風間ルート後日談

月を見る度思い出す、あの蒼い瞳を 去り行く姿を――


「鬼は陰の存在で良いではありませんか」


天霧は、そう俺に進言する。
しかし鬼の頭領たる俺は、首を縦に振ることなど出来ない。鬼の世界を作る事が俺の役目であり、俺自身もそれを望んでいるからだ。

その筈なのに、ここ数ヶ月の間、俺は女鬼を探せずにいる。探す気が起きんのだ。
理由は分かっている、俺の胸に棲まう人間が居る所為である、と。

そうだ、忘れられない。
斎藤一という、あの男が。

だが、俺はこの先斎藤と会う気など無い。鬼の俺が人間に惹かれたなど、あってはならんし新選組とやらの……いや、人間の情けない末路を見届ける、それだけで良いのだ。
――何度もそう思うのに、あの時振り返った男の顔が忘れられなかった。

どうしようもない気持ちで空を見上げると、月と目が合う。
あの男が俺ではない場所を選んだ夜に、俺達を照らしていたあの月だ。
静かに浮かぶその姿が、またあの男を連想させる。
あの日から、幾日が過ぎている? 何故俺はあの男を鮮明に思い出す事が出来るのだ。

胸が波立つ。
会う気など無かったのに、俺はこの日、とうとう斎藤を迎えに行ってしまった。

俺は見届けてやると約束をした。鬼は約束を違えない。
だから斎藤に会う事は無かったが、新選組の行動はずっと見ていた。屯所にも幾度来たか分からない。
中にこそ入らなかったが、斎藤の事は確認していた。斎藤の部屋も知っていたし、斎藤が部屋に戻る時間も把握していた。
自分の行動を女々しいなどとは思わない、俺は約束を果たしているだけだからだ。

今日に限って斎藤の部屋には他の者が居て、俺はそいつが出ていくのを静かに待った。
ようやく出て行った新選組の人間と、入れ替わるように俺は部屋に忍び入る。書き物をしていた斎藤は、振り返りもせず「忘れ物か?」と訊いて来る。先程出て行った者と勘違いをしているようだ。
答えぬ相手を訝しんだ斎藤が振り返り、俺を認めて驚いた顔をした。

「風間……」
「久し振りだな、人間」
「何をしに来た」

何をしに……そう言われるとどう答えたものか少し悩んだ。

「頑張れば、褒美をくれてやると言ったであろう」
「いらんと言った筈だ」
「たまには息抜きも必要ではないか?」
「そんなもの、必要無い」
「まぁそう言うな、俺の屋敷に来い」
「勝手に抜ける訳にはいかない」
「そうか、ではそこらの者を片端から殺していく事にしよう。そうすればお前は俺を追いかけざるを得まい」

鬼の俺にとって、人間を殺すなど大した仕事にもならない。斎藤が来ないと言い張るなら、別に他の者など殺しても良いと思った。
斎藤がどう答えるかと待っていると、

「卑怯な……」

唇をきつく噛み、それでも応戦するより新選組の被害を減らす事を選んだようだ。
悔しそうな表情は俺の望む顔では無かったが、それでも斎藤は俺に付いて来る事を選んだ。


屋敷に着くと、中を案内した。厠の場所、以前共に入った風呂の位置、空き部屋の説明を軽くしてから寝所へと迎え入れた。
何も話さぬ斎藤を引き寄せると冷えていて、風呂を焚くかと訊いてみるも首を横に振られるだけであった。

会いたくて、会いに行った。
呼びたくて、連れて来た。
しかしいざ部屋に来ると、何をすれば良いか分からなくなる。

「酒でも飲むか?」

訊いてみるが、また首を振られ

「早く屯所に戻りたい」

その身体よりも冷えた言葉が返された。ちりっと痛んだ胸が、斎藤の言葉を重く受け止めていると感じさせる。
目の前に居るのに、この腕の中に居るのに、それでもこの男が手に入らない。

