月夜の逢瀬

『采配のゆくえ』(koei)のパロになります。
九月十五日・関ヶ原本戦の前日と本戦の日のお話です。

藤堂高虎(東軍) → 沖田総司
大谷吉継(西軍) → 斎藤 一

藤堂(沖田)と大谷(斎藤)はそれぞれ東軍、西軍に属している為敵同士となります。
各軍に於いて、二人共兵を率いているので藤堂隊、大谷隊、が存在します。
お互いが優れた軍略家として名高く、お互いの存在は知っています。

また大谷さんは死病を患っている為、目が見えなくなっており顔の右側に爛れがあるので、白い布を纏い隠しております。
顔だけでなく肌にはその死病の進行がある為、手袋もしており肌は殆ど隠れてます。
(※小説内にこの肌の描写はございません)

また、史実に忠実なお話にはなってはおりませんので悪しからず。
総司と斎藤さんが敵同士のお話が書きたかっただけなのです。
また、途中から裏表現も入りますので、苦手な方はご注意願います。

以上、大丈夫な方のみお進み下さい。



九月十四日。

明日の合戦に備えて、俺は指示を出している。
全ての指示が行き渡り、ほんの一瞬気を抜いた瞬間それは起きた。風を切る音と共に俺は誰かに強く抱き締められていたのだ。
突然の事に、事態の把握が出来ない。何が起きている? 俺を抱き締めるこの腕は何だ? そしてこの腕の主はどこから現れた?
……そんなもの、俺の隣に立つ木から落ちてきたとしか思えない。

つまりずっとここに居たのか、この腕の主は。俺が指示を出している間も、ずっと? 俺が一人になる瞬間を、ただ待ち侘びて?
後ろから抱き締めてくる男が――まさか女では無いだろう――一体誰なのか。思い巡らすまでも無く、その男の名を耳元で告げられた。それは敵の名であり、よもやここに居て良い人間ではない。
それよりも、何故敵であるこの男がここに居るのか。もしや知らぬ間に攻め入られたか? しかしそうであるならばもっと騒がしくなる筈で、常と変わらぬ喧騒は「いつも通りである」と俺に示している。

となると、考えられることは二つ。
誰かが敵の名を借り俺を乱そうとしているか、もしくはこの男が真実その名の男であり単身潜り込んで来たか、だ。
前者であるならば、一体誰の得になろうか。死病を患い誰にも触れられる事の無かったこの身体を、抱き締めてまで吐く価値のある嘘があるとは思えない。
なれば残る答えはただ一つ、本物である、と。

「僕の事、知らない?」

楽しそうに耳元で訊ねるその声は、まるで楽しそうだ。これが智将と名高いあの男なのかとまた疑念が湧いてくる。いや、これこそが策略の一つかもしれない。

「僕は君のこと知ってるんだけどな」

続けて言われた言葉に、やっと返事をする。

「あんたの事は知っている」
「ふぅん、嬉しいな」

この戦場に於いてその名を知らぬ者などおるまいに、真実嬉しそうな口調で答えたその男にまた疑念が湧く。何を喜んでいるのかと。

「何が嬉しい?」
「君が、僕の名前を知ってるってことが嬉しくて」
「あんたの名を知らぬなど、相当な阿呆であろうな」

そう言うと、男はまた楽しそうに笑った。

「うん。でも好きな人に知ってもらえるのって、また特別なんだよ」

優れた軍略家と聞き及んでいたのに、その男の言う言葉はまるで意味が分からなかった。好きな人、というこの戦場に於いて余りに不自然なその単語も俺の頭を混乱させる。

「何を言っている――」

訊ねるとその男はくすりと笑う。

「僕が君を好き、ってこと」

答えは益々意味の分からない物だった。

「何故、あんたが俺を……」
「圧倒的に不利な状況でさ、君は東軍をよく食い止めたよね?」
「それは、そうだが……。それと俺を好きになるのと、どう関係するのだ」

それ以前に、俺を好きになるという話が余りに不可思議で理解出来ない。

「勿体無いな、って思って。君が東軍だったら良いのに……。一緒に戦いたいな、敵としてじゃなくてさ」

だからね、と言ってそいつは話を続ける。

「そんな君が気になって、見に来てみたら……好きになっちゃったの」
「何を言って……話に脈絡が無さ過ぎる。俺を好きになる必要など無いではないか!」
「だって、綺麗だったから」

