出口がない

新選組を離隊した斎藤の前に、音もなく鬼が現れたのは、不吉なまでに月の美しい夜だった。
それは余りに唐突で、斎藤は自分を見詰める紅い目をただ見つめ返すことしか出来ずに居た。
目の前の男が溜息のような笑いを漏らす。その拍子にさらさらと流れた金の髪が、夜目にも輝いて見えることに気を取られた瞬間だった。

「お前を、攫いに来てやったぞ」

闇に融けそうな声が、斎藤にそう告げた。
言われた意味を暫し考えたものの、結局分からず「頼んだ覚えなどないが」と答える斎藤に、鬼は楽しそうに笑う。

「あぁ確かに、頼まれてはいないな」

何がそんなに可笑しいのか、その鬼――風間は、またくくくと喉を鳴らしている。

「言いたいことはそれだけか? 俺は帰りたいのだが」
「俺の屋敷へか?」
「泊まっている宿にだ」

斎藤の強い言い方に、風間がまた笑う。
笑う合間に小さな声で「そうこなくては」と呟かれた声が風に乗って耳に届き、風間が何か企んでいるのかと思うと、斎藤は落ち着かない気持ちになった。
長く一緒に居てはいけない、早くこの場を去らなければ取り返しのつかないことになる。

「宿に戻っても良いだろうか」
「まぁ待て、お前の逃げ道を作ってやる」
「逃げ道?」

訝しむ斎藤の前で、悠然と微笑んだ風間が言葉を続ける。

「俺が、お前を攫いに来た」

その相変わらずの不遜な態度に、斎藤が首を傾げる。

「先程と、何が違う?」
「この先俺と共に過ごすことを、俺に攫われたからだと言い訳が出来るようにしてやったのだ。これならば良かろう? 人間は、誰かのせいにしなければ生きていけない、愚かな生き物だからな」

愚かだと言うのなら、何故その自分を連れて行こうとするのか。
そう訊ねようとしたのに、既に目の前に迫って来た風間が、偉そうな口調とは裏腹に優しい目をするから。まるで壊れ物を扱うように、そっと手に触れてくるから――
拒絶の言葉を投げつけるつもりでいたのに、思わずその手を握り返してしまった。


連れて来られた風間の屋敷は、恐ろしく静まり返っている。
鬱蒼とした木々の間に聳えているのに、虫の気配すら感じられない。ここだけが世界から切り離されて、死んでしまったかのようだ。
背筋に冷たいものが走るが、見越したかのように「怖いのか?」と笑う鬼に、「そんなことは無い」と強がってしまう自分は、確かに愚かなのかもしれない。

では入れ、と風間が斎藤の手を引く。
一人で歩けると言って手を離すのは簡単なはずなのに、大人しく手を引かれている自分を不思議に思いながら、斎藤は風間の低い温度を感じていた。

通された寝所には、寝る為に必要な物以外何も無い。
にも関わらず殺風景に見えないのは、屋敷の造りが立派だからだろうか。
それまで繋げられていた手を風間が離す。途端、これからここで自分達が何をするのか考えてしまい、斎藤は部屋から目を逸らしてしまった。
急に恥ずかしくなった。けれど今更怖気づいたなどと、弱音を吐くことも恥ずかしい。かと言ってそれが目的でここまで来たのだと思われるのも心外だ。

斎藤の葛藤を知ってか知らずか、「今夜は疲れたであろう」と風間が声を掛けてきた。
湯に入りたいか、それとも直ぐに休みたいかと訊ねてくるその口ぶりには、含むところが感じられない。
風間が純粋に自分の身を気に掛けているのだと知って、斎藤はまた恥ずかしくなった。自分だけが別のことを考えていたのかと。

「では、休ませてもらう」
「ならば着替えを用意しよう」

斎藤の言葉に頷いた風間が静かに部屋を出る。廊下を進む風間の足音が聞こえなくなると、痛い程の静寂に包まれた。
駄目だ、落ち着かない。
斎藤は視線だけを忙しなく動かすが、目に留まるのは二組の布団だけで、矢張り落ち着かない気持ちになる。
直ぐに戻って来た風間に渡されたのは、それまで斎藤が寝る際に着ていた薄手の襦袢などではなく、上質な白い着物であった。

