原田ルート

目を覚ますと薄明かりの中、右側にとても温かい気配を感じた。
温もりの正体を確かめる為に首を右に傾けると人肌が目に入り、そのまま少し視線を下げると晒しが巻かれた腹が見える。

「……左之?」

俺の小さい呟きに、

「ん……あぁ、起きたか斎藤。悪い、ちょっと寝かけちまった」

その声のする方へと顔を向けると、目をこすりながら優しい眼差しを俺に向けてくる左之の顔があった。

「何か食うか? それとも飲むか?」
「……いや」

この状況が理解出来ない。

「何故あんたが隣で寝ている」

聞いてみると、左之はやや困ったように「昨日、俺がお前を見付けたからよ」と言った。
昨日? 何の事だ……。

「お前、丸一日近く寝てたんだぞ? 本当に腹減ってねぇのか?」

優しい口調で問われ、腹に意識を向けてみるが何も食べたいとは思わなかった。

「あぁ、平気だ」
「そうか」

それから左之は口を閉ざし、俺の髪を指で梳いてきた。
何故そんな事をされているのかとは思ったが、繰り返し髪を触られる感覚がやけに気持ち良くて、俺も何も言わずにされるがままとなる。
何度か髪に触れた後、左之はその温かい手で俺の頬を包み、躊躇いがちに訊いてくる。

「身体は平気なのか?」
「何のこと……」

言いかけて、俺は昨夜の出来事を思い出した。
左之が俺を見付けたというのは、あの状況を見られたということか?

「あそこは、俺達の隊が最後に見廻る場所だったんだよ……何でお前がいたのか知らねぇけど」
「……」

巡察一つまともにこなせなかったことも、その上であんな状況に陥ったことも、それを左之に見られたことも……全てが恥ずかしかった。
俺は一体、何をしているのだ。何から言えば良いかも分からず黙ってしまった俺に、左之は俺が別の心配をしていると思ったようだ。

「お前のことは他の隊士には見せてねぇよ、安心しな」

左之は続けて説明する。

「俺が真っ先に入ってよ、そしたらお前がいたから他の奴等は入れなかった。俺も誰にも言ったりしねぇし、早く忘れろ」
「……すまない」

優しい口調に涙腺が緩みかけた。俺はもっと強い人間だと思っていたのに、左之の言葉は何故か心に染みてくる……。
それから改めて周りを見ると既に外は暗くなっており、目覚めた時の薄明かりは、左之の部屋の行灯が揺らめいていたからなのだと気付く。同時に、俺は丸一日近く寝ていたと言われたのを思い出した。
道理で左之が心配する訳だ。
しかし何故左之がそれを知っているのだろうか。まさかずっと俺の隣にいたのか?

いや、そんなはずはない。
今日の非番は確か新八だったはずで、左之がここにいられる訳がないのだ。大体非番だったところで、左之が俺の隣にいる必要などないはずだ……。
悶々と考えていると、今日は新八と代わってもらったと伝えられた。

「何故だ」
「お前がいつ目ぇ覚ましてもいいようにな」

そう穏やかな目と口調で言われてしまい、俺は返答に困ってしまう。

「何故、そんな事こと……」
「何だ、迷惑だったか?」
「そうではなく……左之がそんな事をする理由がないではないか」
「理由ねぇ」

左之はうーんと唸りながらも、余裕の笑みを浮かべたままだ。
それから口調も余裕のまま返事をしてきた。

「お前が、好きだからかな」
「何……」

その答えに驚き、左之の目を見るとどこか楽しそうで。

「なんてな、信じたか?」

ははっと笑われ、揶揄われたのだと知る。

「信じてなど……」

驚いてしまった自分が恥ずかしくなり、思わず強がりを言ってしまった。

「そうか……。じゃあ、もし本当だったらどうする?」
「何だと」

再び左之を見ると、その表情は余裕のままで、本気なのか冗談なのか判断出来ない。
けれど、目が真剣な気がするのは気のせいだろうか?

