まるで恋に似ていると
屯所に鬼が来た、という噂話を耳にした。
聞いた時には鬼とは何だと笑っていたが、数日後の夜、俺はその鬼と対峙することになる。
その日、俺は雪村の後を付けていた。
あの小姓には、何か秘密がある。そう思っての行動だったのだが、そこに突如現れたのが噂の「鬼」だった。
そいつは雪村を連れて行こうとしていた。
別に雪村なんざどうでも良かったが、屯所内でよそ者に好き勝手されるのは気分が悪い。
小姓を守るように立った俺に、夜目にも眩しい金の髪の男は「邪魔だ」と俺に吐き捨てた。
「そう思うんなら、力づくでどかしてみろよ」
俺の言葉に、下らんと言ってそいつが溜息を吐く。面白ぇ、今の言葉、絶対に後悔させてやる。
間髪入れずに刀を振った。だが手応えが無い。そいつは音も無く俺から離れていた。
追いかけて、また刀を振る。だが同じ事の繰り返しだった。
「弱いな」
そう言って薄く笑うその男に腹が立った。
追い掛けていく内、俺達は屯所から出ていたらしい。
「しつこい男だ」
つまらなそうに呟いたそいつは、何を思ったか俺に近付いてきて――風を斬る音がした。
俺自身が斬られたと思ったのだが、直後に刀が地面に落ちる不快な音がした。
時間差で、右手にじんと鈍い痛みが走る。持っていた刀を叩かれた反動だろう。
左手を、鬼に掴まれていた。
急速に近付く鬼の顔。
その唇が俺の耳に寄せられて、次はもっと楽しませろと囁かれた。
言い返そうと睨み付けた時、俺の唇は塞がれていた。
驚きで固まる俺を残し、鬼は一度笑ってから矢張り音も無く去って行った。
――何だ、
今、俺は何をされた?
余りに瞬間的な出来事だったから、何が起きたか理解するのにかなりの時間を必要として、漸く自分の身に降り掛かった事が分かった時には、羞恥と怒りが同時に湧いた。
屯所に戻れば雪村が、先程は有難うございましたと言いに来た。
「別に、お前を守った訳じゃねぇよ」
「でも、助かったのは本当ですから」
「それより、何でお前は狙われてんだ?」
「……分かりません」
嘘だと思った。やっぱりこいつには何か秘密があるに違いない。
だから俺はまたきっと、この小姓を見かけたら後を付けるだろう。でもそれは、こいつの隠している事を知りたいからだ。あの鬼に会いたいからなんかじゃねぇ。
「さっきの奴が現れたら、俺を呼べよ」
「え? でも、」
「いいから、約束しろ」
「はい……」
困ったように頷く雪村を置いて、俺は自室へと戻る。
次は、俺があいつに屈辱を与える番だ。そうだ、次は俺があいつを捕まえて、あの嫌味ったらしい口を塞いでやるんだ。
この日から、俺はずっとあの鬼の事ばかり考えていて、早く現れはしないものかと屯所の庭を気にしてばかりいた。
自分の行動が、まるで恋に似ていると気付いたのは、それから随分と経ってからだった。
※拍手掲載文
20160501 - 20160606