思慕恋着

※SSL


「失点1だ」

今朝もまた遅刻となった総司に事実を告げる。走れば間に合うというのに、のろのろと歩いてくる総司は今朝も変わりなく。そして俺が総司に告げる言葉も変わりはなかった。

「起きられぬのなら、せめて走ったらどうだ」

親切で提案したつもりだったのだが、「僕の勝手でしょ」の一言で済まされてしまった。

「確かにあんたの勝手だが、毎朝同じことを言わなければならないこちらの身にもなってみろ」
「それは一君の勝手でしょ? 言いたくないなら、言わなければいいのに」

そうして次の日も、総司は変わらず遅れて来た。大遅刻をする訳ではない、数分遅れてくるだけだ。それでも遅刻は遅刻、失点は付く。進路にも影響してしまうのに、何故気にしないのだ。
だが訊いた所でまた「僕の勝手でしょ」で済まされてしまうのだろうと思うと、どうしてだか何も言うことが出来なくなってしまった。

総司が校舎へ入ったのを見ながら、校門を閉める。それから薫と共に職員室へと向かったところ、途中の廊下で原田先生と並んで歩く土方先生と会えた。

「土方先生、朝の風紀チェックは終わりました」
「おぉ斎藤か、いつも悪いな。総司はまた遅刻か?」
「はい」
「そうか、しょうがねぇなあいつは。じゃあお前等もさっさと教室戻れよ?」

そう言いながら、土方先生が俺の頭を撫でてくる。

「おいおい、お前が撫でたせいで斎藤の髪が乱れちまったじゃねーか」

隣にいた原田先生がそう言って、髪型を整えてくれた。

「有難うございます」
「いいって事よ」

そして最後にぽんと俺の頭に触れてから、土方先生と連れ立ち去って行った。二人が見えなくなった時、隣に居た薫から「お前……」と呆れたような声を掛けられる。

「何だ」
「気付いてないのか?」
「何のことだ」
「……鈍感なのも、ここまで来ると罪だよな」
「何のことだと訊いている」

何が言いたいのか分からない俺に、薫が溜息を吐きながら

「気を付けろって話だ」

と言ってくるので、益々意味が分からなくなる。

「何に気を付けろと?」

訊くと薫は口の端を少し上げた。何がおかしいのだろうかと思った直後のことだ。

「あ、何だか眩暈がする……」

そう言ってよろけたので、慌てて抱き留めた。

「大丈夫か? 保健室にでも……」

心配した俺に薫が寄越したのは、小さな笑い。それから俺に軽く抱き着いてくる。

「薫……?」
「お前は鈍感な上に、騙されやす過ぎるから気を付けろよ、って言ってやってるんだ」

それから顎先に軽く熱を感じた。
熱の原因は、薫の唇……?

「な、何をっ……!」

慌てて薫から離れると

「そうそう、それくらい警戒しておけよ。先生達がいつ襲ってくるか分からないからな」
「ではあんたは今、俺を襲おうとしたということか?」
「……俺がお前なんか選ぶわけ無いだろ?」

軽蔑したようにそう言って、薫は1年の教室のある階へと戻って行った。
突然の薫の行動に驚いた俺は、暫しその場で呆然としていたが、元気の良い声で我に返る。

「何してんだ、斎藤!」

振り返ると永倉先生が居た。

「これからお前んとこで授業だ、一緒に教室行こうぜ」

そう言って、明るく笑いかけてくる。はいと答えた俺の声に、永倉先生が心配そうに言葉を掛けてきた。

「どうした? 元気ねぇな、体調でも悪いのか? あ、もしかしてあの日か?! あぁ大変だ、保健室連れてってやるぞ!」

あの日? あの日とは何の日ですか、と訊く暇も与えられずに抱き上げられた。これは、俗に言うお姫様抱――

「先生、降ろして下さい! 具合は悪くありません!」
「安心しろ! 俺が保健室まで無事に運んでやるからな!」

聞く耳を持たない永倉先生には、何を言っても無駄であった。結局抱き上げられたまま保健室まで連れて行かれ、山南さんには「斎藤があの日で辛いみてぇでよぉ」という説明がなされた。
未だに分からない「あの日」というのを、山南さんも、山南さんと一緒に居る山崎さんも理解しているようだった。永倉先生は「貴方は本当にどうしようもないですね」と笑顔の山南さんに言われ、後ろで山崎さんに溜息を吐かれている。
山南さんは表情も口調も酷く穏やかだが、言っている内容は失礼なのではないか? 永倉先生は怒らないのだろうか? 疑問に思って視線を送ると、永倉先生は歯を見せて笑いかけてきた。