「俺には、過ぎた着物だ」

慣れない着物では、よく眠れないかもしれない。
そう思って風間に突き返したのだが、「ここにはそれしかない」と言われて着るしかなくなった。

自分の着替える横で風間も同じように着替え始めるのを見て、あんたも休むのかと訊ねた斎藤に風間が薄く笑い、まだ着替え途中の姿のまま近付き温度の無い指で斎藤の顎を掬った。
上向かされた視線の先で、風間の紅い目が僅かに揺らいだように見えた。いや、部屋の隅に置かれた行燈の火が揺れたからそう見えただけなのかもしれない。

それなのに、聞き逃しそうな程小さな声で離れたくないのだと呟いた風間に、斎藤の胸が痛くなる。
どれ程の想いで、この男は今自分の前に立っているのか。あんなにも偉そうで、あんなにも余裕を見せていたくせに、こんなにも息苦しそうな言い方をするのは卑怯ではないか。

今しがた感じた風間の目の揺らぎは、見間違いではなかった。それの意味する所はきっと、愛情の片鱗だ。
だから俺の目も恐らく、風間には揺らいで見えていることだろう。
矢張り風間が現れた時に、無理にでも逃げておけば良かった。きっと取り返しがつかなくなると、俺は予感していたというのに。

胸の痛みは瞬く間に熱へと変わり、斎藤の左手が無意識に風間の着物の端を掴む。
名前を呼ぼうか、愛しさを伝えようか、それとも会えずに居た期間を嘆こうか。溢れ過ぎた気持ちが吐き出す言葉を見失わせ、ただ掴んだ着物を引くことしか出来なかったけれど、それよりも先に風間の唇は重ねられていた。

直ぐに離された風間の熱を追う斎藤の唇に、風間の息が掛かった。笑っているようだ。

「あと一度口付けたら、どんなに嫌がられようとも今夜は寝かすことなど出来なくなるぞ?」

もう触れ合うような距離でそう言った風間は、斎藤なら離れるだろうと思っていた。
しかし予想に反して斎藤が躊躇いもせず唇を合わせてきたので驚いた。
このまま続けて良いのかと、訊ねるべきか悩んだのは一瞬で、斎藤の顎に触れていない方の手に斎藤の手が当たった刹那、斎藤の方から指を絡められて迷いは消えた。
言葉を出す間さえも惜しかった。
深まりゆく口付けに呼吸が乱され苦しくなる。けれどこれまで会えずに居た時間の方が余程苦しかったのだと、相手の熱を感じて自覚した。


風間の宣言した通り空が白み始めるまで寝かせてもらえなかった斎藤は、解放された明け方に意識を失うように眠りに落ち、その日の夕刻になってやっと目が覚めた。
室内に風間は居らず、探しに行こうと立ち上がろうとした瞬間、脚に力が入らなくてまた布団に倒れ込んでしまった。

風間はどこに居るのだろうか。呼び掛けようにも声も出ない。喉がからからに乾いている。
疲れていた。なのにかつてない程の充足感があった。
あぁそうか、俺は風間に会いたかったのか。ゆるゆると記憶を辿り、初めて関係を持った日のことを思い出す。
あの時は殺したいと思っていた筈なのに、おかしなものだ。

その時、襖の外から「起きておられますか?」と声が掛けられた。聞いたことのある声なのに、誰のものだか思い出せない。
起きている、と答えたつもりだが声が掠れているので相手に届いているのか心配だ。起き上がれないから、内側から襖を開けることも出来ない。
そう考えている内に「失礼します」と声の主が入って来た。その顔を見て思い出した。そうか、この声は天霧のものだ。

彼もここに住んでいるのだろうか。昨夜は誰の気配もなかったけれど、風間も音も無く現れたし、鬼とはそういうものなのかもしれない。
そんなことを考えていると、天霧が表情も変えずに「良かったです」と言った。