「こんな時に、冗談は止せ」

左之から目を逸らし、俺はどうにか会話を終わらせようと思った。
すると左之がまた俺の髪に触れて、やや真剣味を帯びた口調で質問してくる。

「冗談か……そっちの方がいいか?」

思いがけず続く会話に、俺は困ってしまう。

「俺は揶揄われるのは好かん」
「そうだな、お前は冗談とか言うやつじゃねぇしな」

最後に俺の頭を撫でてから、立ち上がって言った。

「水持ってくるわ、少し待ってな」
「待て、自分で行く……」

俺は自分の部屋に戻ろうと思ったのもあり、起き上がろうと片腕を付いた。
しかしその腕に全く力が入らず、少しだけ起こした身体がよろりと傾く。それをすかさず左之が支える。

「すまない」

まさかこんなに身体が弱っているとは、思ってもみなかった。
今日は一日ずっと左之が面倒を見てくれていたというのに、まだ俺は左之に迷惑を掛けてしまうのか。
すると俺を支えた左之の腕が、そのまま俺を抱き寄せる。何が起きているのか、と思う間に強く抱き締められた。

「左之っ……?」

けれどそれは瞬間的なもので、俺が左之の名を呼ぶと、すっと離れる。

「気ぃ付けろよ、斎藤。水は俺が持って来るから、寝て待ってな」

そして何事も無かったかのように部屋を出て行く。
残された俺は、胸の鼓動が速くなっているのを無視する訳にはいかなかった。
今の左之の抱擁は一体何だ?
たった一瞬の出来事であった。それなのに、その一瞬の熱さが今も残っている。

"お前が好きだからかな"

一度そう言ったが、まさか本気であったのだろうか……いや、そんなはずはない。
左之のような男に、俺が好かれる理由も思い浮かばない。
ほどなく戻った左之は、俺を抱き上げるように支え、水を飲ませてくれた。

「どうする? また寝るか?」

優しく聞かれてしまったので、先程の行動について聞きにくくなってしまった。

「いや、部屋に戻る……」
「何言ってんだ、一人じゃ何も出来ねぇだろ? ここで寝ろ、何かあったら俺が何でもしてやるから、な」
「左之……」

こんなことが言われたい訳ではないのに、言われて嬉しいと思ってしまう自分がいた。
強く否定も出来ず、今夜は左之の言葉に甘えてここで寝ることにする。
左之が灯りを消しに行った。突然暗闇になった部屋は、視覚以外の感覚を研ぎ澄ませる。
慣れた自分の部屋を真っ直ぐ布団に向かって歩いてくる左之のその足音や、左之の纏う空気が、また俺の鼓動を速めた。
布団に辿り着いた左之は、当たり前のように俺と同じ布団に入ってくるので、俺は自分の心臓の音が聞こえてしまうのではないかと、余計に緊張してしまう。

「どうした斎藤、寒いのか?」
「いや」
「何だ、欲しいもんでもあるか? 何でも持って来てやるぞ」
「何でも……?」
「あぁ、お前今日は歩けねぇんだし、遠慮すんなよ」

そう言って優しく微笑む左之に、自分でも信じられない言葉が出た。

傍にいて欲しい……。

けれどその呟きは小さなもので。

「ん、どうした?」

返された言葉は、俺の声も気持ちも、左之には届いていないと知らせるものであった。

「いや、欲しいものなどない」

もう一度言う勇気などなかった。

「そうか? ゆっくり寝ろよ、誰か来ても追い返すから」

その後は話すこともなく、黙って寝ようとしたのだが、一日中寝ていた俺はすぐに寝ることなど出来なかった。
どれくらい経った頃だろうか、ふと左之がもう寝たのか気になった。
そっと顔を覗いてみると、目は閉じている。だが呼吸が寝ているものとは思えない。
俺がいては寝にくいのではないだろうかとも思ったが、もしも寝かけているところだったらと思うと話し掛けるのも忍ばれて、結局また眠くもないのに目を閉じるしかなかった。

