鬼狩り

※5000打リク/幕末死ネタ
※本編とは多少設定を変えてます


風間という男に、命を救われたのはいつのことであったか。

そいつは自分の倒した浪士達に侮蔑の目を向けながら、弱いくせに何故戦うのかと俺に問うた。
反論しようにも、この男が現れるまで負けそうな状況下にいた俺は、その時何も言い返すことが出来なかったのをよく覚えている。口を噤んだ俺を笑った男は「風間だ」と名乗り、俺に剣を教えてやると申し出た。必要無いと初めは言ったが、俺は結局その申し出を受け入れていた。
互いに時間を合わせ、俺達は人目を忍ぶように鬱蒼とした林で会い、剣を交える。別に隠れていた訳ではない。足場が悪く、視界も悪い状況こそが練習には相応しいと言われただけだ。

もう何度会っただろうか。
悔しいことに、一度として勝てた試しが無い。


ある日、風間の体調が悪いように見えた。それでも強くはあったが、その筋にいつもの切れは無く、そして前日の雨によりぬかるんだ土に足を取られ、風間はよろめいた。俺は構えていた剣先の方向を変え、風間に近寄る。平気かと声を掛けると、馬鹿者と睨まれる。

「その甘さは命取りだ、敵を心配するなど以ての外だ」
「だがこれは稽古で、別にあんたは俺の敵ではないだろう。体調が悪そうだな、どこかで休……」
「何を言っている、俺は平気だ」

そう言ったかと思うと、風間は体勢を立て直し俺に斬りかかってきた。だが僅かに届かず、風間の刀は空を切る。

「矢張り体調が悪いようだな、今日はここまでで良い」

風間は不本意そうな表情を浮かべたが、静かに納得の言葉を返してきた。


俺が風間について知っているのは、剣の腕と「風間」という名前だけだ。その他のことは一切知らないし、訊いたことも無い。風間自身も、自分のことを語ることはなかった。当然風間の住んでいる場所など、俺は知らない。送ろうにも道が分からない。どうしたものかと悩んでいると、帰れと言われた。

「俺はここで少し休む、貴様は帰れ」

放っておく訳にはいかないと反論をした。当然断られたが、俺は退かなかった。風間は渋々といった表情で、俺が隣に座るのを見ていた。
風間の息遣いは熱っぽく、辛そうに聞こえる。暫しの間、俺達はただ黙って並んでいるだけであった。

その内に、風間の呼吸が整ってきた。随分と回復が早いものだと驚いたが、そのことを問うよりも先に風間が口を開いた。
ぽつり、ぽつりと。短い言葉で、風間がこの国のことを話す。随分と先まで見据えた、厳しい言葉であったように思う。その時の、真摯な視線に惹かれなかったと言えば嘘になる。俺は風間に何と答えたのか記憶に無い。もしかしたら何も言わなかったのかもしれない。
突然、話を変えられた。

「俺の秘密を、教えてやろう」

疑問を視線で投げ掛ける。俺を見返した風間が口の端を上げ、楽し気な口調で呟いた。


俺は鬼だ


直ぐには理解出来なかった。鬼など、昔話に出てくる架空の存在でしかない。呼吸は整ってきたようだが、矢張り熱があるのだろう。それとも冗談なのだろうか。俺にはそういったことを面白いと思う感覚が備わっていないから、笑うことが出来ない。けれど無視する訳にもいかない。だから俺は頭を捻り、返事をした。

「俺もだ」

風間は驚いたように目を見開いたが、直ぐにその表情を微笑みに変えた。鬼のくせに弱いのだなと言われ、俺も少し微笑んだように思う。
だが風間のそれとは随分と違った筈だ。風間の顔は、まるで泣いているような、酷く悲しそうなものに見えたから。


その後も変わらず俺達は時間を合わせて会っていた。徐々に、剣を交えるよりも話す時間が増えていく。話すのは、いつもこの国の未来のことばかり。俺達の意見が合うことは少なかったが、それでも互いを批判することはしなかった。
きっと俺達がしていたのは意見の交換などではなく、互いを知ることだったのだと思う。相手を知るというのは、何も名前や家を知ることだけでは無いのだ。

ある時、ふと風間は新選組に来ないだろうかと思った。

「俺は、新選組三番隊組長、斎藤一だ」
「突然何だ」
「風間、新選組に入る気はないか?」
「何故」
「あんたほどの強さが、新選組にあれば良いと思ったのだが……」

俺の言葉に風間は笑った。笑っているのに、矢張りどこか悲しそうに見える。

「弱い人間共と共に生活するなどお断りだ」

何となく予想していた答えであった。きっとこれ以上言っても風間は来ないと予感もあった。だから俺は「そうか」とだけ言い、直ぐに話を変えたのだった。


いつからだろう、風間と会うことが特別になっていた。何故あんなにも悲しそうに笑うのか、その理由が知りたかったが訊けないままに時間だけが過ぎていた。

そんな折、新選組内で幹部が一気に集められた。副長が厳しい顔で告げた、「鬼狩りをする」と。
話によれば、どうやら薩摩には「鬼」がいるらしい。薩摩の強さは鬼にあり、鬼さえ消せれば薩摩など恐るるに足らないと言う。
鬼という単語に、俺はふと風間の顔を思い浮かべた。けれどあれは冗談だ、この世に鬼など存在しない。風間を思い出した自分に、呆れてしまった。