「早退するほど辛くなったら、俺が家まで送ってやるからな!」

そう言って、俺の背中を叩いてから出て行く。嵐のような存在が消えた後の保健室は随分と静かなもので、

「斎藤君、実際気分は悪いのですか?」

と山南さんが訊いてくる声が、随分大きく聞こえた程だ。

「いえ、全く……」
「そうでしょうね。でももしも、という事もありますから、少し検査をしましょうか?」

にこにこと話し掛けてくる山南さんはとても親切に見えて、「では」と頷きかけた俺を、山崎さんが止めてくる。しかし山崎さんの制止に被せて山南さんが言う。

「何かあってからでは遅いでしょう? さぁ斎藤君、服を脱いで下さい」
「そこまでする必要は無いでしょう、斎藤君は授業に出るべきです!」

山崎さんも負けじと、山南さんの言葉に更に被せて言い出す。あとは俺の入る隙間も無いほど二人が言い合いをして、結局検査も何もせぬまま山崎さんに連れられて保健室を出ることになった。

「斎藤君、もしも山南さんに何かされたら私に言って下さい。私が貴方の力になりますから!」

山南さんが俺に何かするとは思えなかったが、俺の肩を掴みながら真摯な眼差しでそう言ってくる山崎さんには、有難うございますと言うしかなかった。
それにしても結局、「あの日」とは何の日だったのだろうか。訊き忘れてしまったなと思いながら教室へ戻ると、永倉先生が授業を止めて俺に構ってきたので、宥めるのに随分と労力を使ってしまった。
いつもよりも騒がしい一日が無事に終わり、帰路へとついた俺の背中に声が掛けられる。

「一君、いま帰りなの?」

振り向けば総司が居て、「あぁ」と答えると一緒に帰ろうと誘われた。断る理由も無いので頷きはしたが、喋ることも無いので黙ったまま並んで歩く。
沈黙の時間を少しでも短くしようと足早に歩く俺に、総司は遅れることなく付いて来た。そのことに、俺は少しの苛立ちを覚える。

「そんなに早く歩けるのであれば、朝もその調子で来れば良いではないか」
「朝はダルイもん」

俺の責めに、総司は飄々とした口調で返してくる。

「そんな問題では済まないだろう、遅刻が多ければ進路にも影響するではないか」
「それって僕が心配って事?」
「そうではない、風紀を乱す者に注意をするのは俺の役目だというだけだ」
「ふぅん、そうなんだ……」

それから訪れたのは、再度の沈黙。何か話したいとは思うが、この状況で話せる事が思い浮かばない。総司の方も何も言わない。
結局黙ったまま肩を並べて、どれ程進んだ頃だろうか。唐突に、総司がぽつりと呟いた。

「しょうがないんだよね」
「何の話だ?」
「ん、こっちのこと」
「そうか」

そしてまた沈黙。
何か言いた気な雰囲気は感じ取れたが、俺ではそれを上手く聞き出す事が出来そうになくて、そのまま分かれ道となる曲がり角まで来てしまった。

「明日は遅刻するな」

そう言って総司と反対の道を曲がろうとした所で、

「一君は人気があるからね……」

と言われた。突然出された言葉の意図がよく分からなくて、総司の方へと顔を向ける。総司は寂しそうな目で俺を見つめ返して、言葉を続けた。

「一君の目に留まる為にはどうすれば良いかな、って考えてたんだ」
「何の話をしている?」
「分からなくてもいいんだけど、ただ僕は……一君と話がしたくて」
「話など、わざわざ遅刻などしなくても出来るではないか」

俺の返事に総司は困ったような微笑を浮かべて、そうじゃないよ僕はねと言い掛けたその時、続きの言葉を掻き消すメロディが鳴った。
突然の音に俺は驚くが、更に驚いたのはその音が俺の鞄の中から聞こえることだった。普段鳴ることの無い携帯が、けたたましい音を出しているのは不吉な予感がしてならない。何となく出たくなくてまごついている俺に、総司が不思議そうに訊ねてきた。

「出なくていいの?」
「あ、すまない」

慌てて鞄を探り、携帯を取り出す。画面を見ると薫からだった。出ると慌てた声で「学校に戻って欲しい」と言われた。
珍しく鳴った携帯も、普段慌てることの無い薫からの呼び出しも、総司の言葉の続きも。どれも俺の気持ちを掻き乱し、今一番にやるべき事が分からなくなる。
電話を切ってからその場に立ち尽くした俺に、総司が声を掛けてきた。

「何かあったの?」
「薫が、何か慌てていて……」
「学校に戻るの?」
「え? あ、あぁ、そうだな、そうなる」
「そ、じゃあまた明日ね。ばいばい一君」
「総司、」
「何?」
「明日は遅れずに来い」
「ほんと、一君て……。まぁいいや、早く行ったら?」

結局総司が何を言おうとしていたのか聞けないままに、俺達はそこで別れた。
急いで学校へ戻ると、遠目に校庭が汚れているように見える。何があった……? 校内に踏み入ると薫が走り寄って来て、事の次第を聞かされた。

「上の階の教室の連中が、窓を開けたまんま窓際に鉢植えを並べていたら全部落ちたんだ。馬鹿で困るよな」
「怪我人は出なかったのか?」
「あぁ、それは大丈夫だった。一応この件は土方先生が率先して片付けてるから、俺達も手伝った方が良いかと思って」
「そうか、分かった」
「まだ落ちてくるのがあるかもしれないから、お前も気を付けろよ」

