまた話しを変えた。

彼が笑わない日が続いたある日、彼はポツリと呟いた。

「戦争が、始まる」
「え……?」

聞き間違いかな、って思ったけれど。

「俺とあんたの国で、戦争が始まる」

ハッキリと告げられて、僕は言葉が出せなくなった。聞くところによると、彼は一度僕のいる国にいたことがあるせいで、除け者にされているらしい。最近では僕と会うようになっているから、虐めとも取れる事をされ続けているそうだ。その上で僕の国との戦争が始まるとなれば、あらぬ嫌疑を掛けられるのも当然で。
――どうやら、彼の国の基地でもフェンスに寄ってはいけなかったらしい。
それでもたまたまあの日、日陰を求めてフェンスに近寄ったら恋の詩の紙切れが飛んできて、まるで運命のように僕と出会って、とても楽しかったと言ってきた。それなのにもう会えないと、そう言われた。
難しい条約があるから僕達の国は戦争をしないんじゃないの、って聞いてみたけど。

「有事の際には、そんな条約に何の意味も無い」

簡単に告げられて、彼が去ろうとする。僕は必死で呼び止めた。すると彼は振り向いてくれたんだけど。

「俺は……他の者よりも頑張らなければいけない身なのだ」

それは一度、僕の国にいたことが原因らしい。何それ、と言ってはみても彼の目は真剣でそれ以上言える言葉もなく、とうとう彼は僕の元から立ち去ってしまった。
追い掛けたくてもフェンスが邪魔で、僕は彼の後ろ髪にすら手を伸ばせない。ガシャガシャとフェンスを鳴らしても、もう彼が振り返ってくれることはなかった。乗り越えて追い掛けようかとも思ったけど、僕と会ってるせいで虐められていると聞いてしまった今、それすらも出来ない。

僕は悔しくて泣いた。
除隊しようと思ったのに、これから戦争だからと言って僕の意見は却下されてしまう。あの蒼い瞳の彼と会えなくなって、心ここに非ずの状態で過ごしていた僕は、本当にすぐに始まった戦争が何だか遠い国の出来事のようで、現実感の無いまま駆り出されていた。

基地の周りに聳え立つ山の一部に、僕は配置される。彼に会えないならもう生きている意味も無い。そう思った僕は、与えられた場所で何の仕掛けも作らず、ぼんやりと座っていた。
いま敵が来たら、間違いなくやられてしまうだろうな……なんて思って、そう言えばあんなに毎日会っていたのに、彼の名前を聞き忘れていたことに今更気付いた。自分の馬鹿さ加減に笑ってしまう。

「何て名前だったんだろう……」

呟いた時だった。

「知りたいか?」

と問う声がある。驚いて振り返ると、蒼い瞳の男が立っていた。
まさかいるなんて思わなくて、僕は驚いた声を上げるだけしか出来なかった。夢なんじゃないかと思ったけれど、

「俺の名前のことではないのか?」

彼が言葉を続けるから、やっと夢でないと分かる。

「うん、君の名前……」

それから教えてもらった名前は僕の国の物で、僕の国での名前を持つ彼が、いまは親元から離れて別の国の基地で暮らしているのには、きっと様々な理由があるのだろうと思わせた。
僕も名乗ると、彼は「俺も聞き忘れていた」と言って、初めて会った時のように綺麗に微笑んだ。久し振りに見たその笑顔は垣根の無い場所で見たせいか、美しさの余りに不吉に感じられて僕は瞬間怖くなる。そして気付く、今は戦争中なんだってことに。

「もしかして、僕を殺そうと思ってる?」

そう訊くと、困った表情を見せてから

「俺は、他の者よりも功績を上げなければならないから……」

辛そうな口調で言ってくる。「おはよう」や「こんにちは」を綺麗な言葉で紡いだ彼に、その口調はあまりに不釣り合いで、僕は胸が締め付けられた。だから僕はいいよ、と言った。

「僕を殺していいよ」

そう言ってから随分と時間が経ったのに、彼は何もしてこない。ずっと僕の目の前で困った顔をして立っているだけだ。あぁ、彼には銃より月が似合うなと思って、僕は提案する。

「もしも君にその気があるなら、僕と逃げよう」

その未来に、希望なんて無いけれど。それでも僕は、二人の未来に賭けたかった。彼は更に困った顔をしたけど、僕の目を見て問うてくる。

「どこに逃げる気だ」

僕は迷わず答えた。

「砂漠に行こう。二人で駱駝を買って、月を追い掛けよう」

恥ずかしくなる程の夢見がちな僕の言葉に、それでも彼は嬉しそうな顔を作った。その顔に、僕の心は決まった。すぐに彼の手を取り山を駆け下りる。


僕等は逃げて、逃げて逃げて―――


息をつく時、言葉を教わる。

「君の国では、好きって何て言うの?」

言われた言葉は、詩よりも綺麗で。僕は発音が聞き取れないと言って、何度も言わせた。僕の言葉を疑いもせず、必死に分からない言葉で好きと言い続ける彼は、僕がその唇を奪うと僕の国の言葉で好きだと言ってくれた。

それは、何より甘い恋の詩。

2010.03.14

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