賭け事

ひとつ、賭けをしよう

そう風間に持ちかけられたのは、ひと月程前のある雨の夜だった。
賭けとは何だと問う俺に、口端を上げて笑う鬼は酷く妖艶で、思わず惹かれそうになる心を目を逸らして抑え込んだ。
そして呈されたのは、思いもよらぬ内容であった。

「どちらが先に気持ちを打ち明けるか、賭けをしようではないか」
「気持ち? 気持ちとは何だ」

訊ねる俺に、軽蔑の目が向けられた。

「お前は俺を、好いておろう」

不意に当てられた本心に動揺が隠せず、直ぐに返事が出来なかったことで肯定を示してしまったのが、何とも不覚だ。
口惜しそうに唇を噛んだ俺を、風間が薄く笑う。

「隠す必要など無い」
「大した自信だが、根拠でもあるのか?」
「あぁ」

そう頷いた風間は「俺も同じ気持ちだからな」と、いとも簡単に告げてくる。同じ気持ち? それはつまり、風間が俺を好きだということだろうか。
溜息のような笑いを一つ零して風間が続ける。

「お前を見ていれば分かる。先程も俺から目を逸らしていたが、あれは俺を意識してのことであろう」
「どうしたらそんな勘違いが出来るのか、教えてもらいたいものだ」

強がる俺の言葉など意にも介さず、風間は話を戻した。

「まぁ良い、賭けに乗るか?」
「……賭けるということは、何か報酬があるんだろうな」
「そうだな、勝った方が負けた者に一つ頼み事が出来るというのではどうだ。負けた者に断る資格はない」

言われて暫し考える。
俺がこの鬼に素直になれることなどきっと無い、だから俺が気持ちを伝えるなど有り得ぬ事態だ。とすれば、当然俺が勝つだろう。
ならば勝って、そしていつでも余裕のこの男に「賭けのことなど気にするな」と、余裕の表情で言ってやろうではないか。

「分かった、賭けに乗ろう。あんたにさせたいことなど無いが、負ける気も無い」
「無論、俺もだ」

その日はその約束だけで別れた。
以来、雨の日には寂れた茶屋の片隅で、誰にも見つからぬよう逢瀬を重ねて賭けの続きを行っている。

しかし、逢う度に俺が不利になっていく。
風間は顔色一つ変えず、まるで太夫でも口説くような甘言を繰り返すのだ。慣れぬ言葉の応酬に、俺の口数だけが減っていく。
風間は巧妙に肝心の単語だけは避け、けれど実に口が上手かった。
このままでは敵わない、そう悟った俺は勝負に出た。

「あんたが俺に、特別な感情を抱いたのはいつだ」
「一目見た時からだ」
「……初めて会った時、あんたは女鬼を連れに行こうとしていたではないか」
「あぁ、だからこそお前に会えた。天霧達の手前、頭領である俺が目的が変わったなどとは言えなかったのだ、許せ」

誘導するつもりで口を開いたと言うのに、風間が淡々と告げてくる内容に、俺の方が恥ずかしくなってしまった。 よくぞこうも舌が回るものだ。
呆れつつもふと、風間はこういったことに慣れているのかと疑問が湧いた。

「あんたは随分と口が巧い、俺以外にもこういったことを言っているのではないか?」

俺の問いに、風間は可笑しそうに笑う。

「それは嫉妬か? 安心しろ、お前以外に興味など無い」
「では何故、そんな恥ずかしい言葉を簡単に言えるのだ」
「馬鹿なのか貴様は、本気だからに決まっておろう」

嘘など言えるかと続けられた言葉に、また俺だけが緊張する。勝負がつくまで、ずっとこんな科白を聞かされるのか……そう思い至ったが最後、最早限界であった。

「もう良い、俺の負けだ」

唐突に告げた俺に、風間が驚く。

「随分とあっさり認めたな」
「これ以上、あんたの話を聞いていられない」
「では俺への気持ちを言ってみろ、そういう賭けであった筈だ」
「あぁ、分かった……」

負けだと言ってはみたものの、いざ促されると素直に言うのは躊躇われた。 だが負けを取り消すと言うのも武士道に反する気がして、どうにか巧い返しは無いものかと頭を働かせる。
しかし残念なことに、色事に疎い俺には何も浮かばなかった。

仕方なく「す」とだけ呟いてみたが、続く一文字がどうしても言えない。 かなりの時間を沈黙に費やして、結局言えぬと判断した俺は、今夜は諦めてもらおうと思った。

「次の雨の日までに、言える準備を整えておく」

それだけ言って、帰る為に背を向けた。後ろで呆れたように溜息を吐いた風間が俺の名を呼び、引き留めるように肩に手を掛ける。
首だけで振り返り、目線で何だと問い掛けると

「好きだ」

事も無げに言われてしまった。

「俺の負けで良い」

そう言って笑う風間の手は、いやに熱かった。肩に置かれていただけのその手が、ぐいと俺の身体を風間の胸元へと引き寄せる。
抱きこまれる形になった俺に、「望みは何だ」と風間が囁く。

「望み?」
「賭けの報酬だ、負けた俺にお前は一つ頼み事が出来る」
「先に負けたのは俺の方だった筈だが」
「何を言っている、先に気持ちを打ち明けた方が負けだと決めていたではないか」
「だが、」
「いいから言え、望みは何だ。何でも叶えてやるぞ」

向けられる余裕の笑みに、形式上は勝った筈の俺の敗北感がどんどん募っていく。

「では、もう一度……」
「もう一度、何だ」

敗北感を払拭しようと、もう一度勝負をしろと言うつもりであった。けれど何だと問い返す風間の声が、酷く甘かったから――

「もう一度、言って欲しい」

思わず強請ってしまった。
小さく笑う吐息で空気を震わす風間は、一度だけで良いのかと言いながら、返事も聞かずに好きだと俺の耳元で呟く。
風間の胸に顔を埋めてる今なら言えるかもしれない。そう思って、俺もだと言って風間の背に腕を回す。瞬間、きつく抱き締められて「すまない、嘘を吐いた」と告げられた。
直後に愛していると言われ、それ以上言うなと言って背中に回した腕に力を込めた。

2015.01.29

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