連鎖

※死ネタ/微パラレル



雪村千鶴たっての願いで、南雲薫も屯所に住まうようになった。
隊士にならないかという誘いには何故か千鶴が強く反対し、薫本人も望まなかったために沖田の小姓になるということで話がつく。
千鶴は土方の小姓として、日々忙しなく動きまわっていた。
薫の方は自発的に何かをすることは無かったが、それでも沖田の我儘を文句を言いながらも聞いている。

斎藤と恋仲になったばかりの沖田は、夜には部屋に誰も近付けないようにと薫に指示を出した。薫自身にも近付かないように言いつけ、最初は妙な顔をしていた薫も、だんだんと慣れていく。
「どうせ薫には言ってあるもんね」と言って、沖田は斎藤との話しをするようになった。「聞きたくない」と言う薫に、気にせず沖田は惚気を言い続ける。薫はうんざりした顔で、それでも毎日沖田にお茶を煎れていた。

薫には、小さな癖があった。
それは一度湯呑みを左手で持ってから右手に持ち替え、それから沖田に出すというものだ。大した癖ではないのだが、一々持ち替える姿が気になる。ならば最初から右手で持てば良いのにと言う沖田に対し、意識している訳ではないから直せないと薫は答えた。

一度気になり出すとその後も気になるもので、沖田は薫がお茶を出すたびに変な癖だと揶揄う。うるさいと沖田に反発する薫は、いつも少し恥ずかしそうな顔をした。
そのうち、沖田は薫と話すことが多くなっていく。どんな小さな揶揄にも、呆れたり怒ったりしつつも反応してくる薫のことを、気付けば可愛いと思っていた。

斎藤と過ごす時間にも、薫の話しをするようになる。斎藤はそれを黙って聞いていた。たまに口を開いたかと思えば、「そうか」としか言わない。しかし元々無口な斎藤のその反応に、沖田は何の疑問も持っていなかった。
そうして、夜の密会の最初の言葉は、いつの間にか決まっていく。

「一君、今日は薫がね」

徐々に肌を重ねる回数が減っていった。それでも斎藤は何も言わない。沖田のことだから、焦れた斎藤が自分を求めてくるのを待っていたのかもしれないが、斎藤はどうしてもそうすることは出来なかった。
沖田はこの日もまた薫の話しを始め、とうとう薫の話しだけをして終わってしまう。以来、何もしない日が増えていく。

そんなある日、屯所から随分離れた場所に人だかりが出来ていた。そこには川が流れていて、橋の下に人が引っ掛かっている。その人物は、もう生きてはいなかった。

――引き揚げられた主は、南雲薫であった。

知らせを聞いた千鶴と、幹部の数名が走って川へと向かう。人垣の中心に寝かせられた、血の気が失せて真っ白い肌になった薫を見た瞬間、沖田は息を飲んだ。本人は気付いていないが、身体が少し震えている。
沖田にとって、隊士でもない薫が殺される理由が分からなかった。ただの小姓に過ぎない薫に、殺意を抱く人物の心当たりもない。

それよりも、昨日まで軽口をたたいていたのにもう話すことが出来ないなんて……薫の煎れたお茶を、もう飲むことが出来ないなんて……。
真横で千鶴が泣いていたが、沖田には慰める余裕などなかった。ただ黙って水濡れの死体を見詰めている沖田の顔が、蒼ざめていることに斎藤が気付く。

「どうした、総司。顔色が悪いが……人の死体など俺達は見慣れているではないか、何か怖いことでもあるのか?」

問われて見た斎藤の顔は平素と変わりなく、その無表情が、普段は愛しく思っているその顔が、何故かこの時はとても恐ろしく見えた。そして沖田には、ある一つの疑念が湧く。

もしかして、薫を殺したのは一君……?

