言葉に出来ない

※現パロで暗いお話です


風間と喧嘩をした。
それはとても些細に思える、けれど大きな事が原因だ。

付き合い始めてから、一度として俺は風間に懸想の言葉を伝えたことが無かった。
風間はそれが辛かったらしい。俺を好きなら言葉にして欲しいと、そう頼まれたが俺は言うことが出来なかったのだ。

誰よりも、風間を愛しく思っている。
それは嘘ではなかったし、好きだからこそ風間に身体を委ねたのだ。
言えない代わりに態度で示していたつもりだった。俺は俺なりに全身で風間を愛しているつもりでいたのだ。だから、俺からすれば言葉を求める風間に苛立っていた。
俺は風間以外には決してこんな態度を取らないし、他の者には近寄ることすら許していないというのに、どうしてそれが解らないのか。

そう言うと、そういうことではないと言われた。
言葉にするのは、また違うのだと。それでも俺は言えなかった。

この日から、俺達は会わない日々を過ごすことになる。
だが二週間が過ぎた頃、かつては毎日風間からの連絡を告げていた携帯の沈黙に居た堪れなくなった。
同時に、自分の受け身な態度を改めて思い知らされる。俺はいつも連絡をもらうばかりで、それに常に甘えていたようだ。
連絡の無いいま、自分の方からメールを入れようと携帯を持ち上げたけれど、想いを言葉にするのが苦手な俺は、何を打てば良いのか分からなかった。

気付けば俺は、外へと走り出していた。
そうだ、言葉に出来ないのだから態度で示すしかない。
風間に逢いたい――


電車を乗り継いで、風間の住む駅へと降り立った。約束などしていないけれど、どうにかなるだろう。
風間の住むマンションは駅から伸びる一本道の先にある。しかしそこはとても離れているため、目的地は見えているのに、走っても走ってもなかなか辿り着くことが出来ない。
今迄は隣に風間が居たから距離など感じなかった。けれどいまは、こんなにも遠い。
だが「愛している」のたった一言すら言うことが出来ない俺には、この程度の代償は当然なのだろう。

駅とマンションの中程まで走った時、道路を挟んだ反対の道に風間の姿が見えた気がした。
一度足を止めて目を凝らすと、矢張りそれは風間であった。
風間に逢いたくて走ってきたというのに、いざ予想もしていなかった場所で見かけてしまうと勇気が萎んで、俺の足はそこで止まってしまう。

風間は俺に気付かず、駅に向って歩いていた。誰かと会うつもりなのだろうか。
俺と違って風間には友人が居るのだ、もしかしたら約束があるのかもしれない。
ふと、風間の会いたい相手は「友人」だろうかという考えた。
連絡を取らなかった二週間、俺は風間が何をしていたのかを知らない。
もしかしたらとっくに俺に愛想を尽かし、新たな恋人が出来てしまったかもしれない……。

考えれば考える程、それが真実のように思えてくる。
俺に気付かぬまま、風間が俺の向かいを通り過ぎて行った。
反対の道に居るのだから、気付かれなくても仕方がない。それは解っているのに、去り行く風間の背中を見たら泣きたいような気持ちになって、思わずそちらに駆け出してしまった。


「風間――っ」


目が覚めた時、目の前に風間の顔があった。
いつもの不遜な表情ではなく、それは不安に満ちている。どうしたのかと訊ねようとしたのに、声が出てこない。
俺の口元には、呼吸を補助する器具が付けられていた。

何だ、これは……?

朦朧としていた意識が、徐々に冴えてくる。
自分の口元の方に向けていた視線を再度風間へと戻すと、風間が泣きそうな顔をしていた。
言葉が出せないのであれば態度で示せば良い、俺は常から心掛けていたことを実行しようと風間に腕を伸ばす。






しかし、そこに腕は無かった。

驚いて、肩の方を見る。
元々そうであったかのように、肩の先は綺麗に無くなっていた。

慌てて周りへと視線を巡らせる。
分かったのはここが病院で、俺はそこのベッドに寝ているということ。そして俺の左腕が無くなっているという、信じられない事実だった。
起き上がれないため、脚があるのか見ることが出来ない。脚は? 脚は、あるのだろうか。恐ろしいことに、感覚が無い。
残っている腕には点滴を打たれていて、その針がずれないように腕は固定されていた。

何故、こんな事に……。

必死に記憶を辿とうとすると、酷く頭が痛んだ。
それでも思い出そうと躍起になっていると、「俺が解るか?」と声が掛けられる。訊ねる風間の声は震えていて、俺を心配しているのが痛い程伝わってきた。
分かる、と伝えたいのに声が出せず、首を振ろうとしても上手く動かす事が出来ない。

