過失

※死ネタ含むバッドエンド





僕は、どこで誤ったのだろうか。




僕の失敗は、一体どこにあったのだろうか――――









余りにも一君に慕われている土方さんが憎たらしかった。だから一君の前で何か失態をしでかすことを期待して、散々挑発して土方さんに無理矢理お酒を飲ませたのだ。
けれど何かやらかすより先に土方さんは潰れてしまって、途端に興味を削がれた僕は、そのまま自室へと戻った。
だから何も知らない一君が土方さんの部屋に行ってしまって、お酒に弱い土方さんが一君と一晩の過ちを犯したことに、僕は不覚にも気付かなかったんだ。

次の日、土方さんは一君に手を付いて謝ったらしい。
僕にとって誤算だったのは、そこで一君が土方さんに惚れてしまったことだ。
元々土方さんに対して強い尊敬の念を抱いていた一君は、この日を境にその気持ちが恋情に変わってしまったらしい。

それからは「副長、副長」と、今迄以上に懐くようになった一君を土方さんも人目を憚らずに可愛がるようになる。
初めこそ鬼の副長の変わり様に気味悪がっていた隊士達も、穏やかになった土方さんは話し易くなり、二人の仲の良さを咎める者など一人として居なくなっていた。

僕は心中穏やかでなかったけれど、それでもいつも無表情だった一君が幸せそうに微笑む姿は傍から見ても可愛くて。余りにも、可愛くて。
だから、悔しいけれど諦めようと思っていた。僕には一君にあんな顔をさせることなんて出来ないから。

それなのに――

ある日、土方さんの為に一君がお茶を運んだ。
この日は偶々書類が多かったらしく、畳にまで散らばってしまった書類の一枚に足を取られ、一君の体勢は大きく崩れた。
持って来ていた熱いお茶が掛かり、一君は顔に大きな火傷を負ってしまったのだ。

誰の目から見ても無残なその顔に、掛ける言葉など見当たらず、僕も、普段は気の利く左之さんですらも何も言うことが出来ずにいる。
土方さんはそれ以降、一君との接触を避け始めるようになり、土方さんに避けられた一君は部屋に篭ることが多くなった。

その内、とうとう巡察にも来なくなってしまう。
事情を察して左之さんが何度か代わりに行っていたけれど、左之さんにだって自分の仕事があるから、いつまでも代わってはいられない。
偶に僕も代わったけれど、その度に土方さんがただ憎くなるだけだった。

それから僕は、一君の部屋に通うようになる。けれど話すのは、いつも土方さんのことばかり。僕はそんなこと話したくなんてないけれど、一君が聞いてくるのだから仕方がない。
折を見て、

「好きだよ」

と言ってみたのに、僕の声なんて全然届いていなかった。
それ以降も副長のことばかりを訊いて来る一君に、「また明日ね」と言って僕は部屋を出た。

土方さんも変わったけれど、一君はそれ以上だ……。どこで間違ったんだろう、僕はどうすれば良いんだろう?
溜息が出た。何故か涙も出そうだった。

次の日も、次の日も、僕は毎日一君の部屋に通っている。
徐々に土方さん以外の話しも出来るようになったけれど、

「顔、大分良くなったね」

と、火傷の痕が前より薄らいだ一君を見て言ってみると、泣きそうな顔をされる。

「けれど副長が見て下さらない……」

そう言って、俯かれてしまった。

「一君は綺麗だよ。今だって、誰より綺麗だよ?」

嘘じゃなくて、僕にとって一君が一番だから。
僕の本気の思いを伝えたのに、結局一君は土方さんの名前を呼びながら泣き出してしまった。
僕の言葉は届かない。

それでも僕は毎日通う。
それなのに、一君が僕を見てくれることは無かった。
今日も一君に聞かれた土方さんの予定を伝え、流石にこの日は早々に退出する。

自室に戻った僕の気持ちは、土方さんへの怒りだけに占められていた。その勢いで立ち上がり、副長室へと向かう。入出許可も取らないままずかずかと入り込み、土方さんに一君のことを問い質した。

「土方さんは、一君の顔だけが好きだったんですか!」

僕に胸倉を掴まれてる土方さんは、少し苦しそうにしながらも

「そんな訳ねぇだろ」

と強い眼差しで答えてくる。

「だったら……、だったらどうして放っておくんですか! 土方さんじゃなきゃ駄目なのに!」

言うと辛そうな表情をされ、僕の手は剥がされた。

「俺のせいであぁなっちまったと思うと、斎藤に顔向け出来ねぇんだよ」

合わせる顔が無いんだ、と続けられる。
それでも、と尚も食い下がる僕に、俺のせいなんだ、謝る言葉が見つからないんだと言いながら、未だかつて見たことも無いほど辛そうな顔をした土方さんに、それ以上詰め寄ることは出来なかった。
勿論怒りは消えなかったけれど、鬼と呼ばれたこの人の、余りにも人間らしいその表情は、何となく僕の気概を失せさせたのだ。
それから部屋を出て行こうとした僕の背中に