しかし斎藤が薫を殺す理由が分からない。斎藤と薫には殆ど何の関わりもないのだ、殺す理由がない。

「ん、いや大丈夫だよ。怖い訳じゃないんだけど、昨日まで喋ってた子が死んじゃうのって、余り気分の良いものじゃないよね」

それだけ答えると沖田はやっと千鶴に気付き、その肩を抱いて慰め始めた。斎藤はその様子を、無感情な視線で見つめている。

次の日、土方の部屋に薫が入って来た。驚く土方に、薫は静かな声で「お早うございます」と告げる。その声を聞き、土方はやっと口を開く。

「何だ、雪村か。どうしたんだ? そんな髪型にしたら、まるで南雲みてぇじゃねぇか。服も、そりゃ南雲のか?」
「……みたい、ですか? ではもしかしたら、兄様が私に乗り移ったのかもしれません」

それは普段の千鶴からは考えられないほど、冷めた口調だった。いつもの彼女の和やかな雰囲気など、今はどこにも見られない。しかし薫にしては随分丁寧な物言いで、矢張り千鶴だろうと思わせた。

「変な遊びすんじゃねぇよ、さっさとそんなことは止めろ」
「遊びではありません、その内……」
「どうした?」
「そのうち、俺を殺した人間を思い出すかもしれない」
「……"俺"? おい、女がそんな口きくもんじゃねぇぞ」

違和感があった。
土方の目の前にいるのは確かに千鶴で、無理をして男っぽくしようとしているように見える。お前にはそんな口調似合わねぇよと声を掛けるが、何度か話しているうちに最初の違和感が消えていく。

「土方さん、俺はまだきちんと思い出せないだけだ。すぐに思い出す。俺を殺した人間を、俺は必ず思い出す」
「……雪村?」
「俺は雪村じゃない」

この時にはもう、千鶴らしさは消えていた。

「俺は沖田の小姓だから、沖田の部屋に行かないとな」

薄く笑ったその顔は、薫にしか見えなかった。土方はごくりと喉を鳴らし、雪村、と呼び掛けようとしたのに声が出せない。戸惑っている間に目の前の人物は部屋を出て行き、締められた障子の向こうに見える影は、迷うことなく沖田の部屋へと向かって行った。

息苦しさで、土方は自分が息を止めていたことに気付く。慌てて吸いこんだ空気は喉に張り付き、軽く噎せた。喉を潤そうにも、小姓の千鶴は沖田の部屋へと行ってしまっている。仕方なく、土方は立ち上がって自分でお茶を煎れに行った。

その頃、沖田の部屋では千鶴が沖田にお茶を汲んでいた。土方よりも驚いた顔をした沖田は、湯呑みを一度左手に持ってから右手に持ち替えた千鶴を見て「薫」と呼んだ。
薫と呼ばれた人物は嬉しそうに微笑む。その顔は千鶴のようにも見えたが、薫が笑った所を見たことの無い沖田にとって、どちらであるのか判断はつかなかった。

人を殺したことは数あれど、死んだ人間が生き返るのを見たことなど一度もない。流石の沖田も、訊ねる口調は恐る恐るといった調子になる。

「薫、なの……?」
「他の誰に見えるんだよ?」
「……千鶴ちゃん、は?」
「何言ってんだ、昨日一緒に千鶴の死体を見ただろ?」
「え、でもあれは薫だったし、千鶴ちゃんは……ううん、君は、僕の隣で泣いてたよね?」
「俺は千鶴じゃない」
「じゃあ……ここで脱げる? 薫だったら平気だよね?」

そこで一度薫と名乗った人物の表情が曇る。あぁやっぱりこの子は千鶴ちゃんなんだなと思った時、目の前の人物が迷いの無い視線を沖田に向けた。

「脱げば、俺が薫だと信じるか?」
「うん、千鶴ちゃんだったら脱げないもんね」
「そうか、ならいま脱いでやる」

そう言って、腰紐に手を伸ばししゅるしゅると軽快な音を立てて脱ぎ始める。沖田はいつになく緊張していた。
薫だったらきっと嬉しい。千鶴ちゃんが死んでしまったなんて、それはとても辛いけれど、それでも生きていたのが薫だったなら、自分は喜んでしまうに違いない。この時になっても、沖田は自分の感情の意味に気付いていなかった。