「ん……」

目を閉じて幾らもしない時、左之の声が聞こえた。
狭い布団に二人で寝ていて、左之はきっと体勢が辛かったのだろう、腕を少し動かし、その手の先が俺の手に当たった。

と思った瞬間、俺の手が握られた。
強く掴まれたその手の熱さに、俺はまた鼓動が速まる。

「さ、左之……? 起きているのか?」

寝ぼけているのかもしれないと、心のどこかで思いながら左之の顔を見てみると、寝ぼけるどころか真剣な眼差しで俺を見ていた。

「寝らんねぇのか?」

左之は握った俺の手を離さず問いかけてくる。

「俺はまだ、眠くなどない……」

何故手を握っているのか聞きたいのに、素直に左之の質問に答えてしまうだけの俺。

「はは、そうだな。今日は一日寝てたんだもんな、斎藤は」

左之は穏やかに笑って、何事も無かったように俺の手を離した。
左之が何がしたいのか分からない。分からないのに、離された後に残る左之の熱さが俺の鼓動を速めたままで……いや、何を考えているのだ、俺は。

左之はきっと誰にでもこうなのだろう。優しくて、熱くて、大人なのだ。
それに翻弄されるなど、俺がまるで子供のようではないか。

大体、左之も男だというのに、俺は一体何をこんなに緊張している?
これではまるで左之の事を……いや、昨日あんなことがあったのだ、それで少し感覚がおかしくなっているのだろう。
認めたくはないが、気が弱っているのは確かな事実で、だから左之の優しさに惹かれてしまっているのに違いない。
それだけだ、きっと明日になればいつも通りの俺に戻る……。

ならば今夜は大人しく寝よう、そう思ったのに左之がまた動いたので、狭い布団の中に二人で寝ている事を再度意識してしまった。
動揺を隠すために、左之に話しかけてみる。

「こんな狭い場所で俺と寝るのは、迷惑ではないのか?」

すると左之がふ、と笑うのを感じた。

「何だ斎藤、気付いてねぇのか?」
「……何をだ?」
「布団なんてな、お前の部屋からでも持ってくりゃ済む話じゃねぇか」
「……」

言われてみればその通りで、敢えて一つの布団に俺達が寝る必要はない。では、何故――。
理由を考えている間に左之が俺の上に来た。夜目に見えたその瞳はとても優しくて、俺は思わず惹き込まれて言葉が出せない。
黙してただ左之を見上げるだけの俺に、左之は言葉を続ける。

「俺はな、お前の傍にいてぇんだよ……迷惑か?」
「迷惑、などでは……」

迷惑どころか、先程俺が望んだことを左之も望んでいたなんて……。
けれどそれを嬉しいと思う反面、怖くもなった。
明日になれば、この気持ちはなくなってしまうのではないか? 今夜の俺は少し弱っていて、だから誰かの傍にいたくて、もしかしたらそれは左之でなくとも良いのかもしれない。
けれど、左之でなければいけないのかもしれない……。判断など出来ない。
だって俺はいま、きっと少し普通ではないから。

「斎藤、俺はもっとお前に近付きてぇ」
「左之……」

瞬間、左之に抱き付いてしまいたい衝動に駆られるが、必死に抑えた。
そのくせ、何かを言うことも出来ずにいる。左之は俺に近付きたいと言ってくれたのに、俺はどう答えて良いのかもどうしたら良いのかすらも分からなくて、結局目を逸らしてしまった。
それでも左之は、俺に優しい。

「悪い、あんなことがあった後じゃ嫌だよな。別に何もしねぇから、安心しろ」

そう言って俺の頭を軽く撫ぜ、また横に寝転がる。
左之の態度は、俺の胸を締め付けて仕方がない。ただ、左之だけを想ってしまう。
左之に抱き締められたのなら、俺は昨夜のことなど全て忘れられそうな気がする。左之であれば、昨日のことも俺のことも、何もかもを包んでくれる気がしてならない。

頼りたくなる。
縋ってしまいそうになる。
なのに、それでは駄目だと心のどこかで警笛が鳴る。
自分の立場を忘れるなと、俺は三番組の組長であるのだと……そんな俺に、左之が言葉を掛けてきた。

