新年の約束

眼下に星が広がっている。
凪いだ池に空が映っているのだ。

年が明ける刻限にこの場所に来いと、紅い目の鬼に言われていた。
来なくても良かったのに、俺の足はここへ向かい、こうして星を見下ろしている。

何の用かは聞いていない。
そして俺を呼び出した本人の姿も見当たらない。
俺は腰に刺した刀に手を掛けて、いつ何が起きても良いように気を張っていた。

その筈なのに――
後ろから何者かに抱き締められるまで、その気配に気付く事が出来なかった。

「誰だ」

驚きを隠す為に語気を強めて問えば、ふっと空気を揺らすだけの笑いが聞こえる。

「お前をここに呼んだのは誰だ?」
「その声……風間か?」

気配が離れた。
振り向けば、紅い目が俺を見ている。

「俺以外との約束でもあったのか?」
「こんな場所に呼び出す者など、あんた以外に居ると思うか?」
「さぁな、お前の交友関係など俺は知らん」
「…………俺に、何の用だ」

この問いに、風間は皮肉な笑顔を作っただけで何も答えなかった。
俺は腰の刀に手を掛ける。

「答えろ、何故俺を呼び出した? 言わねば斬る」

そう言うと、風間はくくくと押し殺した声で笑った。

「人間風情が俺を斬るだと? 笑わせてくれる。先程は抱き締められるまで、俺の存在に気付くことも出来なかったではないか」
「黙れ!」

俺は容赦無く刀を振った。
その切っ先は風間を掠る事も出来なかったが。
刀を避ける為に、俺から少しだけ離れた風間はまた笑っていた。

「弱いな」

呟かれた言葉に、言い返すことが出来ない。
風間は呆れたような溜息を吐き、ふいに消えた。
いや、消えたように見えただけで実際は俺の目の前に迫っていたようだ。

眼前の紅い目が翳り、黒く見える。
まるで人間のようであったが、目の端で揺れる金の髪が、風間が鬼であることを思い出させた。

顎を掴まれる。
言葉を発する前に唇を奪われた。
直ぐに離れた風間の唇から、俺を嗤う声がする。

怒るよりも驚きが強く、思考がまともに働かない。
静止している俺から、すいと風間が離れた。
同時に風間の視線も俺から離れる。

その目は眼下の星空へと移されていた。
静かに風間が言葉を発する。

「今宵は……」

その時ぱしゃりと小さな音がした。
池で何かが跳ねたのだ。水面に波紋が広がり、星が揺らぐ。
そちらに気を奪われている間に、風間は俺から更に離れていた。

「今宵は、お前の生まれた日であろう?」
「何だと?」

そんなこと、俺自身も忘れていた。
いやそれよりも何故、それを風間が知っているのだ。

「来年の今日、まだ生き延びていたらもう一度ここに来い」

けれど俺の疑問を拒絶するように風間の声が夜闇に響き、踵を返された。
去り際に小さな声で「祝ってやろう」と言われた気がしたが、これは空耳だったかもしれない。
追い掛ける間も無く風間は去った。

先程触れ合った唇を、指先でなぞる。
鬼の世界で、これはどういう意味を持つのだろうか。
それを訊く為に、きっと俺は来年もここへ来るのだろう。

佇む俺の横で、星を映す池だけが凪いでいた。

2012.01.01

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