ただ心配なのは、いま脱ぎ始めているのが千鶴であった場合。もしも誰かに見られたら――その時。

「昼間から何をしている」

聞き慣れた声が聞こえた。いつ開けられたのか、障子を開けた斎藤がそこに立っている。

「一君! あ、あのね、薫が生きてるかもしれなくて……」
「何だと?」

沖田の言葉で、斎藤は部屋にいるもう一人の人物に目を向けた。それは紛れも無く薫の姿で、斎藤は目を見開く。何故、と言った声が部屋に大きく木霊した。自分の出した声に驚いた斎藤が、一つ咳をして自分を落ち着ける。

「雪村ではないのか?」
「うん、だからそれを確認しようと思って脱いでもらおうとしてたの」
「馬鹿な、どう見ても雪村ではないか。南雲は死んでいただろう、一緒に見たではないか」
「そうだけど……ねぇ、一君にはこの子が千鶴ちゃんに見えるの?」
「雪村にしか見えない。総司、目を覚ませ、南雲は死んだのだ」
「でも……」

二人のやり取りに、脱ぎ途中の人物の手は止まっていた。それを見て斎藤が言う。

「雪村、あんたは副長の小姓ではなかったのか? こんな所で何をしている、さっさと副長の世話をしに行ったらどうだ」

雪村と呼ばれた人物が、じっと斎藤を見詰める。そして薄く笑って口を開いた。

「俺は……まだ俺を殺した奴の顔が思い出せないんだ。けどそれももう、時間の問題だ。もうすぐ思い出す、あと少しなんだ」

その姿は矢張り薫にしか見えず、斎藤が改めて息を飲んだ。けれどすぐに気を取り直し、再度注意をする。

「人を揶揄うのも大概にしろ」
「俺は揶揄ってなんかいない。お前、随分焦ってるみたいだな。何かやましいことでもあるのか?」
「何だと!」

かちゃ、と音がして、斎藤が刀に手を掛けたのが分かった。沖田が慌ててその手を止める。

「薫? それとも千鶴ちゃんかな? どっちにしても、小姓になれる子が一人しかいないなら土方さんの方に行ってよ、僕よりあの人の方が忙しいからさ」
「……そうだな、沖田がそう言うならそうしてやるよ」
「うん、また後でね」

そう言って沖田の部屋を出て行く人物は、沖田の目にも斎藤の目にも、もう薫にしか見えなくなっていた。

それからは二人になる機会に恵まれなかったため、沖田には生きているのが千鶴なのか薫なのかの判断が付けられないままだ。頭では千鶴だと思っている。薫の死体が上がった日、自分の隣にいたのは間違いなく千鶴であったはずだから。

しかし心のどこかで、「もしかしたら」とも思っていた。先日沖田の部屋を出ていく姿が余りにも薫のように見えたことが、そう思う大きな要因となっている。
それは願望でもあったのだが、沖田本人にその自覚はない。

更にあの湯飲みを置く癖、あれは間違いなく薫のものだった。けれど兄妹というのは同じ癖があるのかもしれない。そうは思ってみたものの、千鶴に薫と同じ癖があったのかが分からない。沖田はその日から、斎藤と会えばこの話をするようになった。

「ねぇ、一君。生き残ってるのは本当に千鶴ちゃんなのかな?」
「どういうことだ?」
「もしかしたらさ、殺されたのは千鶴ちゃんの方で、いま生きてるのが薫かもしれないよね?」
「それは無いだろう、どんなに上辺を取り繕うとも雪村の所作は女のものではないか」
「そうかなぁ? 僕には薫に見えなくも無いんだけど。それに薫も男っぽいって感じでもなかったし」
「いい加減にしないか、総司。大体雪村に失礼だろう、男と間違うなど」
「でも千鶴ちゃんが女だって知られちゃう方が、よっぽど問題でしょ? 男かもしれないと思うのは、良いことだよね?」
「……ならば、さっさと確認してはどうだ」
「だけど最近の土方さんはやけに忙しくしてるから、なかなか二人になれないんだよねぇ」

