鬼灯夜

空には、細い三日月が浮かんでいた。



俺の周りには鬼灯が生っている。偶然見付けた場所だった。
鬼灯の紅さを見て、思い浮かぶは左之の髪。
好きだと気付いたのはいつだったか。告げられぬこの想いを、せめてこの紅い実に知って欲しいとでも思ったのかもしれない。
俺がここを訪れたのは無意識下のことで、己の気持ちの重さに漸く気付く。

風に揺れる紅い実に触れると、ぱりと紙のような感触。同時にふわりとした柔らかさ。
左之はどのような感触なのだろう。


触れてみたい――


「誰にだ?」

突然掛けられた言葉に、俺は腰の刀へと手を移した。
振り返れば、今俺の心を占めるその人、左之が居た。

「左之……? 何故、こんな所へ」
「夜中だってぇのにお前が出て行くのが見えてな、暗い顔してたから気になってついてきたんだが、邪魔したか?」
「いや、構わぬ」

刀に掛けていた手を下ろした。
しかし心音が煩くて落ち着かない。何故、よりにもよって左之が……

「ところで、お前が触れたい相手ってのは誰だ?」
「何の話だ」
「触れてみたいって、いま言ってただろ?」

煩く鳴っていた心音が、止まった気がした。
思いが、声に出ていたのか。俺はそれ程にも左之に触れたがっているのだろうか。
自分が酷く浅ましい存在に思え、俺は途端に恥ずかしくなった。

「何故、人だと思う? 草花に触れたがっているだけかもしれぬだろう」

俺の返事にふ、と柔らかく左之が微笑む。

「そうか、そうだよな。俺の勘違いだ、すまねぇな」

ふと思う。
左之は気付いているのかもしれない。
気付いて、気付かぬ振りをしているのかもしれない。

それは、俺の気持ちが迷惑だということだろうか。


「冷えてきたな、帰らねぇか?」
「いや、俺は……」
「まだいるのか? 俺で良ければ付き合うけどよ、それとも俺が居るのは迷惑か?」
「そんなことは、無いが……」

少しの沈黙が流れ、左之が口を開いた。

「気なんて遣わなくていいんだ、迷惑なら迷惑だってはっきり言ってくれよ。一人になりたいってんなら俺は」
「違う!」

俺の勢いに左之は少々面食らったようだったが、直ぐに笑顔になった。
そうか、と言って俺の頭を撫でてくる。
俺の気持ちを表すかのように鬼灯が嬉しそうに揺れた。
それは風が吹いたからだと分かっているのに、俺は何故か後押しされたような気になった。

「左之……」

呟きながら、左之の服の裾を掴んだ。

「俺が、触れたいのは――」

言いながら上を向くと、左之の顔が近付いていて。
淡く温かい感触が唇を掠め、驚く間も無く次の熱を与えられる。

唇が離された時、左之は寂しそうに笑んでいた。
それから期待させんなよ、と小さく呟く。
期待?期待とは何のことだろうか。

「左之?」

呼び掛けると、俺の頭を撫でていた左之の手が離れてしまった。
その手に温度を奪われたような気になる。寂しいなどと、思っても口には出せない。
俺はこんなにも臆病だったのか。
思わず視線が落ちた。俯いた俺の頭に、左之の声が掛かる。

「お前が触れたい相手ってのは、土方さんだろ? なのに俺の服なんて掴んだりするな、期待しちまうだろ?」
「何を、言って…」
「お前が土方さんを好きだってことは、誰でも知ってるさ」
「違う、俺が触れたいのは、」
「斎藤?」
「俺が、触れたい、のは……」

期待させるなと言われ、口付けまでされ、俺は一体何が怖いのだろうか。
けれどずっと秘めてきた想いを口にするのは、矢張り怖いものだった。
俺の勇気が出ない内に、行動を起こしたのは左之だった。