「起きておられましたか、気分はどうです?」

問い掛けに返事をしたかったのだが、喉の奥が張り付くように乾いていて、直ぐには声が出せず緩慢な動きで首を振ることしか出来なかった。
別に気分が悪い訳ではないのだが、きちんと伝わっただろうか。表情が変わらない為、天霧どう受け取ったのかは分からない。

「食事の支度はしてありますが、食べられますか?」
「み……ず、、が、飲み、、たい」

言葉を出すのが辛くて、途切れ途切れに答えた斎藤に「少々お待ち下さい」と丁寧に頭を下げて天霧が出て行く。風間はどこに居るのだろう、天霧が戻ったら訊いてみようか。
そう思っていたが、水を持って来た天霧の後ろに風間も付いて来ていた。天霧に見えぬよう斎藤に笑い掛ける姿に幸福感が湧いて、同時に夢なのではないかと不安にもなった。

水を飲んでる最中、風間と天霧の二人から屋敷についての説明を受ける。
朝と夜だけ食事や湯の用意の為に鬼が来るが、それ以外は風間しか居ないとのことだった。天霧も先程来たのだと言う。

「風間から、あなたは大切な客人だと言われています」
「客人……」
「私が来るのは偶にですが、何か不便があれば言って下さい」

敵である頃からそうだったが、天霧の態度は酷く丁寧だ。
客人と言っているからには、風間は俺との正確な関係は知らせていないのだろうが、しかしこれまで敵であった俺を突然もてなすことに抵抗は無いのだろうか。
何と返したものかと悩んでいる内に、天霧は出て行ってしまい、風間と二人きりになった。

「天霧は、俺が客人だと言われて納得したのか?」
「天霧なら、みなまで言わずとも俺がどうしてお前を連れてきたかくらい察している」
「そう、なのか……」

と言うことは、俺達が昨夜何をしていたかも分かっているということだろうか。
急激に恥ずかしさが湧き上がるが、風間が深く考えるなと言った声がやけに落ち着いていて、何となく安心することが出来た。


この日から風間と過ごす日々が続いていく。
ここでの生活は平穏で、嘘のように平和で、けれど退屈は感じなくて、時折幻を見ているのではないかと疑った程であったが、夜になって風間に与えられる熱が紛れもなく現実だと教えてくれた。
今迄住んでいた場所から隔絶されたこの空間は幸福に満ちていて、この日常が当たり前に続いていくものだと思っていたある日、目が覚めると隣に風間が居なかった。

探しに寝所を出た斎藤は、微かに人の話す声が聞こえてくることに気付く。
そちらに向かって歩いていくと、声はどんどん鮮明になり、話している片方が風間であると分かった。
相手の声も知らぬものではない気がする。だが天霧ではない。確か鉄砲を持っていた男だ、不知火と言ったか。

不知火は憤慨しているようだった。どうしてだよ、と風間に詰め寄っている気配がある。
近付いて良いものかとその場で止まった斎藤は、「折角女鬼を見付けてやったのに」と言った不知火の声をはっきりと聞いた。

女鬼……?

雪村の事だろうか。諦めたのではなかったのか?
早鐘を鳴らす心臓の所為で、呼吸が上手く出来ない。どういう事か聞きに行きたいのに、足が動いてくれない。
盗み聞くような形になっているのが嫌ではあったが、どうしてもそれ以上進む事が出来ずにいた。

「そうか、どこにいた?」

動けぬまま聞こえてきた風間の返答に、心が壊れるような気がした。風間は雪村を諦めていなかったのだ。
これ以上聞きたくない。知らず震えていた足を無理矢理動かして、斎藤は元来た寝所の方へ足音を立てずに引き返した。

寝所の襖を閉めて息を吐く。
全身が幽かに震えていた。

程無くして部屋の襖が静かに開き、顔を覗かせた風間は室内でただ立っているだけの斎藤を見て僅かに驚いた。
「起きていたのか」と声を掛けるが、「あぁ」と答えた斎藤の声が小さくて不審に思う。