「斎藤、俺はお前の顔を見てられるだけでいいんだ。何もしねぇし、俺のことも気にすんなよ」

どうしたらいい、気にしない訳にはいかない。何故ならもう、俺の気持ちは左之一色になってしまっているのだから。
どうしようもなくて、横で寝る左之の背中にそっと腕を回した。
そんな俺の行動に驚いたらしい左之は、優しい口調で残酷な言葉を投げ掛けてきた。

「どうした、気分でも悪くなったか?」

そうか、俺の行動では気分が悪いと思われるだけなのか……。
では俺も左之にもっと近付きたいのだという気持ちは、どうすれば伝えられるのだろう。
刀の使い方は習った。人の殺し方も学んだ。けれど甘え方を教えてくれる者など、誰一人としていなかった。
だから分からない、左之に近付く方法が。
自分の不甲斐無さが情けなくなり、俺は左之に回した腕をそろそろと自分の方へと戻し始める。
その手を、左之が掴んだ。矢張りその手は、とても熱い。

「斎藤、気分が悪い訳じゃねぇのか?」
「……違う」
「なら……」

珍しく左之が言い淀み、少しして俺を自分の胸に引き寄せた。左之の腕の中もとても熱くて、俺は眩暈がする。

「俺はな、今お前に手ぇ出さねぇように必死なんだよ」
「左之……」
「でもお前が嫌がらねぇってんなら、俺は……」

そこまで言って、左之は俺を抱き締めていた腕を少し緩めた。
その隙に左之の顔を見上げると、既に左之が俺に近付いている。
緩められた腕が俺の頭を支え、後頭部に左之の温もりを感じながら唇にも温かさを与えられた。
前も後ろも背中も胸も、左之に包まれているのは紛れもなく現実なのに、その温もりはまるで夢の中にいるような心地にさせる。

触れられていただけの唇が、どんどん俺を求めてくるので夢中で応えた。
余りに夢中で、左之の服の襟を縋るように掴んでしまったのは無自覚でのことだ。左之が突然、俺から口を離して言う。

「折角これだけで我慢しようとしてんのに、そんなことすんじゃねぇよ」
「俺は何か、変なことをしたか?」

左之が苦笑する。

「だな、変なのは俺の方だよな」

そう言って、俺の前髪に優しく口付けてから悪いけど手ぇ離してくれ、と言って俺を抱き締め直してきた。
手……?
言われて気付く、ぎゅっと左之の襟を掴んでいる俺の左手に。

「すまない」

素直に手を離そうと思ったのに、何故か上手く離せなくて、俺は左之の襟を掴み続ける。するとその手を左之が包む。

「何してんだ、斎藤」

困ったように質問されて、俺も困った。

「……離せない」

分かっている、俺は怖いのだ。
明日になったらきっと、いつも通りの俺に戻るのだろう。そうすれば、左之もいつも通りに戻るはずだ。
それはつまり、また必要以上に関わることのない関係に戻ってしまうということ…それが怖い。だから、離せない。

俺は自分の矛盾に気付いている。いつも通りに戻れるのなら、それで良いではないか。むしろいま左之と深く関わらない方が、明日からの隊務に支障もないだろう。
それなのに、いつも通りになる事に怯える理由は唯一つ――俺は、左之を好きなのだ。

元々好きだった訳ではないと思う。
けれど惹かれていなかった訳でもないと思う。
左之の、周囲を見渡せるその柔軟性や気遣いに、心のどこかで憧れていた。
そして今夜、左之が時折見せる熱さに心を奪われた。俺だけに見せているその態度を、これからも俺だけに見せて欲しいと思ってしまった。


今だけだ。
今だけだ。
気持ちが弱っているからだ。
この気持ちは勘違いだ……。

何度も自分に言い聞かせる。
左之を好きだなどと認めたくない。
それなのに、手を離せない。

いつまでも手を離さぬ俺に、とうとう左之が起き上がった。

「俺は離せって言ったよな?」
「……言った」
「俺は我慢してるとも言ったよな?」
「……聞いた」
「それでも離さねぇのは、お前に手ぇ出していいってことか?」
「……」
「斎藤、何で答えねぇんだよ……」