馬鹿な、と思う。
俺は鬼で、頭領で、人間など小さな存在で。だから欲しいなどと思う訳が無いのに。
それなのに、俺は今人間に気持ちを翻弄されている…

渦巻く自分の感情を抑え、斎藤に口付けた。
ひんやりとしたその唇は、俺を拒絶しているようにも思えるが、それでも抵抗はされなかった。口付けを深めると、冷えていた唇に熱が帯びる。
そのうち小さく斎藤の声が漏れ、俺の着物を掴まれる。瞬間、自分でも驚く程に胸が高鳴った。

慌てて斎藤から口を離す。
離れた俺を見上げる斎藤の瞳は潤み、俺の鼓動を余計に速めた。
何か言いたいと思うのだが、掛ける言葉が見付からず、もう一度口付けてから斎藤を組み敷く。
さしたる抵抗を見せず、いやそれどころか俺の着物の裾を掴む斎藤はまるでその先を望んでいるようで、俺は早急に斎藤を脱がしに掛かった。

濡れた瞳が俺を映し、俺の瞳に斎藤を映す。少し見つめ合ってから、また口付けを落とす。
斎藤は俺の与える物を受け取るだけではなく、自ら俺の舌へと絡んでくる。その動きは拙いのに、拙いからこそ俺を熱くする。
もしかしたら斎藤は、俺に好意を寄せているのではないか――
そう思わせるから、熱くならずにいられない。

繰り返す口付けが音を立て始めた。上がる息すら熱くなり、斎藤の身体へと手を這わすと胸で立ち上がる斎藤の熱へと行き着いた。
撫でるとぴくりと斎藤の身体が震える。口付けたまま優しく摘む。触れて、撫でて、弄るのを繰り返すと斎藤はびくびくと震え、俺の唇の下で息苦しそうにし始める。

顔を離すと熱い息を一つ吐き、風間…と俺の名を呼んで来る。
その声は小さく震え、簡単に俺を限界まで連れて行く。斎藤の中心に触れると、声と同様震えながら熱を持っていた。
軽く扱くと簡単に熱くなり、その反応に俺も熱くなる。斎藤から手を離し、指を後ろへ持っていく。数度撫でてからゆっくりと指を沈めた。

震える息を吐き出し、斎藤はその刺激に耐える。
あの時と違い、きつくなったその場所は解すのに時間が掛かった。早く斎藤が欲しいという気持ちを必死に堪え、斎藤から漏れる声が甘みを帯びるまで待った。

もう充分だと思えた時に、やっと俺を斎藤に示す。俺自身の熱を感じ、斎藤がまた俺を見上げた。
その顔を見た途端、酷い事をするつもりなどなかったのに一気に最奥まで挿れこんでしまった。高い声を上げた斎藤が、強く俺の着物の裾を握り込む。

中は熱く、俺の息も上がる。
声を掛けようかと思ったが、俺達はそんな関係ではないのだと思い出し、黙ったまま俺は動き始めた。
斎藤は唇を噛んで声を殺していた。噛まれている下唇が何とも痛々しくて、俺は動きを止める。

「声を出せ……」

促して、斎藤の唇に指を這わせた。斎藤は驚いたように俺を見るが、俺の真意を感じたのか口を薄く開いた。
素直な反応に思わず微笑んでしまう。愛しくて、口付けてからまた動きを再開した。

斎藤は唇を噛むのを止めた替わりに、目を瞑る。
それからは俺を見る事は無かったのだが、声は素直に上げ続けた。互いの限界が近付き、俺が動きを速めて同時に果てる。
息を整えながら、斎藤はそっと目を開いた。その熱っぽい瞳が俺を捉え、口を開く。

「あんたは……脱がないのか」

前もそうであった。斎藤の事は脱がせようとも、自分は脱がない。
人間に見せるものではないと一度は言ったが、その後結局斎藤に俺の肌を見せた。それでもまた脱がずにいる俺は、恐らく斎藤の目に冷たく見えている事だろう。
しかし実際は違う、脱ぐ間も惜しくて出来ないだけだ。その少しの間すら、斎藤から離れたくなくて……こんな事、言える筈も無い。
自分の余裕の無さなど斎藤に見せたくなくて