「どうした、何かあったのか?」

何かあったのか、だと? よく言えたものだ。
斎藤は憤りを感じたが、それよりも恐怖心が先立っていた。

「雪村……」
「雪村? あの女がどうした」
「雪村の事は、本当にもう良いのか?」
「どうした、突然。俺はお前だけがいれば良い」

そう言って微笑む風間に嘘は感じられなかった。
信じたいと思った。鬼は嘘を吐かないと、人間とは違うのだと繰り返し言っていた風間を思い出して、斎藤は「ならば良い」とただ頷く事しかしなかった。

しかしこの日から、斎藤の中には失う恐怖が生まれていた。
もしも風間が鬼の頭領としての役目を全うしようとし始めたら、自分など必要とされなくなってしまう。
一度気持ちが離れたらもう、風間は斎藤に興味を示さないだろう。元々、風間は人間を嫌っていたのだから。

落ち着かない日々が続いた。
そんな斎藤の変化に気付いた風間が、色々と尽くしてくる姿さえ懐疑的にしか見られなくなっていた。


そんなある日、再び不知火が訪れた。
風間に「いつ行くんだ?」と不機嫌そうに訊ねている。
風間はどこにだ、とは問わなかった。ただ「そうだな、近い内に」とだけ言い置いて斎藤の傍に寄るが、斎藤は限界であった。
不知火がまた来た事だけでも恐ろしかったのに、風間が当然のように不知火と出掛けようとしているとは。

二人はどこへ行く?
決まっている、女鬼――つまり、雪村の所だ。

「気分が優れない、俺は休ませてもらう」

そう言った斎藤を気遣い、風間は不知火を連れて部屋を出て行った。
二人が立ち去った事を確認し、斎藤は少ない自分の荷物を纏めた。

斎藤は知っている、深い傷が死をもたらす事を。これ迄散々見てきた光景だからだ。
だからもし風間と離れるのならば、出来るだけ早い方が良い。これ以上風間といたら、失う恐怖に殺されてしまう。


日の沈みかけた頃、風間は斎藤の様子を見に行った。
中を見ると敷かれていた布団は畳まれ、正座をして風間を待つ斎藤の姿がある。

「どうした、体調はもう良いのか」

不吉な予感に襲われながらも室内に足を踏み入れて、声を掛けると斎藤は丁寧に頭を下げた。

「俺は人のいる町へ戻る」

風間が、進めていた足を止めた。それに気付いた斎藤が頭を上げ、風間を見上げる。風間の表情は傷付いているように見えた。
ならば引き留められるかもしれないという、斎藤の淡い期待は即座に砕かれた。

「そうか」

風間はいともあっさりと了承した。冷たい音だった。
自分から言い出したくせに手が震えそうになる。ぐっと我慢して、今迄世話になったともう一度頭を下げるが、風間は「あぁ」と短く答えただけだった。

それ以上話す事も無く、斎藤は荷物を持って出口へ向かう。一人にして欲しいのに、何故か風間が後を付いてくるのが気になったが。
この屋敷へ来てから余り履く事が無かった為、綺麗なままの草履を出した瞬間、屋敷内での風間との思い出が蘇って辛くなった。
いや、悲しむのは町に戻ってからだ。今は精一杯普通にしていよう。

草履を履き、斎藤が風間の方へと向き直る。
もう一度これまで世話になった礼を言い、静かに外へと向かうとその背に風間が声を掛けた。

「その出口は俺の物だ、貴様が使うな」

それは、酷く冷たい声だった。
あぁ、こんなものなのか。あんなにも求め合った仲なのに、興味の失せた人間に対する風間の態度はここまで変わるものなのか。
それこそが鬼である所以なのかもしれない。しかし人間である斎藤にとって、風間のその変化は少々きつく思わず俯きそうになる。
だが直ぐに「すまなかった」と言って、今度は裏口の方へと向かった。

しかしそちらにも風間は付いてきて、出ようとするとまた「俺の出口だ、使うな」と言う。
仕方なしにあと一つ、斎藤が知っている外へと繋がる扉に向かったのだが、今度は腕を取られて「何度言わせる、そこは俺の出口だ」と冷徹に告げられた。