この言葉に斎藤の視線が揺れたのだが、沖田はそのことに全く気付いていない。

「明日からちょっと調べようかな」

楽しそうに決意をした沖田は、この日も斎藤に触れることはなかった。だから斎藤の表情が曇ったことにも、沖田が気付くことは終ぞなかったのだった。

次の日から、沖田は毎日土方の小姓と話すようになる。互いの仕事の合間を縫ってのことなのでそう長く話すことは出来なかったが、それでも欠かさず毎日話した。その姿を斎藤は毎日見ることになり、夜にはいま生きているのは千鶴か薫かという、沖田の推測を聞くだけの日々が続いている。

そんなある日、屯所の近くで桜が咲いた。 随分と大振りの木で、土方が薫の格好をしている自分の小姓に向って「息抜きにちょっと見て来い」と言い、言われた小姓は外へと出て行く。それに気付いた沖田が後ろを追い掛け、二人は桜の木の下で、いつもよりも長く話す時間を得た。

別の用で外に出た斎藤の目が、沖田を認める。当然、その隣にいる千鶴にも気付く。その姿を見た瞬間、斎藤は思わず駆け出した。
走り寄る斎藤に、沖田が気付く。はっとして、沖田は目の前の人物を庇うように立ち位置を変えた。斎藤はそのことに驚いた目をしたが、勢いのついた足はすぐに止められなくて……刺し殺す気で持っていた刀の先から人を貫いた感触が伝わってくる。
誰を刺す気だったのか? もちろん、薫の格好をしている人物だ。斎藤はすぐに悟った、沖田を刺してしまったのだと。
沖田の心を自分だけのものにしたかったのに、自らの手でその機会を失ってしまった。どうしよもない後悔の念。それでも何か言わなければと顔を上げた先には――。

「副長っ?」

そこには沖田ではなく、土方の顔があった。斎藤には、状況が理解出来ずにいる。土方の口から、この場にもこの状況にも不釣合いな、突然の告白が成された。

「南雲を殺したのは、俺だ……」

斎藤は驚いた。

「何故っ、副長が!」
「お前が、好きだからだ」

土方の言葉の意図する所が分からず、斎藤は何と答えるべきかと頭を働かせるが、結局何も浮かばない。だから斎藤は、未だかつて見たこともないほど優しい表情をした土方を、ただ見つめることしか出来ずにいた。

「俺はお前の……喜ぶ顔が、見たかったんだ……」
「どういう意味、ですか?」
「お前が総司を好きなことは知ってたし、総司が薫に惹かれ始めたのにも気付いてたんだ。それからお前が笑わなくなったことにも、俺は気付いて」

そこで一度、土方はこほっと小さな咳をする。紅い飛沫が口の前を舞い、重力に従い落ちてきたそれが、斎藤の顔を同色に染める。しかし土方も斎藤も、そんなことは気に留めていなかった。

「お前に、笑っててもらいたかったんだ。だから、薫さえいなくなれば良いと思った。それで、殺した。まさか、千鶴がこんなことをするとは、思わなかった、からな……」

斎藤が何か言おうと口を開くが、それより早く沖田が言葉を発した。

「土方さんが殺したのは、薫なんですか? 千鶴ちゃんではなく?」
「あぁ、間違いなく南雲を刺したよ」
「本当に、土方さんが殺したんですか?」
「そうだ、俺が殺した」

沖田がもう一言何か言おうとしたが、土方は聞く耳を持たないとばかりに話し始める。

「証拠はある。お前等は、薫が刺殺されたってことしか聞かされてねぇと思うが、俺はその刺された数を知っている。三箇所、だ……俺が、殺した、んだ、俺しか知らない、こと、だ」

後半は聞き取るのに苦労した。段々と、土方の口と刺されている腹から流れてくる血が、静観していられない程の量になってきている。分かっているのに誰も動かない、いや動けなかった。しかしそう思っていたのは、沖田だけだったのかもしれない。

千鶴が音も無く駆け出していた。その右手には小太刀が握られている。土方は気付いていたが、元々刺される覚悟でいたのだろう、穏やかに微笑んで千鶴が自分の元へ泣きながら走って来るのをただ見詰めていた。