「何だ、一度では足りんのか?」

否定されると思いながらも訊いてみると、斎藤は困ったような照れたような表情を見せ、首を横に振る事をしなかった。
予想と違う反応に、俺は困ってしまう。

斎藤から離れ、俺は自分の着物を解いた。お互い一糸纏わぬ姿で、また行為を始める。
斎藤は戸惑った表情を見せた後、俺の背中に腕を回した。その手の感触に、俺は未だかつてない緊張を感じる。
いや、緊張という名は相応しくない気がする。では何だ、この感情の名は……

名が分からずとも俺を熱くしているのだけは間違いが無く、余裕は無くなり、余裕の無さを隠す余裕すら無くなり、それから幾度斎藤を愛したか分からない。
斎藤の意識が無くなるまで繰り返し、俺も最後に果てた後には疲労からか斎藤の隣で少し寝てしまったようだ。


目を覚ました時、隣に斎藤が居なかった。
慌てて起き上がり、布団に触れると斎藤が寝ていた場所には温もりが残っている。

脱いだ着物を直ぐに羽織り、急いで部屋を出た。廊下に斎藤の姿は無く、俺の足が行き先を求めて戸惑い動く。
普段は取り乱したりしない俺が、廊下を走るように渡り真っ先に風呂へと向かった。
戸を開くとひんやりとした空気が流れ、誰も居ない事を知らされるがそれでも中まで確認した。
矢張り誰も居らず、急いで風呂を後にする。

一つずつ部屋の中を確認して行く。部屋の数だけ期待をし、同じ数だけ裏切られて。
最後の一部屋の前に来た時、開けるのが怖くなった。ここに居なければ、つまりはもうこの屋敷に斎藤が居ないという事だ。
それは斎藤がまた、俺ではなく新選組を選んだという事。

嗚呼、あの美しい月は何と不吉な存在だろうか。
あの月が上がる時、俺は斎藤を手に入れられないのかもしれない。
知らず震え始めた手で、襖を開ける。そこには―――

誰も居なかった。


瞬間呼吸が止まり、遅れて吐きだした息は弱気を含んでいた。顔を上げているのも辛く、俯いてしまう。
目に入った廊下の板の目を、見るともなく見ながら溜息を吐く。次に俺の口から出たのは乾いた笑いであった。

「人間の方が、卑怯ではないか……」

俺の気持ちに応えぬのなら、何故抵抗しなかった。何故俺を見つめた、何故俺の背に腕を回した…問いかける相手が居らず、疑問を口にする事も出来ない。
目線を落としたまま、俺は重い足取りで寝所へと戻る。

ふと、違和感を感じた。寝所の襖が閉まっている。俺は、閉めただろうか?
慌てていたのだ、そんな余裕など無かった筈だ。では何故閉まっている? もしや斎藤が――? そうと思ってすぐに自分で否定をする。また裏切られては堪らない。
恐らく天霧でも来たのだろうと無理矢理考えてみるも、襖を開ける手は期待に震えた。襖を開けるとそこには、

「斎藤……」

どこに居た? 俺が訊くより早く、斎藤が口を開いた。

「慌てていたようだが、何かあったのか?」
「お前を……探していた」

訳が分からず、馬鹿みたいに答えた。俺の答えに斎藤は不思議そうな顔をする。

「何故俺を探す必要がある」
「お前が、居なくなっていたからだ……」

斎藤は困ったような顔をして

「厠の場所を教えたのはあんたであろう」
「……」

俺が真っ先に風呂を探しに行ってしまったのは、この屋敷で斎藤との思い出がある場所だからだ…俺はどこまで斎藤に囚われてしまっているのだろう。
この男を、斎藤を、新選組になど帰したくない、そう思った時。

「もう戻る」

小さく呟かれ、引き留める言葉を絞り出す。

「あんな場所に居て、何を成せるというのだ。ここに居ろ」

言うと斎藤は俺の目を真っ直ぐに見つめた。強い意志を宿したその目は、瞬間俺を怯ませた。
斎藤は一度口を開きかけたが、何も言わずに口を閉じ、俺を見つめていた視線を落とした。