「それでは、出口が無いではないか」

早く去りたいのに、風間が腕を掴んでいるから無理矢理逃げ出す事も出来ない。
風間は一体どうしたいのだろうか。このままでは斎藤はここにいるしか無い……その時になって斎藤は、自分の腕を掴む風間の体温に気付いた。
力強く掴まれているが、痛い訳ではない。伝わる温度は低く、けれどそれは斎藤のよく知る風間のものだ。

「……俺の勘違いでなければ、出て行くなと言われてるように思うのだが」

恐る恐る風間に訊ねれば、小さく笑う声が聞こえる。

「漸く気付いたか」
「だが…だがあんたは俺が出て行くと言った時、あっさりと納得したではないか」
「それは、待っていたからな」
「待つ? 何を待っていたというのだ」

言われた意味がよく分からず、風間を見上げると彼はふっと嬉しそうに笑った。

「やっと俺を見たな」

そう言われて、確かに風間の顔をまともに見るのは久し振りだと気付く。
不知火が来てからというもの、捨てられるのが怖くて余り風間を見ていなかった。
風間がまた笑う。随分と楽しそうだ。

「女鬼の所へなど行かないでくれと、お前が言うのを待っていた」
「…………趣味が、悪い」
「冗談だ」

そう言われたところで、斎藤は笑えなかった。
悔し紛れに「あんたの冗談はつまらない」と言うのが精々だ。

「怒ったか?」
「怒ってなどいないが……」
「どちらでも良い、だが俺の言葉を信じなかったお前が悪い」
「あんたの言葉?」

斎藤の疑問に、風間は呆れたように溜息を吐いた。

「お前は女鬼の事を訊いてきた日から、毎日辛そうな顔をしていた」
「そんな顔をした覚えは無いが」

斎藤としては、普通にしていたつもりだった。だから辛そうなどと言われるのは心外であるし、見透かされていたなどと思いたくも無かった。

「まぁそれは別に良い。だが俺は、お前さえいれば良いと言った筈だ。何故信じなかった?」
「……あんたが、雪村に会おうとしていたからだ」
「俺が? 何の話だ、覚えが無いぞ」
「不知火が、女鬼を見付けたと言った後、あんたはどこにいたのかと確認していたではないか。今日も、いつ行くのかと問われて、近い内だとあんたは答えていた」

斎藤の言葉を聞いた風間は、少ししてから静かに笑い出す。

「あぁそうか、お前には何も説明していなかったからな。勘違いさせてしまったな」
「勘違い?」
「あの女は死んだと聞かされていたのだが、どうやら生きていたらしい。それを不知火が知らせに来ただけだ。適当に返事をしたら怒らせてしまってな、仕方なくどこにいるのか聞いてやったのがこの間の話だ」
「あんたが調べさせたのではないのか?」
「あいつが勝手にやった事だ。俺にはお前がいるのだから、女鬼などどうでも良い」

当然だろうと言わんばかりの表情で、風間が斎藤を見る。

「では、今日の会話は何だ。近日中に会いに行くというのは……」
「お前をここに連れてきてから、昔馴染みと会わせていないからな。お前を連れてあの女鬼に会いに行って、懐かしい顔を見せてやろうと思っただけだが」

斎藤は恥ずかしくなった。勘違いをしていた事も、風間がいつであろうと自分だけを想っている事実にも。

「すまない。俺はあんたが、雪村と、その……会いたがっているものだとばかり」
「誤解が解けたのなら構わん」
「出て行くと言ってしまったが、俺はまだここにいても良いだろうか」

答えは分かっていたが、けじめとして訊ねた斎藤に風間が柔らかい笑みを向けた。

「お前を逃がす気など無い」

そう言って、斎藤を引き寄せ抱き締める。
耳元に近付けた唇からは「出口など、お前がこの屋敷に来たあの日からもう無いのだ」と、甘い呪詛が紡がれた。

2016.03.08

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