――綺麗?
この、死病を患っている俺の、どこが。俺の隊の者達ですら、必要以上に近寄らぬと言うのに。

「それは嫌味か? 俺の肌を知らぬのか?」
「君こそ、目が見えないから自分の美しさが見えないだけじゃないの?」
「馬鹿を言うな、俺は、美しくなど……」

そこまで言って、そう言えば抱き締められているのだということを今更思い出す。

「布越しとは言え、俺に触れれば死病が伝染るかもしれんぞ? 早く離れろ」

"死病"と聞けば恐れるかもしれないと思ったのに、そいつは意にも介さず「別にいいよ」と、いとも簡単に返事をした。

「何を言う、良い訳が無いだろう! 馬鹿な事を……っ」

敵なのだから相手が死のうが俺としては関係無いのだし、よく考えればこの男が死ねば西軍の有利となる事なのだから、いっそ伝染ってしまえば良いものを……。
それでも、味方の者からも避けられていた俺を抱き締めるこの腕と、死病を恐れないこの男が瞬間愛しくなってしまったのだ。
だからこそ俺の方から離れなければと暴れてみるも、病に侵され力の入らぬ俺の身体は思った程に抵抗が出来ず、ただ小さく身体を揺らすだけで終わってしまった。
そんな俺の態度を見て、またその男はくすりと笑う。

「今夜、逢いたい――」

俺の耳元に、まるで愛していると言っているかのような響きでもって囁いてきた。突然の敵からの要求に、俺はまたも混乱する。

「……俺を、殺すつもりか?」
「まさか、そんな勿体無い事しないよ。二人で話がしたいだけ」
「二人で……? 何を話すというのだ、明日は本戦で……」
「だって、明日にはどっちかが死んじゃうかもしれないでしょ? 僕は君と話がしたい。敵だけど、僕は君を尊敬してるから」
「それは、俺とて同じだが……」

戦いの最中に幾度思ったか分からない、この男が「敵でなければどんなにか」と。智将と名高いこの男との話はどんなにか楽しいことだろう。

「それじゃ今夜、月が浮かんだ時刻にまたここに来るから」

そう言うと男は俺の身体を反転させ、突如唇を奪ってきた。

「突然、奪うなど――」

長いこと他人と触れ合っていなかった俺は、突然の熱に驚いて、論点のずれた事を口走ってしまう。するとその男は楽しそうな口調で軽口をたたいた。

「奪われたって思うなら、取り返してみたら?」
「何だと?」
「僕はここに居るから、見えなくても捕まえられるでしょ?」

取り返す為には……。
俺は恐る恐るその男の肩の場所を探り、肩に到達した俺の腕を首に回して俺、よりも幾分高い位置にあるその男の顔を引き寄せた。
あとほんの僅か、という位置まで唇を寄せた時にガサッという音がして、俺も相手も驚いて勢い良く離れる。目の見えぬ俺には音の原因が分からず、敵である男は俺の傍には居るが殺気立った気配で黙していた。
それから小動物の鳴き声が聞こえ、俺も相手もほっとする。殺気を消した男は、改めて俺に近付いて言った。

「続きは今夜ね。取り返してくれるの、待ってるから」

そう言って右側の肌を隠している俺の布を開くと、わざわざ右の頬に口付ける。それからまた風を切る音と共に、去って行く気配がした。
俺は熱を受けた頬を押さえ、月が上がる時刻を想う。
また、あの男と逢える……そう思うと、呆れる程に胸が高鳴った。この早鐘の原因は久々に触れた人肌であった所為だろうか、それとも敵にしておくなど惜しい男と話せる為だろうか、それとも――


こんなにも、夜を待ち侘びたことは無い。
篝火(かがりび)が焚かれ出した頃、もう月は上がっただろうかと、そればかりが気になっていた。
俺は昼に男に抱き締められた木の傍へと身を寄せた。惜しむらくは、目の見えぬこと。相手はどんな顔をしているのだろうか。俺を抱き締めていた時、俺に口付けをした時、どんな表情をしていたのだろうか――考えているとまた風を切る音がして、今度は向かいから抱き締められた。

「お待たせ」

小さく囁かれたその声は、昼と変わらぬ男のものだ。
顔は見えぬが、楽しそうなその声音が俺の気持ちを昂ぶらせる。

「ここじゃあんまり話せないね、少し離れよう」

そう言って彼は俺の陣から抜け出そうと提案してきたが、隊を率いる者として己の陣を抜け出す事に躊躇はあった。しかし、男の次の言葉で一緒に抜けることへの抵抗が薄れる。

「僕なんて、敵の陣まで来ちゃったのに」

思わず笑ってしまった。
陣を組む布を捲り、逃げるようにひた走る。俺の隊の者が居ない場所に来た時、男が「この木の下で話そう」と提案した。
連れられて触れたその木は随分と大きいようで、隠れて話すのに調度良さそうだ。

俺達は、最初から随分と深い話しをした。
彼の言葉を聞く度に、「なぜ俺達が敵であるのか」と思い、口惜しくてたまらなくなる。どうにもならないこの事実に、「西軍に来い」と言いたいのを必死に堪えて息を詰めた回数など、もう数えきれない。
そして俺が話しをする時には、彼が何度も息を詰めるのを感じていた。きっと同じ想いを抱いているのだろう。

