星の届かないところでは

今夜もまた山南さんは、変若水の研究をしている。こっちを向いてもらいたくて彼の名を呼ぶと、頬に沿う髪が流れ、続いてその目が俺を捉えた。
静かに微笑み、どうかしたのですかと問い掛けてくる声は、昔と変わらず柔らかい。

「何でいつまでもそんなことしてんの?」

山南さんは羅刹になったことを後悔していなかったけど、誰もが山南さんのように受け入れられるわけじゃない。生きたいと思うことと、人間でなくなることは、きっと同じじゃないから。
だから俺は、熱心に変若水の改良を続ける山南さんの行動を、肯定しきれないでいる。

「新選組のためですよ」
「でも、みんながみんな、羅刹になるのを受け入れられるわけじゃないだろ……」
「えぇ、ですが私の研究で、もしも人間に戻れる薬が作れたら、それは喜ばしいことではありませんか?」
「人間に?」
「えぇ、人間にです。藤堂君だって、昼の町を以前みたいに歩けるようになりたいでしょう? 血を求めない身体に戻りたいでしょう?」
「それは……そうだけど……」

俺は渋った返事しか出来なかったのに、山南さんは嬉しそうに笑った。

「この研究は、藤堂君のためでもあるんですよ」

山南さんの言わんとすることは分かったし、俺のためと言われるのは嬉しくないわけじゃない。羅刹じゃなかった頃に戻れるなら、戻りたいとも思う。
だけどそんな薬が、本当に作れるのだろうか。もしも出来てしまったら、今よりもっと人の命が軽くなってしまいそうで、素直に喜ぶことは出来ない気がする。

俺の横で真剣に薬を調合している山南さんに、もう一度声を掛ける。
本当は、今夜はそれを言いに来たから。

「山南さん、あのさ、今日さ、えっと……一緒に寝てもいい?」

山南さんの動きが、ぴたりと止まった。少しだけ無言が続き、それから山南さんがまた微笑んだ。特に困ったような表情には見えないから、嫌がられてはいないと思う。

「羅刹は夜が活動時間なのですから、まだ寝るには早いと思いますが」
「それは分かってるよ。今すぐってことじゃなくて、今日山南さんが寝る時、隣に居ていいかって聞いてんの」

一瞬、山南さんが躊躇する素振りを見せた。
あ、断られる……と覚悟したのに、意外にも了承を得られた。

「……えぇ、構いませんよ。藤堂君は子供ですからね、一人では寝られないんですね」
「子供じゃねぇって! 俺はもう大人だよ!」

こうやって反論するところが子供なんだと、自分でも分かってはいるけれど、それでも否定をせずにはいられなかった。だって山南さんを想う気持ちは、ちゃんと大人のつもりだから。それが山南さんに伝わることは、ないのかもしれないけど。

「山南さんが研究してるの、横で見ててもいい?」
「良いですよ、藤堂君もやってみますか?」
「俺はいい。変なの出来たら怖いし」

俺の返事に、山南さんがふふっと笑う。本当に、こうして見てると人だった頃と何も変わらないみたいに見えるのに……どうして俺達は、人間じゃないんだろう。
山南さんが、俺には到底理解の出来ない作業を続けている。その動く手を見ながら、何もしないのに側に居続けて良いのかな、と不安になってきた。

「ねぇ、俺本当にいていいの? 邪魔じゃない?」
「良いと言ったじゃありませんか、邪魔だなんて思いませんよ」
「ならいいけど……」

それからは、お互い何も話さず時間が過ぎていった。
夜明けが近づいた頃、そろそろ休みましょうかと山南さんが俺を誘う。静かに頷いて、一緒に山南さんの部屋へと戻った。

少し離れた位置に布団が敷かれたことに、ちくりと胸が痛む。
くっついて寝る方がおかしいのは分かっているけど、それでも、その距離の分だけ拒絶されているような気がしてしまう。
俺が悲しがっていることになんて気付いていない山南さんは、眼鏡を外しておやすみなさいと微笑んだ。うん、おやすみ、と答えて俺も布団に入る。

――かなりの時間が経った。
閉め切った部屋からは見えないけれど、寝転がっているだけなのにやけに身体が怠いから、もう太陽が高い位置に来ている気がする。きっと外は眩しいくらいに明るいのだろう。

「……山南さん」

起きているか確認するために、呼び掛けてみた。反応はない。
念のためもう一度、声を掛けてみる。それにもやっぱり反応はない。心配になってもう一度、もう一度と、繰り返し呼び続けたけれど、山南さんはぴくりとも動かなかった。本当に寝ているようだ。
それが分かって安心した俺は、起きてるときには言えない言葉を山南さんの背中に投げる。

「俺は羅刹になったのを後悔したことも、月を見る度にその明るさに絶望したこともあったけど、今は山南さんの側にいられるから良かったなって思ってる。この先山南さんが薬の研究を続けて、それが成功しても失敗しても、俺は……俺だけは、変わらず山南さんの側に居たい。山南さんの側にいられるなら、俺は人間に戻れなくたって構わないから……」

そこまで言って、唐突に恥ずかしくなった。
でも聞かれていないんだから別にいいか、と思い直す。
言葉に出して、改めて自分の気持ちを認識した。俺は、山南さんが大切なんだと。
もう一度、届くことのない「おやすみ」を言ってから、俺はようやく目を閉じた。



2017.07.04
title/エナメル様

※平助が近くで寝ているせいで、緊張して寝付けなかった山南さんは全部聞いてました、っていうオチ。

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