その時、やっと思い出した。
俺は風間に会いに行ったのだ。そして風間を見付けて飛び出して――そこで撥ねられたのだろう。
車が来ていることなど、気付きもしなかった。それ程に、風間の事しか見えていなかったのだ。

動けぬ俺の頬を、風間が両手で包む。
そして連絡しなくて悪かったと謝られ、この先の俺の面倒は看ると、だから一生共に居ようと、返事の出来ぬ俺にただ言い続けていた。
そんな風間に、俺は謝罪も御礼も言うことは叶わなかった。

その後は風間の介護のお陰もあって、俺は厳しいリハビリをこなせている。
しかし自力で呼吸が出来るようになり器具が外されても、声を出すことだけは出来なかった。

医者には打ち所が悪かったとだけ言われ、治せないと告げられる。
その時も風間は俺の隣に居てくれて、静かに事実を受け止めていた。

医者の言葉に頷く風間の、場違いな程美しい横顔を見ながら俺は後悔をする。
こんなことになるのであれば、求められたあの時に言っておけば良かった。
たった一言で良かったのに、そのたった一言を永遠に伝えられなくなってしまうなんて。
生涯言える事の無い言葉を俺はただ心の中で言い続けたが、隣に居る風間にこの気持ちが伝わることは無かった。

唯一残された右腕は、利き手ではなかったのもあり、なかなか上手く動かせない。それでも漸く、最低限のことが出来るまでには回復した。
この時はまだ、風間との意思の疎通には文字盤を使用していて、俺が指した文字を風間が追うことで理解してもらっている。
けれど、そろそろ文字を書きたいと思った。自分の気持ちを自分の文字で伝えたかったからだ。
こんな俺にずっと付き添ってくれて有難うと、御礼をどうしても言いたかった。

文字盤を使って、紙とペンを用意してもらう。
漢字のような複雑な文字は書けそうになかったから、平仮名でありがとうと書こうと思った。
幼稚園児のような拙い文字で、何とか「あ」を書く。
随分崩れてはいたが、きちんと「あ」と読む事が出来る。続けて「り」と書いている途中に看護師が入って来た。

「点滴のお時間です」

時間が経っても俺はまだ食事がきちんと出来なくて、今でも点滴を受けている。
風間は慣れた様子で立ち上がり、終わった頃にまた来ると告げて看護師に会釈をしてから出て行った。
することも無く、俺は少し眠りにつく。

目が覚めた時は調度点滴が終わる頃で、そろそろ風間が来るだろうと入口に視線を向けたが、まだ足音すら聞こえない。手元に視線を戻すと、書きかけていた自分の文字が見える。

……書き途中の「り」が、他の文字に見えた。

だから、俺は書く文字を変えることにした。
風間が戻った時にその紙を渡すと、書かれた文字を見た風間は言葉を失っている。


あいしている、と書き直したのだ。

下手な文字では読めなかったかもしれないが、風間は随分時間を置いてから俺に微笑んできた。
それは、今迄見たどの笑顔よりも美しかったように思う。

それから数ヶ月経ち、俺は退院する。
風間の申し出で共に暮らすことになったけれど、普通の生活に慣れるのにはそこからまた時間を必要とした。
それでも変わらず風間は俺を支えてくれいる。

ある日、夜中にふと目が覚めた。
隣に寝ていたはずの風間が居らず、そこに触れると冷えていたので随分前に出て行ったのだろう。
心のどこかでいつ風間に飽きられるかと不安に思っていた俺は、心の方が冷えた。

恐る恐るベッドを降りて、風間を探しに行く。リビングを覗くと、そこのテーブルに風間が突っ伏して寝ていた。
一先ずは、風間が家に居た事に安堵する。近寄ると、風間の傍には空になった日本酒の徳利が置かれていた。
俺は酒を禁じられているので、俺に気を遣って深夜に飲んだのであろう。お猪口だけでも流しに持っていくかと手を伸ばすと、寝ている風間の手の中に何か握られているのが見えた。

それには、見覚えがある。
俺がリハビリ後、初めて文字を書いた紙だ。
つまりそこに書かれているのは―――


あいしている。


これを書いてからもう、幾月も経っているというのに、文字はとても拙いのに……。
俺の知らぬ時にも、もしかしたら見返していたのかもしれない。
たったこれだけのことを、風間がこんなに大事にしてくれるとは思わなかった。
あぁこんなことで喜んでもらえるのならば、言えば良かった。伝えておけば良かった。文字ではなく、自分の言葉で。

改めて、後悔した。
どれだけ願っても、もう言葉で伝えられない。それが悔しくて、涙が零れる。
風間の隣で泣いているのに、声の出ない俺は風間に気付いてももらえない。

ただずっと、「愛している」と心で叫び続ける事しか出来なかった。

2010.10.07
+風間の死ネタにしようかと悩みましたが止めました。

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