「斎藤、何かおかしいか?」

副長の厳しい声に、俺は自分の考えに笑っていたのだと気付く。

「いえ、申し訳ありません。ただその――鬼というのは……」
「俺も詳しくは知らねぇが、鬼だと聞いた」
「鬼のように強い、という意味では? 鬼などこの世にいるとは思えませんが」
「そうだな、俺も何とも言えねぇが……強い集団がいるならまず叩く。これは間違ってねぇだろ?」
「はい、俺は副長について行きます」

その後の新選組の準備は早かった。情報の伝達も早く、向かうべき場所も既に分かっているようだった。

副長に続いてその場所へと向かう。陽がもう直ぐ落ちるというこの時間、地に伸びた自分の影に言い知れぬ不安を呼び起こされる。頭の隅に、風間の陰。

いや、まさか。

何度も頭を振って掻き消す。だが消えてくれない。
鬼などいない、そう思うのに風間の強さを思えば完全な否定がしきれないのだ。


そして俺は、真実と直面する。


着いた場所にいたのは、まさかと言うべきか、否、矢張りと言うべきか。そこには先ほど沈んだ光を思わせる髪色の、そう、風間が立っていた。

副長が何かを叫んだ気がする。それは風間に言ったものだったか、新選組への指示だったか。だが俺には聞き取れなかった。
副長の掛け声からどれほどの時間が経ったのか、それとも直ぐのことだったのか。それすらもよく思い出せない。新選組が風間に一斉に斬りかかる場面を、俺は他人事のように見ていた。

音が聞こえなかった。
まるで夢を見ているようだ。

俺は動くことが出来ずにいた。それなのに風間が誰かの相手をしている隙に、副長が風間の死角から刀を刺そうとしているのが見えた、

刹那、

腹に激しい衝撃を受けた。
痛いという感覚などではない、ただ――――衝撃。

流石副長は強いな、と思う。風間と同じ位強いのではないか。強いのに、何故驚いた顔をしているのだろう。
あぁ、俺が風間を庇ったからかもしれない。


酷くゆっくりと、俺は倒れていく。地面に叩きつけられる覚悟をしたが、背中にはやんわりとした感覚。
俺は誰かに抱き留められていた。

見上げれば風間によく似た顔がある。その髪は白く、額に角のようなものが見えた。
誰であろう、こんな者新選組にいただろうか……


ごほっと咳が出た。同時に血が舞うのが視界に入る。副長についていくと言ったのに、俺は嘘を吐いてしまった。これはその報いなのかもしれない。
血が俺の襟元を染めた。それを認めてから、もう一度視線を上げると、そこには金の髪の風間がいた。白い髪の男はどこへ行ったのだろう。

風間に声を掛けようとすると、また咳が出た。呼吸が上手く出来ない。だが伝えなければ、心配そうな顔をするなと。戦いの最中、敵を心配するなど以ての外だと自分で言っていたではないか。

俺は平気だと言いたくて、けれど言葉に出来なくて、だから俺は笑うことで伝えようと思った。上手く出来たかは分からない。ただ斎藤と呼ぶ悲痛な声だけが聞こえた。これは誰の声であったのか……副長のような気もしたが、別の声のようにも思える。
あぁそれよりも伝えなければ。風間に、俺の……

俺は風間の肩口を掴んだ。

「俺の―――  」

ここでまた、咳が言葉の邪魔をする。口の中に血溜まりが出来て、呼吸をするのも言葉を出すのも難しい。それでも、続けた。

「俺の、秘密を 教えよう……」

風間が、俺の手を強く握った。喋るなと言われた気がするが、俺は伝えたい―――

    

あんたが、好きだ



俺の言葉に、風間は悲しそうな顔をした。いや、笑ったのかもしれない。風間はいつも、悲しそうに笑うから。
何故そんな表情で笑うのか。今こそ訊きたいのに、言葉が、声が、出てきてくれない。

目の前で、風間が何か言っている。こんなにも傍にいるというのに、何故かその声は聞こえて来なかった。仕方なく、風間の口の動きを見た。

あの時、俺が助けてやったことを無駄にするな

そう言ったように思う。あの時とは、俺達が初めて出会った日のことだろう。
ぼんやりと、風間は薩摩の者だったのだと思い出す。
弱い者と共になどいられないと言っていたのに、薩摩の者と一緒にいたのは何故だろう。風間より強い者でもいるのだろうか……
それよりも薩摩に身を置く風間が、何故あの日俺を助けたのだろう。俺が新選組であることは、浅葱の着物で分かっていた筈なのに。

問いたくとも、もう訊けそうになどなかった。
俺は好きだと言えたのだったか、それすらも思い出せない。


もしかしたら、まだ言っていなかったかもしれない。

ならば伝えなければ 風間に  好きだと―――





風間の肩を掴んでいた斎藤の腕が、力を失い地に落ちた。そのまま風間が斎藤を抱き上げる。土方の方を向き、「斎藤は、俺が貰う」
そう言って、既に息の無い身体を大切そうに抱き締め直し、その場から去って行った。

それから風間の姿を、薩摩で見た者はいない。





――――果たして、鬼狩りは成功したのだろうか。


2011.05.10
+涼香様に捧げます

.