手繰り寄せた体温


 見回りの者以外は誰もが寝静まった深夜、南雲薫が沖田総司の部屋に姿を現した。

「へぇ本当に来たんだ、そんなに妹が大事?」

 癇に障る言い方で、沖田が薫に言葉を掛ける。対する薫は何も言わず、ただ強い目線で沖田を睨み付けていた。そんな薫を見て、沖田は笑顔のままに溜息を吐く。

「喋る気が無いのは構わないけど、そこに立ってるだけじゃ状況は変わらないよ?」

 薫は一瞬悔しそうに顔を歪めたが、直ぐに無表情になった。そして布団に入ったまま上半身だけを起こしている沖田に、跨るようにして近付いていく。

「約束だからな? 俺が……お前を夢中にさせたら、妹から手を引けよ」
「約束は守るけど。手、震えてるね。そんなんで僕を夢中させられるの?」

 沖田は余裕の笑みを浮かべ、薫は自信なさげに下を向いた。小さな小さな声で一言、「がんばる」と言ったのを沖田は聞いていたが、それに対しては何も言ってやらなかった。
 意を決したように顔を上げた薫は、沖田の襟元を掴み顔を寄せる。全く動じない沖田に僅かばかり躊躇したようだったが、結局そのまま唇を合わせた。
 重ねられただけの、拙い口付け。
 少しして離れた薫は、それ以上何もして来なかった。

「ねぇ、もしかしてそれで終わり? まさかそれだけで僕が君に夢中になるとか思ってないよね?」
「……分かってるよ」
「それよりさ、僕に何するつもりなの? 口付け一つも満足に出来ないみたいだけど」

 くすくすと笑いながら話す沖田に、薫は泣きそうな顔をして言い返す。

「そ……な、こと、無い……俺は、慣れてるんだからな。け、経験だっていっぱいあって……お前を夢中にさせんのはこれからなんだから、黙ってろよ」

 表情と同様に泣きそうな声で、それでも言葉だけは強気の薫に、沖田の気持ちは少しだけ揺らいだ。けれどその後、薫は沖田の着物を肌蹴させただけで、どうして良いのか分からないらしく困った顔をして動きを止めてしまう。

「慣れてるんでしょ? 早く続きしてよ」

 揶揄うような沖田の声に、薫は悔しそうな顔をしてもう一度口付けをした。変わらず拙いその仕草。唇が離れると同時に、沖田は溜息を漏らした。

「別に、薫が何も出来なくても僕が困ることなんて無いからいいけどね」
「っ、駄目だ、妹に近寄るな!」
「近寄るなって言われても、千鶴ちゃんは一応新選組の小姓みたいな立場だし、無視出来ないよね」
「お前はそれだけじゃないだろ! 恋仲になりたがってるってことに、俺は気付いてるんだからな! 俺はお前なんて絶対認めなっ……」

 言い切る前に、薫は沖田に押し倒されていた。

「そうやって騒ぐのもいいけどさ、僕は薫の我儘に寝る時間を割いてまで付き合ってあげてるんだよ? 分かってる?」

 真剣な目で睨まれて、薫は先程までの威勢など忘れて怯えたような表情になる。
 今自分を押し倒しているのは、人を殺めた事のある人間なのだと痛感させられた。妹を奪われてしまうかもしれない、というのとは別の恐怖に支配される。

「まぁどっちでもいいけどね。薫の方から何も出来ないなら、僕がするから」

 言いながら沖田は冷たい視線で薫の着物を脱がしに掛かる。といっても、帯を解けば直ぐだった。
 掌を滑らせ、肌の感触を味わう。男のものとは思えない肌理の細かさに、少しは楽しめるかと口の端を上げた。胸元を弄れば直ぐに反応をする。感度の良さに、沖田は笑った。