嗚呼、だから。
彼が「そろそろ昼のやつ、取り返してみたら?」と提案して来た時、その話しに乗ったのは、この短い時間に俺自身が彼に惹かれてしまっていたからだ。
隣に立つその男の首に、昼と同様腕を回した。顔を引き寄せ、唇を近付ける。昼とは違い、何にも邪魔されずに易々とそれは奪い返せた。

はっ、と熱い息を吐いて離した唇は、再度の彼の熱でもってまた奪われてしまう。
俺の腰を強く引き寄せ、俺の頭に添えられた手が俺の顔の動きを封じる。まるで食い尽そうとしているかのように口内へと忍び込んだ男の舌は、俺の熱を呼び覚ました。
口内に収まりきらなかった唾液が零れ、やっと唇を離された時に顎を伝ったその感触に、何故かぞくりとした。男はまたくすりと笑って告げる。

「君が欲しいんだけど」

目の見えぬ者には何も見えぬと思うか?
否、だからこそ見えてくる物がある。俺の返事を待つ間頬へ伸ばされた男の腕が、俺に触れる事無く戻っていく熱の動きが俺には「見える」。俺を欲しい、と言った声に僅かに混じる小さな震えが俺には「見える」。そしてそれが示す真実は、その男が俺を求めているという言葉が即ち「本気である」という事に他ならなくて……。

既に熱を呼び覚まされた俺が断る術など持たぬことを、この才知に長けた男は気付いているのではないか? そうは思うが、直前に彼の「本気」も感じてしまっている。日が昇ってしまえばこの逢瀬は終了なのだと思うと、悩む時間も惜しい。俺とて、彼が――

「あぁ、構わん」

俺の答えに、男の表情が動いたのが分かった。驚いた表情をした気がする、けれど苦笑したような口調で告げられる。

「まさか、良いって言われるなんて思わなかったな」

望んで来たのではないか? 何故、困ったような口調になるのか。

「断った方が良かったのか?」
「だってあんまり上手く事が進むと、何か騙されてるみたいだから」

策士故の悩みと受け取るべきか、策士のくせに何を悩んでいるのかと思うべきか。彼の不安は、俺の不安も湧き上がらせる。

「では、何をしに来たのだ?」

そう言うと、男はくすりと笑った。

「そうだね、悩んでる時間が勿体無いよね」

それから俺を纏う布を捲りに掛る。自分から受け入れると言ったくせに、いざ肌を見られそうになると怖くなった。見られたら、嫌われるのではないか。怖がられるのではないか。気持ち悪がられるのではないか……。
様々な負の感情が湧いて、思わず俺の服を脱がす男の手を掴んでしまった。

「それ以上、見ない方が良い」

しかし男は心底不思議そうな口調で何で、と訊いてくる。

「俺の肌は、病に侵されているからだ」
「うん、知ってるよ? それがどうかしたの?」
「見ていて気持ちの良いものでは無いだろう」
「そんなこと無いよ」

何故、と訊くより早く一気に布を剥がされた。露出した肌に夜風が当たり、肌寒さに「あっ」と声が上がる。俺の声を聞いた男は優しく呟いた。

「君は声も肌も、全部綺麗だよ」

同じ言葉を、言われた事が無い訳ではない。けれどそれは病に侵される前の話。この男は、何故誰も触れぬ肌を褒めそやすのか?

「そんなことを言って、何の得がある?」
「損得じゃないよ、思ったことを言っただけ」

その言葉は、まるで俺の親友のようだと思った。損得の勘定をする方が、余程無益だと言った俺の親友。彼の為に俺はこの戦場で命を賭して戦っているのに、俺の命を奪うべき敵の男がなぜ同じ事を言うのか。

久しく人と触れ合っていない俺は、先程の口付けだけで随分熱を持ってしまった。その上でこんな言葉を掛けられては、どうにも気持ちが昂ってしまう。結局、どうして良いか分からなくなった。
冷静さを失っては、終いだというのに。

「立ったままじゃ辛いでしょ?」

地面に何か布が敷かれ、その上に寝かされた。布越しに感じるひんやりとした地面と、そこに生える草の感触に、どうにも現実感が湧かない。
けれど俺自身に触れてきた男の手が、すぐに現実だと知らしめる。