「どうした」

促すと斎藤は意を決したように再度俺を見つめ、凛とした声でこう言った。

「俺はあんたの望みを叶える事など出来ない」
「俺の望みを知っているのか?」

俺の望みは斎藤にしか叶えられないのに、何を言っている? 不思議そうな顔をした俺に、斎藤は辛そうに言葉を続けた。

「俺は…………どれだけ一緒に居ても、あんたの子を産めん」
「何だと?」

何を言っているのか分からなかった。俺はそんな事を望んでなど……そこで思い出す。
斎藤を送った時、確かに俺はそう言った。鬼の世界を作るのだと、その為に女鬼を探しているのだと。
あの時の会話を斎藤は覚えていたのか。

「俺は、鬼の世界などもう望んではおらん」

そう言うと、斎藤の瞳に驚きの色が浮かんだ。あと一声で手に入ると思った。

「お前がここに居れば良い」

斎藤の視線に迷いが生じ、静寂が流れた。その静寂を破ったのは斎藤であった。
こくり、と決心を飲み込んだ斎藤が俺を再び見据える。開かれた口からは、肯定の返事を貰えると信じていた。手に入れたと思った、斎藤さえ手に入れば他には何も要らないと思った。
それなのに、

「俺が新選組で何をするのか見届けるのだと、あんたは約束をした筈だ」

確かに約束をした。
そして今それを言うという事は、斎藤が選んだのは――

「俺は戻る」

返事など出来なかった。広がる虚無感に、出せる言葉も見付からない。黙った俺に、斎藤が続ける。

「あんたは欲しい物を手に入れる男ではないのか」
「あぁ…だが入らん物もあると知った」

情けない、鬼の俺が何を言っているのか。しかし一度手に入れたと思ってしまった分、辛さが増して虚勢を張る気も奪われた。
弱気になった俺に、何故か否定の言葉を掛けられる。

「そんな事はない」
「何を言っている?」
「あんたはもう手に入れている」
「俺が…何を手に入れたというのだ」

俺は女鬼も見付けていない、斎藤も残らない、何一つとして手に入れたものなど無いというのに、その俺が一体何を。

「あんたは……、俺の気持ちを手に入れている」
「…………」
「あんたに約束しよう。俺は、離れていてもあんたを忘れないと」
「何、を……」
「人間が信じられるものであると、俺が証明してみせる」

だから離れるしかないのだと、言外に含ませ斎藤は決意を述べる。その瞳に嘘は無い。
離れはするが、その気持ちは俺の物だと…もう虚無感など無かった。

「鬼は約束を違えん、お前をこれからも見届けてやろう」
「俺も約束を違える気は無い」

それからは見送るなと言われ、何故かと訊ねれば離れられなくなるからだと告げられる。
恐らく俺もそうだろうと、寝所で呆気無く別れた。

本当は、最後に一度口付けたかった。けれど触れてしまったら、矢張り帰せなくなりそうで、無理矢理作った笑顔で別れを告げた。
斎藤も、不自然な程に綺麗な笑顔を見せた。

まるでまた明日会うかのような俺達の表情は、知らぬ者が見たら恋仲にしか見えなかったであろう。もう逢う事など叶わないのに…

その後、新選組に戻った斎藤のやった事と言えば、間者になり、新選組を騙し、助け、名を変えて……俺は思わず苦笑する。

「信じろと言っておいて、騙してばかりではないか」

しかし俺には分かっている、斎藤は自分の信念に嘘を吐いていない。そして、俺にはそれが分かると信じているのだと。

「天霧の望み通りになってしまったな」

けれどそれも悪くないと思う。まさか俺がこんな事を思うようになるとは…
自分の変わりようにも苦笑してしまう。

斎藤を思い出しながら酒を飲む夜、空を見上げると月と目が合う。
斎藤を連れて行ったあの日と同じ月だ。

杯を傾け月を映した。
小さな器に収まる大きな光、揺らめく姿を一気に飲み干す。
その味に斎藤との口付けを思い出し、俺は薄らと酔った気がする。

歴史に名を残した斎藤一。
その男の生きた陰に、鬼の存在があった事など人間共は知らなくて良い。


2010.04.03