「斎藤のことは、誰よりも大切に想ってる」

と声が掛けられ、余計土方さんが憎たらしくなった。
僕だって想っている。
土方さんよりも誰よりも、僕が一番に一君のことを想っている。

だけど伝わらない、
土方さんじゃないと駄目なんだ……。悔しくて泣きそうになったけれど、ぐっと堪えて自室へと戻った。

一度は収まった筈だったのに、僕の気持ちは夜になったら黒く膨らんできてしまった。
土方さんは近藤さんにも信頼されて、一君の気持ちまで持って行って……。最高に憎らしくなった。
僕の欲しい物を全て持ってるくせに、顔向け出来ないだなんて馬鹿げてる。僕なら一君を泣かせたりしない。どんな姿になったって、それが僕のせいであろうと、僕は生涯一君だけを愛せるのに。
一君の相手に、土方さんは相応しくない。

僕は愛刀を持ち、自室を出た。
全員が寝静まった屯所はやけに寒く感じられ、少しだけ身震いしてから副長室へと足を向ける。
いつもだったら行きたくもない土方さんの部屋に、今日はこれで二度目だな、なんて暢気なことを思いながら。

中に入ると月明かりに照らされ、膨らんだ布団が見えた。
その形に、今迄で一番どす黒い感情が湧いた。

近付くやいなや、迷うこと無く腹の辺りを突き刺す。
「ぐっ……」と苦しそうな呻き声がしたけれど、構わず心臓の辺りも刺してやった。声にもならない呻きが聞こえ、最後にもう一度ありったけの思いを籠めて刺し貫いた。

徐々に黒く濡れてくる掛け布団を見て、僕は満足して部屋を後にする。
一君は悲しむだろうけど大丈夫、そんなの最初だけだ。僕が一生掛けて大事にするもの。
くすくすと笑いが漏れた。一君が火傷を負ってから、僕は初めて笑った気がする。

次の日、やけに早い時間にガラガラッと大きな音が響いて、誰かが玄関から入って来た。
こんな朝早くから一体誰が? 確認しに行くと、そこに居たのは――


「土方さん……」


何で?
だって昨日僕が殺した筈なのに……驚いた顔をしている僕に向かって掛けられた声は、しっかりしている。幻覚でも幽霊でもないことは明白だった。

「お早う総司、斎藤はいるか?」
「え……部屋に、居るんじゃないですか?」

僕は疑問ばかりが湧いて、現状が理解出来ないでいる。無意識に、土方さんの後を追って一緒に一君の部屋まで来たけれど、そこに一君の姿は無かった。

「何だ、厠でも行ってるのか?」

そう言う土方さんの顔は嬉しそうに見える。

「何か良いことでもあったんですか?」

訊ねてみれば、「あぁ」と言って小さな箱を見せられた。

「火傷に効く塗り薬だそうだ。ずっと探してたんだが、やっと見付かってな」

そう言って微笑む土方さんは、一君が惚れてしまうのも納得するほど綺麗に見えた。
ずっと探してたという言葉と、こんな明け方に帰ってくる辺り、どこか遠くまで夜通し歩いて買い求めに行ったことが窺い知れて、"斎藤のことは、誰よりも大切に想ってる"と言った土方さんの言葉が嘘でなかったのだと思い知らされた。

あぁ僕はこの人に勝てない……

悔しさよりも寂しさが込み上げて、居た堪れなくなった。
だけど一君が喜ぶ顔を僕も一緒に見たかったから、そのまま土方さんと屯所内を歩き、一度部屋に戻ると言った土方さんにもそのまま付いて行った。
部屋を開けた土方さんが、違和感に気付く。

「何だ……?」

後ろから覗くと、そこには本来土方さんが寝ているであろう布団があって、まるで誰かが寝ているみたいな盛り上がりがあって……そして、布団は血に染まっていた。

そうだ、僕は土方さんを刺したはずだ。
でも土方さんじゃなかったんだ。じゃあ誰……ふと、部屋に居なかった一君の顔が過ぎった。

いやまさか、そんな訳がない。
けれど一度湧いてしまった「嫌な予感」が胸を占める。僕の胸中を余所に、土方さんは恐る恐る布団を捲くっていた。そこに居たのは。




あぁ僕はどこで誤ったのだろうか、


僕の失敗は、一体どこにあったのだろうか。





一君の名前を呼びながら血塗れの遺体を抱き締める土方さんを、僕はぼんやりと見ていた。
何だか現実味が無くて、虚構のようで、だから嘘なんじゃないかなって思った。

だって、どうして一君が寝ているの?
土方さんに避けられて、寂しくて泣いていた君が、どうして?

そして不意に思い出す。昨日もいつものように土方さんの予定を訊かれて、僕が教えていたことを。

「今日は土方さんはずっと屯所に居るよ。明日も早いみたいだから、今夜は屯所から出ないんじゃないかな」

あぁ、一君はもう一度愛されようと思ったんだね。だけど土方さんがいなかったんだ。
いる筈の土方さんがいなくて、寂しくて悲しくて、せめて土方さんの匂いだけでも感じようと潜り込んでいたんだね。
もしかしたら、僕が一君に意地悪したと思われちゃったかな。そうじゃないんだ、僕は知らなかっただけなんだよ。

もう完全に事切れてる一君を抱き締めながら泣き叫ぶ土方さんを見て、僕は一君にもう言い訳すら出来ないんだなと思っていた。
そうしたのは僕なのに、それはどこか夢のようで。

土方さんの手から落ちた薬箱が、やけに小さく見えた。

2010.05.17

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