左之の口調に余裕がなくなっているのを感じる。それがまた俺の気持ちを乱す。
答えぬくせに離さないままでいる俺の手を、左之が無理矢理引き剥がした。掴まれた手は布団に縫い付けられ、左之に組み敷かれる。

見上げた左之の顔は、既に俺の唇を奪っていた。直後、激しく口内を貪られる。逃げようにも左之が俺を押さえつける力が強く、微動だに出来ない。

「ん……ふっ……」

先程俺を求めてきていたのとは全く違うその口付けに、左之がこれから何をしようとしているのかを知る。
そして、それだけ本気なのだとも。

やっと唇を離された時には、既に俺の息は上がっていた。
その激しさで肌蹴てしまった俺の胸元へと、間髪入れずに左之が唇を落とすので、全身がどんどん敏感になってきてしまう。

「あっ、やめ、左之……」

言っても左之は気にせず、俺の身体に何度も口付ける。
左之の唇も、左之が顔を動かす度に触れる左之の髪も、こそばゆくて気持ちが良くて……これから左之にされることを思うと、また鼓動が早まる。
俺はもう自分の気持ちを誤魔化す事など出来ない。

けれど、左之は?
何故俺にこんな事をしてくるのか、それが未だに分からない。

左之の気持ちを考えると、また気持ちが弱まる。
もしかしたら、傷付いた仲間を放っておけないだけなのではないか……?
充分に考えられる話だ。もしも昨日あんな事があったのが俺ではなかったら、左之はその者に、いまと同じ事をするのではないだろうか。

優しい言葉を掛けられて一度緩み掛けた涙腺が、今度は寂しくて緩み始める。
そんな理由では、嫌だ……。
俺が一人で思い悩んでいる間も左之の愛撫は続いていて、気付けば俺を押さえ付けていた左之の手は、俺の着物を脱がすことに専念していた。

腕も身体も解放されているというのに、俺は抵抗もせずただ左之の愛撫を享受する。
こうしている間は、少なくとも左之は俺のことを考えていると思ったから。

けれど左之の口付けが俺の中心に触れた時、突然感覚が現実へと引き戻された。
これ以上左之と深く関わったら、例え左之が俺を慰める為だけにしているのだとしても、俺は昨日までの左之との関係には戻れない。確実に惹かれてしまう。
怖くて、力が入らない程敏感にされた身体で、それでも足掻いて逃げようとした。

「左之……左之っ……!」
「どうした?」
「あ、怖い……」
「何が怖ぇっつーんだよ?」
「左之に、夢中になりそうで……怖い」

言い訳など思い付かず素直に恐怖の原因を告げると、左之が俺の言葉に息を飲んだのが分かった。
迷惑だったのだろうか。俺一人、左之に特別な感情など抱いて嫌われはしないだろうか……。

左之に夢中になりそうで怖くて告げた本心が、今度は嫌われないかという新たな怖さを生み出して、俺は左之の返事を聞くのが怖くて堪らなくなった。
けれど言ってしまった言葉は、もう取り戻せない。随分と時間を空けて、左之がやっと答える。

「ばか、斎藤……俺はとっくにお前だけだ」

そう言って口付られ、俺の直前までの恐怖が一瞬にして掻き消される。
いつの間にこんなに惹かれていたのか……左之の気持ちが何より嬉しくて、それだけで昨夜のことなど乗り越えられると思った。

改めて与えられた口付けは、激しいものではない。ゆっくりと挿入された舌が俺の口内を舐め上げる感覚は、押し入られているというよりも包まれているようで、先程までの不安など無かったかのように、今度は充足感で満たされる。

左之は口付けながら、手で俺の熱に触れる。
隠しようもないことではあるが、それでも反応を示している自身に触れられると、少し恥ずかしくなった。
左之は嬉しそうに頬を緩めて、唇を離す。

「嫌じゃねぇってことだよな?」

俺自身をゆっくりと扱き始めながら、そう訊いてくる。俺は何と返事をしたものか悩み、それでも素直に頷いた。
頷いた俺を見た左之は、ふっと笑い、俺の先端から零れる滴を指に絡める。その指が充分濡れた頃に手を離され、今度は俺の秘所へと指が触れた。

