喪失に宿る青

武田さんに無理矢理身体の関係を強いられたのは、俺が御陵衛士となる前日の夜だった。 羅刹を思わせる狂気染みた目が、俺を見ているようで見ていない。引き裂かれるような身体の痛みよりもむしろ、そのことが俺の胸を随分と締め付けた。
俺の身体を揺すり上げながら、武田さんは幾度も「どうして」と呟いていた。その理由は分かっている、どうして武田さんは御陵衛士に誘ってもらえなかったのか。どうして伊東さんに相手にしてもらえないのか。どうして新選組の中で居場所が無くなってしまったのか、どうして……あぁ、どうして伊庭八郎と会ってしまったのか。
そのどうしようも無い憤りを、俺にぶつけてきたのだろう。平助ではなく俺を選んだ理由は、俺の方が副長と親しくしていたからに違いない。彼はきっと、それが羨ましかったのだ。

まだ新選組に籍が置かれてる今なら、局中法度を盾に断罪することも出来ただろう。けれどそうしようと思わないのは、武田さんの目の奥に揺れる哀しさが見えてしまったからだ。
そのどうしようもない気持ちも、立場も、俺なら理解してやれるのに。普段から余り人と喋らない俺は、武田さんを慰める上手な言葉を見つけられなくて、ただ彼の熱を受け止めてやることしか出来なかった。

散々人の身体を弄んでから、武田さんはすいと俺から離れた。
「私を、斬りたいか?」
相も変わらず狂気を宿したその目が、俺へと向けられる。何と答えたものかと考えて、短く否定の言葉を返した。
すると武田さんはおかしそうに笑い、嘘を吐くなと言って泣きそうな顔をする。そんな顔を見たかったわけではないのに、何を言えばもっと嬉しそうな顔をさせられるのだろう。
「明日になれば、局長に言うのだろう? それとも副長か? こんなことをしてしまって、私はもう、誰からも赦されない……」
悲痛な声でそう嘆く彼の頬に、そっと手を添えた。
「誰にも言わないから安心しろ」
俺の言葉に、不思議そうな顔が向けられる。
「どうして……こんなことをされて、どうして斎藤君は私を許せる?」
「許せるわけではないが、あんたの気持ちは分からなくもない。どうしても御陵衛士へ入りたいというのなら、俺から伊東さんに口をきいてやろう」
そう言うと、武田さんは乾いた笑いを零した。
「斎藤君は分かってない、全然分かっていないよ。私は御陵衛士に入りたいわけではない、誰かに必要とされたいだけなんだ……だから君に口をきいてもらうのでは、意味がない」

俺はあんたを必要としている、そう言おうと思ったけれど、俺は間者として御陵衛士に入るのだ。今武田さんを必要だと言って引き入れておいて、結局また俺だけが新選組に戻ったら、武田さんは俺を心底軽蔑するだろう。
それを思うと、俺の気持ちを伝えることは出来なかった。

武田さんは去り際に、彼らしからぬしおらしさで「すまなかった」と呟いた。
部屋を出て行くその背中に、「あんたを必要としている人間はいる、あんたが気付かないだけだ」と言ったけれど、きっと俺の気持ちは届いていない。
「もしもまた会えたら、あんたに伝えたいことがある」
最大の勇気を振り絞って出した言葉は、「嫌味など、聞きたくないよ」と一蹴されて終わってしまった。

それでも、俺は期待していた。いつか俺が新選組に戻ったら、彼が必要だと伝えよう。それから時間を掛けて、武田さんにも俺を想ってもらえたらいい。
そんな淡い期待を抱いていた俺の耳に、入ってきたのは聞きたくない事実だった。俺が新選組を抜けた後、彼もすぐに新選組を抜け、そして行方知れずとなったらしい。

――もう会えぬものと思った頃、武田さんが人ならざる者になったと伝え聞いた。
それでも構わなかった。どうか俺のあの日の言葉を思い出して、会いに来てはくれぬだろうか。そうしてくれたら、例えどんな姿になっていようと、俺はあんたを受け止めるから……けれど武田さんが追い掛けたのは、俺ではなく八郎だった。

俺は、なりたかったのだ。
誰かに必要とされたがるばかりで、誰のことも必要としていない武田さんの唯一の存在に。けれど彼にとっての唯一無二は、八郎だったらしい。
酷く虚しい気持ちで見上げた空は、恐ろしいほど青かった。

2017.07.02
title/エナメル様

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