「感じやすいんだね、これじゃ薫の方が僕に夢中になっちゃうんじゃない?」

 薫からの返事は無かったが、首筋を舐めようと顔を近付けていた沖田は、薫がどんな表情をしているのか気付いていない。あと少しで沖田の舌が薫の首に触れようかというその時、突然体勢が崩れた。
 いきなりのことで沖田は虚を衝かれ、何が起きのか分からない。事態を飲み込むのに、少しの時間を必要とした。
 漸く把握したのは、薫が沖田に抱き着いているということだった。
 背中に回された腕が震えている。縋るように沖田の着物を握り締めている掌が、酷く小さく感じられた。改めて身を起こして顔を覗きこむと、薫は睫毛の先まで震わせて目をきつく閉じていた。

「薫?」

 呼び掛けてもその目が開かれることはない。幾度か呼び掛けると、薫がか細い声で何かを呟いた。

「え、何?」

 口元に耳を近付けると、やっと声が聞こえた。

「こ、怖い……」

 震えながら怖いと言って、その恐怖を与えている張本人の沖田に縋るように抱き着く薫。沖田の気持ちは明らかに揺れた。勢い良く起き上がり、薫の手を冷たく振り解く。

「終わりだよ」
「え? 沖田……」
「聞こえなかったの? 終わりって言ったの。もう自分の部屋に戻りなよ、僕ももう寝たいし」

 薫は黙ったままこくんと頷いた。その拍子に、それまで我慢して溜めていた涙が零れてしまう。

「約束、忘れてないよね?」

 沖田の問いに再度無言で頷いてから、薫は着物の前を手で合わせただけで帯を置いたまま部屋を出て行く。
 自室に戻った薫は、妹を守れなかった自分の無力さに、声を立てずに泣いた。

 次の日。
 朝餉を用意している千鶴の周りに集まる隊士の中に、沖田の姿がなかった。おかしい、いつもであれば必ずいるのに……。薫がそう思った時、後ろから誰かに抱き締められる。

「うわっ、なっ、だ、誰だっ」

 慌てて首だけで振り返ると、そこに居たのは――。

「沖田っ!?」
「おはよう、薫」

 にこにこと笑いながら、沖田は薫を抱き締める力を強めた。

「なっ、何して……離せよ!」
「だぁめ。だって約束でしょ?」
「約束?」
「薫が僕を夢中にさせることが出来たら、僕は千鶴ちゃんに近寄らないって」
「え……、でも、俺は昨日……」

 何も出来なくて失敗したと思っていたのに、沖田は相変わらずにこにことしている。

「別に、何かするのだけが夢中にさせる技じゃないでしょ?」
「そりゃそうだけど……俺は何も出来なかったのに、何でだよ」
「怯える薫が可愛かった。それだけ」
「なっ、俺は怯えてなんかいない! 馬鹿にするな!」

 薫の反論に沖田は声を出して笑った。
 あんなに震えて、最後には泣いていたのに、薫の中では怯えじゃないらしい。

「そういうとこ」
「え?」
「そういうとこも、全部可愛い」
「何を言って……」
「ねぇ、約束では僕が千鶴ちゃんに近付かないってだけだったけどさ」
「何だよ」
「僕が薫に夢中になったら、もちろん僕と恋仲になってくれるんだよね?」
「っ、そ、そんな約束はしていない!」

 薫は慌てて否定した。
 元々沖田を妹に近付けたくなくて言い出したことだっただけで、その後のことなど実は考えていなかった。
 しかしそれは沖田も同様だったのだ。

「そうなんだよねぇ、僕もまさか薫を好きになるなんて思わなかったから、どうでもいいと思ってちゃんと決めなかったんだよね」
「はっ、はぁ? どうでもいいって何だよ!」
「ま、いいや。新しい約束しようよ。僕が薫を夢中にさせたら、僕と付き合って?」

 どう返事をしたものかと、口をぱくぱくと動かすだけの薫に沖田は続ける。

「昨日の続き、今夜しようか。薫は素直じゃなさそうだから、身体から落とすことにするよ」

 そう言って、薫の前髪に軽く口付ける。薫は何か喚いていたが、結局最後には了承した。
 ――その日の深夜。今度は薫の部屋へと現れた沖田に、薫が震える声で「痛いのはいやだ……」と言って、余計に沖田を夢中にさせたことに、薫本人は気付かなかったけれど。


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