瞬間、ぴくりと身体が動く。
それに気付いた左之が、お前のことが好きでしてるんだと耳元で囁くので、その声にも耳に掛る息にも胸が震え、身体の緊張が少し和らいだ。
見計らったかのように差し入れられた指が、俺の中を優しく掻き混ぜる。

「ふ、ぁ、左之……」

散々知らぬ男達のものを受け入れていたその場所は、左之の指など簡単に受け入れる。
それどころかやんわりと蠢くそれを、もっと欲しいのだと求めるようにひくつき始めたのが自分で分かり、どうしようもなく恥ずかしくなった。

俺の内部の変化に気付いてか、それとも気付いていないのか、左之は俺の頬に一度音を立てて口付けると、耳元に口を寄せた。

「斎藤、お前は俺のことだけ考えてな」

熱っぽい口調で囁かれ、俺がどきりとした瞬間に指が増やされた。
徐々に動きが早まる指が、それでも俺の良い場所を探している。ふとその指の先が、ある箇所に触れたその時、背が弓形に反れ声が上がった。
同時に足も上がってしまい、左之から逃げたくなった。優しく触れられているのに、そこから生まれる快感は恐ろしい程のものだったから。

「ゃ、いやだ、左之っ」

逃れようと腰を引くと、左之は困ったように指を抜いた。

「なら止めるか?」

そう言った左之は服の上からでも分かる程に反応していて、きっと苦しいだろうに、それでも俺を気遣ってくる。
息を整えながら、そんな左之の態度と困った表情を見て慌てて首を横に振った。

「も、逃げたりなど、しない、から……」

だから続けて欲しいのだ、と言うより早く左之はまた指を挿れてくる。

「あぁっ、ん、左之、いきなり」
「仕方ねぇだろ? お前が本気で嫌がらねぇなら、早くお前が欲しいんだよ」

その言葉が嬉しくて、嬉しいのだと伝えようとしたのに、また増やされた指が俺の声を喘ぎに変える。
俺の敏感な部分ばかりを狙って動かされる指に、足が痙攣し始めた。

「だ、駄目だ、左之! あっ、あっ、ぁ、も……だめ……」

もうあと数回でも中を擦られたら、達してしまう。びくびくと震える俺から、左之は指を抜いた。

「ぁ、左之……?」

俺の限界が近いことなど分かっているはずなのに、何故達かせてくれないのかと左之を見る。

「俺も、駄目みてぇだ」

そう言って、いま指を抜いた場所に、今度は左之自身が宛がわれた。

「指じゃなくてよ、ちゃんと俺で感じてくれよ、斎藤」

言いながらゆっくりと挿入される。その圧迫感は、俺の限界を少し先延ばしにした。
異物を受け入れるのに慣れたと思っていたその場所は、左之を迎え入れるのに苦労して、生理的な涙が零れてくる。
嫌な訳ではない。けれど苦しくて、それから逃れたくて思わず「やだ」と言ってしまいそうになるのを、必死で堪えた。
少しでも楽になろうと何度も息を吐き、気付けば左之を最後まで受け入れていた。

「動いていいか?」

訊かれた時には左之の顔を見る気力も無く、それでもかろうじて首を縦に動かした。
空気が揺れ、左之が嬉しそうに微笑んだのを感じる。けれど見ることは出来なかったので、どんな表情をしていたのか分からないのが悔しい。
きっといつもより優しい顔をしていたに違いないのに。

左之は軽く、そしてゆっくりと腰を動かした。それだけの動きでも、俺の声が上がってしまう。
ぎりぎりで入っている左之は、少し動くだけでも簡単に俺の快感を呼び覚ますから、抑えることなど出来なかった。

それだけの動きを繰り返され、動き易くなった時に左之は上体を上げた。それから小さく「悪い」と言ったかと思うと、俺の片足を持ち上げた。
持ち上げられた足は左之の肩に掛けられ、腰が少し浮いてしまう。
何をされるのか、と思った時には左之の腰がそれまでに無く強く動かされたので、叫ぶような声が上がってしまった。
それでも左之は熱い吐息だけを返し、何も言わずに腰を動かす。