「あ、何を……!」
「何って、気持ち良くなってもらいたいし」

まだも何か言おうとする俺の唇を、その男に塞がれる。そのまま差し入れられた舌がとても熱くて、彼の首に知らず腕を回してしまった。俺のその行為に、口付けたまま男が嬉しそうに笑ったのが分かる。
角度を変えて何度も施される口付けにも、俺自身を弄る男の手にも、俺の思考は簡単に支配された。男の手の動きが速くなった時、唇を離され声を聞かれてしまう。
高く上がった声と、達する際に浮いた腰に恥ずかしくなる。けれど俺の顔に掛かる男の息の熱さが、その羞恥心を簡単に消し去ってくれた。久々の行為に、俺の息がすぐに上がる。

「続けても大丈夫?」

しかしこうも優しく問われれば、断れるはずも無い。小さく頷いた俺に、嬉しそうに笑う感覚があった。
それからすぐに、後ろへと指を這わされる。
俺の出した物を塗り込まれる感触は、余り心地の良いものでは無かった。挿入された指の感覚も、違和しか覚えられない。
それでも与えられる口付けに夢中になってしまえば、徐々に解されていき、その内に感じるのは違和だけではなくなって――小さく上げてしまった俺の声に、男の指が増やされた。
繰り返されたその行為に、いつしか俺の好い部分を探られていたようだ。見付け出されたその箇所を、執拗に突かれれば、上がる声など止められぬ。
更なる快感を求めて動き始めた腰を掴まれ、指を抜かれた。物悲しさを感じた瞬間、それまでとは比べ物にならぬ熱を食らう。

声と脚が上がり、必死に目の前に居るであろう男の服を掴んだ。
労わるようにゆるやかに動かされた男の腰に、それでも先程見付かってしまった好い箇所を突かれれば、まともな状態で居られよう筈もない。
熱も、快感も、与えられるまま受け入れて、まだ男が果てもしない内に再度の絶頂を果たした。それでも彼は動きを止めず、俺は再び熱を持ち始める。
淫らな、と思うも後悔の念は湧きもせず、ただひたすらに彼との逢瀬を楽しんだ。
俺の身体を案じてか、俺自身の体位は変えられなかったものの、より深く穿つよう彼自身が角度を変え、もう幾度目かの熱を俺の内に感じてから、やっと終りを迎えた。

息を整える間に、感じたのは青い匂い。
地に生える草の生命の香りを嗅いで、俺は人のみならずこの命すら奪っているのだろうなと、ふと思った。
しかし、明日は我が身だ。

離れた男は穏やかな声で「大丈夫?」と問うて来るが、まだ寝たままの状態の俺には己の身体にどれ程の被害があるのか分からない。
起き上がろうとしたが、力が入らず抱き起こされる。しかし勿論、弱音など吐けない。どうしたって、どれだけ想ったところで、彼は敵なのだから。

「俺は大丈夫だ」

そう告げた声の弱さは隠せぬが、それでも男は安心したように「そう、良かった」と呟いた。
静寂が訪れ、俺達はただ夜の香りに包まれている。そして俺は彼の腕にも包まれながら嗚呼目が見えたなら、と思った。俺を抱き締めるその腕を見てみたい。
その時だった。

「――」

耳元に、小さく囁かれた言葉。見上げた所で見える訳はないのに、それでも俺は驚き顔を上げた。
まだ目の見えていた時、その立場もあり幾多の人間の表情を見て来た。
だから盲(めしい)てからも、その声音で相手の表情は読み取れていたというのに、今俺に言葉を囁いた男の表情はかつて見た事のあるどの表情とも結び付かなくて、彼がどんな表情をしているのかとても気になった。

目が見えなくなって、見えてきた物が沢山あった。人の本音や、裏切りや、優しさを、以前よりはっきりと感じていたのだ。
それなのに、今俺を抱く腕の主の表情はどうしても分からない。声音から笑んでいるであろう事だけは分かるのだが……。

そして、唐突に納得した。
分かる訳が無い、見たことが無いのだから。
病に侵される前にも、俺をこれ程迄に望んだ人間など居なかったのだから。
口惜しい。
俺を求める男の顔が見たい。

そして彼の囁きに何も返さぬ俺に、また表情を変えたらしい男は寂しそうな口調で「もう戻らないとね」と別れを示唆する。
結局、彼に何の言の葉も与えられぬまま俺は自陣へと戻り、関ヶ原の合戦を迎える事になった。


――分かっていた事だ。

俺達の隊が、勝てる訳が無かったのだ。
それでも、いざ死を前にした時想う事は敵のこと。何たる軍略。惜しい、と。ただひたすらに敵であることを惜しいと、それだけを思った。
恐らく彼もいま、同じ事を思っているに違い無い。
皮肉なことに、昨夜身体を繋げていた時よりもきっと、今が俺達の気持ちが一番繋がっている瞬間であろう。

俺は刀を自分に向けて握り直し、自害するため脚を曲げた。
瞬間、鼻を突く草の青い香り。

最後に想うのが、俺の親友では無かった事を後悔はしない。

2010.04.18

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