しかし千鶴は土方を刺すことはおろか、斬りつけることすら出来なかった。千鶴の襟首を掴む沖田が、それをさせなかったのだ。どうして、と振り返った千鶴に沖田が言う。

「千鶴ちゃんはそんなことしちゃ駄目だよ。もう一君が刺してるんだから、それで充分でしょ?」
「だって、そんな理由で兄様を……私の、たった一人の家族を……」
「千鶴ちゃんがそんなことをしたら、薫はきっと悲しむよ。千鶴ちゃんを大事にしてた薫のことを、忘れないであげてよ」

その言葉で千鶴は小太刀を取り落とし、普段の彼女からは考えられないほどの大きな声を上げて泣き始めた。沖田がそれを抱き締める。

「やっぱり、君は千鶴ちゃんだったんだね」
「兄様はっ、誰かに、呼び出されたと、言って、たんです……っ」

沖田の言葉に、嗚咽を漏らしながら途切れ途切れの言葉で千鶴が話し始めた。

「私が、女であると、他の隊士に言う、って。言われたくな、ければ、夜、あの川の側、に来いと言われた、って」
「土方さんに呼ばれたってこと?」
「……兄様、は何も、教えて、くれ、ませんでしたっ土方さん、を庇ったんだと思……」

そこまで言ってから、千鶴は悔しそうにまた泣き出す。屯所内に必ず薫を殺した人間がいる、それが分かっていたから薫の振りをしてあぶり出す気だったのだと千鶴は言った。見つけたら殺すつもりだったとも。自分では返り討ちに遭うだけと分かっていても、どうしても許せなかったと。

薫に似せるため短くなった千鶴の髪を撫でながら、この状態を見た斎藤がどう思うだろうかと沖田はふと心配になった。斎藤を見た沖田の目に映ったのは、小刻みに震え顔面蒼白になっている斎藤。何かおかしい。斎藤はどこかを見ているはずなのに、その視線が何を捉えているのかが分からない。

「一君、」

呼び掛けるが、反応は無い。その斎藤を土方が抱き締め、何事か耳元で囁いているようだったが、沖田の所にまでその声が届くことは無かった。

それから直ぐ、斎藤の身体を沿うようにして、土方は地に崩れていった。既に刀の柄から斎藤の手は離れていたが、その柄が何度か斎藤の着物に引っ掛かり、不自然な動きを見せながらも、やがてどさりと音を立てて土方の身体は地に伏す。

身体の下からはみるみる血が流れ出し、俄かに溜まった血溜まりの上に何も知らない桜の花びらがはらはらと舞い落ちた。こんな時に不謹慎だと思いつつ、その様を見て「土方さんは桜が似合うな」と、沖田はぼんやりと思っていた。
自分の胸で泣く千鶴の声も、どこか遠くの音のように感じられる。
あぁこれで全て終わったんだなと、やっぱりもう薫には会えないんだなと、何だかそんなことばかり考えていた。

その後は、大層な騒動になった。
薫の死体を引き揚げた者に確認した所、確かに薫の身体には三箇所の刺し傷があったとのことで、土方が薫を殺したのだと言うことは間違いないようだった。
しかし副長である土方を殺したことにより、斎藤は屯所内に勾留されることとなる。千鶴が「土方さんは兄様を殺したんですよ!」と言って、だから斎藤を出すようにと訴えていたが、ただの小姓と副長の土方さんを同格に扱うなと一蹴されていた。

そんな千鶴を見ても、斎藤は無感情な顔でただ部屋に座っている。副長を殺してしまったことについても一切の弁明をせず、ただ大人しく過ごしていた。沖田が顔を見せても何も話さなかった。


勾留されて数日目の夜、斎藤は思い出していた――――――自分が、薫を刺した日のことを。

二度、刺したのだ。それで充分だった。深く刺し、直ぐに引き抜いてからもう一度別の場所を刺し、それもすぐに引き抜いた。そうすれば夥しい量の血が噴き出すのだ、すぐに死んでくれる。
呼び出しはしたものの、話すつもりなど最初からなかった。一瞬でも早くその存在をこの世から消し去りたかったからだ。沖田の気持ちを奪った薫が、ただただ憎かった。

薫のことは手紙で呼び出していたが、勿論斎藤は名前など書いていない。だから月も無かったあの晩では、薫は自分が一体誰に殺されたのか気付けなかったに違い無い。殺された本当の理由にも。