信じられぬ角度で突き上げられ、そこから生じる快感は俺を心細くさせた。
何かに縋りたくて、左之に掴まろうと伸ばした腕は、左之に届かず宙を切り、空を掴む。
何も得られぬ物悲しさを感じた時、俺の指先に何かが触れた。それは俺の指に絡まりながら手を握ってくる。左之の熱い手が、俺の手をしっかりと掴んでいた。

それだけのことに安心し、俺は嬉しくなって左之の名を何度も呼んだ。
呼べば呼ぶほど左之の動きは速まってきて、そして散々指で弄られた俺の最も敏感な箇所へと狙って突き上げられた。

また弓形に背が反れそうになったところを、繋がれた手によって引き戻され、快感の逃げ場を失ってしまう。そのせいか、これまでと比べものにならないほどの声を上げてしまって、折角先程は言うのを我慢したというのに、俺はいやだいやだと頭を振って左之から逃れようとした。
それでも左之と繋がった手を離すことなど出来なくて、逃げようとしているくせに左之の手には必死に掴まっている。
左之が動くたびに、気が触れそうになる。
怖くて、左之に告げた。

「や、いやだ、左之……おかしくなる、あ、止め、おかしくなる」

言っても、左之の動きは止まるどころか激しさを増すだけだ。

「あ、駄目だ、左之、も、だめ……」

言った途端に、左之が強く俺の感じる部分を突いたので、とうとう俺は欲を吐き出す。
少しして、くっ……と小さく左之が呻き、俺の中に左之の熱を感じた。
左之はそのまま抜きもせず、俺を抱き締めてくる。
お互い浮かんだ汗が俺達の密着度を高めるので、俺はまた心臓が高鳴ってしまう。胸を合わせているため、それに気付いたらしい左之が笑って言う。

「はは、お前最後までやったってのに、何でこんな可愛いんだよ」

俺を見たその目が幸せそうで、胸の鼓動がより速まる。離れてくれと頼んだのだが、離れられるかと言われて、より強く抱き締められた。
寿命が持たないんじゃないかと思うほど胸が高鳴り、このままでいたら矢張り俺はおかしくなってしまいそうだと不安になった。
その気持ちを、素直にぶつける。

「左之といると、俺はおかしくなってしまいそうで……怖い」
「お前がどうにかなったら、俺が一生面倒見てやるよ」

左之は苦笑混じりにさらりと言ってくるので、余計におかしくなりそうだと思った。

「でも、俺の方がお前にどうにかなっちまいそうなんだけどな」

左之はそう言って顔を上げ、微笑んでくる。
どこか余裕のあるその表情は、それでも真剣さを帯びていた。

「そうしたら、俺があんたの世話を一生しよう」

自然と、そう口から出た。
左之のためなら、俺はきっと新選組すらも捨てられるのではないかと、嘘ではなく思ったから。
俺の返事を聞いた左之は、楽しそうに笑った。

「二人同時におかしくなっちまったら、土方さんが困るだろうな」
「……」

新選組を捨てられる、と思ったのにいきなり出された副長の名に、少し心が揺らいだ。けれど、矢張り俺が選ぶのは――

「副長が困ることになろうとも、あんたから離れる気はない」

左之の目を見てそう告げると、左之は驚いた表情を見せた。

「はは、今すぐおかしくなっちまいそうだな」

そう言って楽しそうに笑う。
小気味良いその笑いの律動に、俺もつられて微笑んでしまった。

幸せだ、と思う。
こう思えたのもあの辛い出来事があったからなのだと思うと、悪いことばかりではないなと思えてくる。
そう思わせてくれた左之の存在に、感謝せずにはいられなくて、左之を引き寄せ口付けた。
離した唇から、左之への懸想の言葉を紡ぐ。左之からは、より強い愛の言葉が返されたので、俺は頬を染める事になったのだけれど。

2010.03.27