「土方さんじゃないってんなら、」

俯いていた俺の顎を掴まれ、左之の方へと向けさせられる。

「期待してもいいってことか?」
「左之、俺はっ……んっ」

訊いておいて、答えさせぬように左之が口付けてくる。何度も何度も、執拗に。
息を吸う合間に答えようとしても、直ぐに塞がれてしまって。

もしかして左之は、自分以外の名を告げられるのが怖いのだろうか――。

嗚呼違うのに。
こんなにも傍に居て、相手の気持ちが分かっていて、口付けまでしているのに肝心の気持ちが伝えられぬとは。
不甲斐無い。
俺は、俺は左之のことが、

「左之」

角度を変える為に瞬間離れた唇から、その愛しい名を呼んだ。
俺の顎を掴んでいた左之の手がぴくりと震える。

「左之、言わせて欲しい……俺が、触れたいのは、」

左之の目が真っ直ぐこちらに向けられて、俺は逸らさず見つめ返した。

「……あんただ」


繰り返されていた口付けが止むと、虫の鳴く声が耳に響く。
突然鳴き出した訳でもあるまいに、今迄その存在すら気付かなかった。

煩い程に鳴いているのに、何故か静寂の中に居るようで。
時が止まったように俺達は動けずに居た。

左之が瞬きをした。二度、三度……四度目は、見られなかった。
熱の篭った口付け。
直前まで見ていた、左之の睫毛が俺の目元に触れていた。

引き寄せられたことにすら気付けなかった。
もしも左之が敵であったなら、俺の命は今尽きていたに違い無い。


俺を抱く手が熱い。
背を撫でる感触が、俺を求めていると言っている。

柔らかい土の上に倒された。
言葉は無かったが、必要も無かったのだ。

帯を解く間も惜しみ、左之の手が俺の着物の中に押し入ってくる。
直接肌に触れられて、ただそれだけで俺の息が上がった。
名を呼びたいのに声も出せなくて、俺は左之に掴まることしか出来ずにいた。

突然、影が差す。
見上げれば左之の顔が近付いていた。
与えられた口付けは甘くて、嬉しい筈なのに胸が痛む。

「さ、の……」

声が震えた。
何だと返す左之の声は優しくて、俺は左之の目が見られない。

このような仲、人に言える筈もない。
俺達は戦っていて、いつ死ぬとも知れぬのに、後ろ暗い秘密まで抱えさせるなど――

「引き返すなら、今だ」

俺の呟きに左之は笑った。

「俺はな、反省することはあっても後悔はしねぇんだ。しないように生きてるからな。だからお前が不安がることなんて何もねぇんだ」
「だが、」
「あのな、今引き返したらそれこそ後悔することになるんだよ。何でだか解るか?」

俺は解らず、ゆっくりと首を振る。
左之がまた笑った。

お前が好きだからだと、言われたのは耳元だった。
震えてしまったのは、左之の息が擽ったからだろうか。
俺の答えも聞かず、左之は止めていた手を動かし始めた。

中心に触れられ、反応しているのを知られてしまう。
その劣情は、左之の手でより高められる。

あぁ、左之
搾り出した声が上擦っていた。

左之の指が動く。俺の中へとゆっくりと進入してくる。
普段せっかちな左之の、強い愛情を感じた。

痛くねぇか
訊ねる声に首を振る。

指が増やされて、俺はまた高い声を上げた。
違和感はやがて熱となり、それが劣情へと還元される。


左之自身が入って来た時、俺は何度も左之の名を呼んだ。
左之がこちらを見下ろして、酷く優しく微笑むから、俺は口付けを強請ったように思う。

いや、左之からしてきたのかもしれない。


左之が動く。
揺すり上げられながら、左之の頭越しに鬼灯を見ていた。

細い三日月に照らされて、左之の髪色と実際には全然似ていないのだと気付く。

風が吹く。
橙が揺れる。

それより近くで臙脂が揺れる。
臙脂の髪が、左之の一部が、俺に触れた。


きっと忘れられない。
どれ程時が経とうとも、この鬼灯の揺れる夜のことは。

2011.10.26
+紫之様に捧げます

.