月ノ熱病

月を呑む方法を知っているか

「いや、知らぬ」

酒を注いだ杯に月を映し、それを飲めば良いのだ

「そんな物を飲んだ所で、空の月は消えぬではないか」

だからまた映して飲むのだ

「……馬鹿馬鹿しい」

何を云う、繰り返す内に月はあんたの体内に宿る

「何故そんなことがわかる」


――この会話は、誰としたものだったか。
その声も、いやらしく蠢いた唇の形さえもはっきりと覚えているというのに。



"月には熱があるのだ"



――確か、そう言っていた。

飲む度、その熱にあんたは侵されていくのだ

「そんなもの、酒に酔っただけではないか」

いいや違う、月の熱が伝染するのだ、それこそが月を呑んだ証だ

「可笑しなことを云う……」

そう言って俺は嗤った筈なのに、手の中の杯には月が映されている。
もうこれで何杯目になろうか。
果たして俺の身体は熱くなっていた。

「月の熱か……」

呟いた時、土を踏む音が聞こえた。
視線を移す。鬱蒼とした木の陰に、見覚えのある人の影――

「誰だ」

問うた声は落ち着いていた。
その人物に心当たりがあったからだ。

「月を呑んだのか」
「……あぁ」

そうだ、こいつこそが月の呑み方を教えた男だ。
何故忘れていたのか……いや、俺は忘れようとしていたのではなかったか。

人影が動く。
気付けば目の前に立たれ、俺の手の中の月は消された。
杯に映るのは、そいつの影のみだ。

腕を取られ、杯が落ちた。
零れた香りに月は映ったのか――確かめることなど出来なかった、唇を奪われてしまったから。

舌が絡められ、月の破片を吸われる。
離れた吐息に熱があるのは、その所為であるに違いない。

「よもやあのような戯言を、あんたが信じるとは思わなかったが」

男の唇が弧を描く。
嘘であったか、だがもう遅い。俺は月の熱をうつされてしまった――そう告げるなり、硬い床へと押し倒される。
背に伝わる冷たさと、対照的な口付けの熱さ。

月は、この男なのではないか。

そうだ、だから俺は忘れようとしたのだ。
この熱病に侵されたが最後、もう冷めることはない気がして、それが怖かったのだ。

それなのに、俺はとうとう呑んでしまった。
天を呑むなど、大罪に決まっている。俺は自ら罪に堕ちたのだ。


男の手が着物を開いた。
俺の抵抗は徒労に終わり、背中の痛みなど気にしてももらえない。

俺を押さえる手が熱い。矢張り月だ。
性急に貫かれた痛みはやがて熱となり、また俺を侵すのだ。

上げた声は空に呑まれた。
浮かぶ月が俺を見下ろす。嗚呼、熱は地上に落ちてしまったぞ。

あの月はいま、酷く冷たいことだろう



2011.09.11

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