血の抜けた薫の身体は軽く、余り上背の無い斎藤でもそこまでの苦労も無く川まで引っ張っていけた。それから塵芥を捨てるように、何の感慨も無くその死体を捨てたのだ。誰にも見られていないはずだった。

しかし薫の死体にあった刺し傷は三つ。斎藤は二度しか刺していない。それが意味するのは、斎藤が捨てた薫を引き揚げ、その身体に再度刀を通した人物がいたということだ。
誰が、などと今となっては愚問でしかない。

――副長は、どんな気持ちで既に死体となった薫を刺したのだろうか。

土方はその命が尽きる直前、斎藤に耳打ちをした。南雲を殺したのは自分のせいにしろと。また総司と仲良くしろよと、最後まで斎藤のことだけを考えてくれていた。
総司しか見えていなかった。南雲が憎くて堪らなかった。だから気付かなかった、自分をそこまで想ってくれている存在があったことなど。
その時、部屋に千鶴が入って来た。

「少し、お話しても宜しいですか?」
「あぁ……」

薫を殺したのは土方だと思っている千鶴は、斎藤に向けて笑顔を作る。しかしそれは少し不自然な表情に見えた。
あの時、桜の木の下にいた千鶴を殺そうと握っていた刀は、沖田が直ぐに千鶴の前に立ちはだかったことにより千鶴には見えなかったようだ。でなければ、幾ら不自然と言えど千鶴が斎藤に笑顔を向けるなど有り得ない。

そう言えば、彼女の笑顔は久しく見ていない気がするな……そこまで思って、斎藤は自分の考えに苦笑した。当然だ、笑える訳が無いではないか。そしてその笑顔を奪ったのは紛れもなく自分なのだ。
かつては彼女の笑顔に心を癒された日もあったというのに、総司を想う自分はそれすらも忘れていたらしい。

「土方さんを、殺して下さり有難うございました。斎藤さんが刺して下さらなければ、私が刺してましたから」

斎藤は、何も言えなかった。黙る斎藤に千鶴が続ける。

「それに、斎藤さんが刺して下さったことを、きっと兄様はあの世で喜んでいると思います」
「喜ぶ? ……何故だ」
「はい、あの、実は兄様は斎藤さんのことが好きだったんですよ。だから自分の好きな人に敵を取ってもらえて、きっととても嬉しいと……」

途中から、千鶴の言葉は斎藤の耳には入らなくなっていた。

そしてふと、斎藤はあることを思い出す。真っ暗闇であったはずなのに、一度だけ薫の表情が見えたのだ。あれはどこから漏れた光のせいであったのだろうか……。斎藤から見えたということは、恐らく薫からも斎藤の顔が見えていたのだろう。
思えば、やけにすんなり刺されていた。千鶴ですら剣術を学んでいたのだ、薫もこんな時代に何もしていなかった訳ではないだろう。それなのに、抵抗すらしなかったのは――

「………………すから、斎藤さんがここから出たら、私を斎藤さんの小姓にして下さいね」

斎藤の耳に音が戻ってくる。ずっと千鶴は何か話していたようだが、斎藤は何も聞いていなかった。
自分の小姓にして欲しいと言ったのを最後に、千鶴はまた少しだけ不自然な笑顔を作ってから部屋を出て行く。笑顔が不自然なのは、薫の真似を続けて表情が固まってしまったからだろう。

始まりは純粋な気持ちだった。ただ、総司を好きなだけだったのに。その愛情がいつしか憎しみを生み出して、それが千鶴から笑顔を奪い、副長すらも殺してしまった。俺はこれから何をすれば良いのだろうか……そこまで思った時、部屋の扉が開いた。

「夕餉です」

そこには、見覚えの無い隊士が立っている。




翌朝、斎藤を勾留していた部屋には血が広がっていた。
本来であれば刀など無いはずのこの部屋に、血塗れの刀が一本、斎藤の遺体の傍らに転がっている。
斎藤の身体には、自害したと思われる傷が一つ、誰かに刺されたと思われる傷が一つ。


土方に想いを寄せていた誰かが、この屯所にはいたのかもしれない。

2010.08.30

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