それから薫は並べられてる鉢植えの方を片付けると言って、校舎へと入って行った。俺は落ちて砕けた鉢や土を片付けようと、一度掃除用具を取りに行ってからその場に戻る。
見上げると窓際に薫の動く影が見え、色々と文句を言う割にはよく働くなと少し感心しながら、掃除を始めた。調度一鉢分を纏めた時のことだった。

「「危ないっ」」

慌てる声は上から聞こえた気がしたので、薫が言ったのだろうかと見上げてみると、果たしてそこには窓から顔を出している薫が見えた。だが声は薫のものとは思えない。いや薫の声も聞こえたのだが、他の者の声が重なっているような……。

そんなことを暢気に考えていた俺の目の端に、何かが落ちてくるのが見えた。気付いた途端、落下速度が増したように感じたそれが「鉢植えである」と認識した時、横から伸びてきた腕にドンッと強く突き飛ばされる。その後、派手な音を立てて先程纏めた鉢植えの残骸と同じ姿に成り果てた元・鉢植えが、それまで俺の立っていた場所に広がっていた。色々な衝撃と驚きとで、立ち上がりもせずそれを見ていた俺に心配そうな声が掛けられる。

「大丈夫?」

声のする方を見れば綺麗な手が差し伸べられている。更に視線を進めると、その手の先には信じられない顔。

「総司……?」

帰った筈では? 何故ここに?
夢でも見ているのだろうかと思ったが、見上げた総司の顎の先から汗が一滴落ちるのが見えた。ぽたり、と落ちた汗に続いてまた一滴。
総司の口調が淡々としていたので気付かなかったが、よく見れば総司の息は上がっていて、そこから伝わる僅かな熱がこれが夢でないと伝えている。

「一君、立てないの? 強く押しすぎちゃったかな?」

ごめんね、と言いながら総司が屈んで俺の顔を覗いて来る。

「いや、それは平気だ。それより何故総司がここに?」
「うん、僕も戻ってきちゃった」

何故、という言葉は出すことが出来なかった。心配して下りてきていた薫に、声を掛けられたから。

「大丈夫か! 怪我してないか…………え、沖田?」
「沖田"先輩"って言ってよね」
「何でお前がここに居るんだ、帰ったんじゃなかったのか?」
「え〜何? 僕がいちゃ悪い理由でもあるの? 僕が居なかったら、今頃一君と話せなくなってたかもしれないのに」
「お前なんかいなくたって俺が守れたんだ」
「へぇ……南雲君だっけ? 君、ちょっと生意気なんじゃないの?」
「お前みたいな遅刻常習犯に、そんなことを言われる筋合いなんて無いからな」

その後暫く二人の言い合いは続いたが、総司が唐突に俺へと向き直り

「ごめん、一君。怪我しなかった?」

と言って抱き上げるように立たせてくれた。近付いた総司からはまだ乾ききっていない汗の匂いがして……突然、胸が高鳴った。
自分の進路も顧みず毎日のろのろと歩いてくる総司が、俺の為に本気で走ってきたのだとその匂いが示している。俺を助ける為に走った総司……。その事実は、総司と触れ合っている部分の熱を強く感じさせてくる。

胸が高鳴るのは何故なのか、そこから湧き上がるこの感情は何なのか……自分の内に巻き起こる疑問。そのどれにも答えが出ないままに、今度は総司も交えて俺達は片付けを再開する。
薫と総司はぶつぶつ言いながらも、素早く仕事を終えていた。

帰りは薫も総司も俺を送ると言い出し、俺の意見を聞かぬまま二人で喧嘩をしていたが、結局総司が押し切ったようだった。
一人で帰れると言ってみたが、俺も総司に押し切られ、家まで送ってもらう事になってしまう。その道すがら、総司の気持ちを聞かされた。好きだ、と。
事も無げに、あっさりと。その言葉を聞かされた俺は、驚いた。

驚いたのは総司が俺を好きだということではない。俺が先程総司に対して湧いた感情、それが「好き」なのではないかと思うと、何の不自然さも感じられないことだ。
そんな俺の胸中の変化にも気付かず、総司は更に話し掛けてきた。

「一君のことを好きな人は多いから、心配なんだ」
「朝会って"おはよう"だけじゃ嫌なんだ」
「僕は一君の特別になりたい」
「だから、僕のことを気に掛けてもらえるように遅刻していこうと思ったんだ」

初めて聞かされた遅刻の理由は余りにも馬鹿馬鹿しくて、けれどそれだけ純粋にも感じられて。呆れつつも、俺は俺で自分の気持ちに気付かされてしまっていたから……。

「俺の特別になったのであれば、遅刻はしないのか?」

俺の問いに、総司は寂しそうに微笑んで

「そうだね、でも僕は卒業するまで遅刻しても良いと思っ……」
「ではもう遅刻の必要は無い、明日からは早く来い」

総司の語尾を切り取って言い放った俺の言葉を、不思議そうに聞いていた総司は、随分と時間を置いてから嬉しそうに笑った。
その笑顔が、総司をより特別に感じさせた事は言わないでおこうと思う。

2010.06.29
+猫屋由様に捧げます

※「思慕恋着」という言葉はありません

.