「その道はだめだ」

 コンクリートの階段の下で黒い頭が立ち止まる。服の裾を掴まれた私もつんと前のめりになりながらも足を止めた。周囲を警戒するも、これといって敵の気配はない——といっても私も遊真も半人前なので、実力に差がある相手であればそんなことも意味を成さないのだけど。

「何もないよ?」

 しかしじっと階段を見つめる子供は私より優秀だ。あの有吾さんの息子で、毎日稽古という名の実践に駆り出されているのだから当然と言えば当然なのだけど、生まれ持った才能が違うのだと思う。現に今日も背後からの強襲を助けられた。この少し生意気な同い年の戦争仲間は案外他人にも優しい。

「犬がいる」
「犬?」
「黒いのだ。こっちを見てる」

 遊真は階段から目を離さない。私にはただのコンクリート製の階段しか見えないのに。
 珍しく疲れているのだろうと、背中を支えてやる。ニ、三回往復してあげて、服の裾を掴んだままの手を引いて黙って歩き出そうとするも、遊真はその場から動かなかった。

「遊真帰ろ。夕飯まだ用意してないのに、有吾さん帰ってきちゃう」
「この道はだめだ。別の道から帰る」
「それじゃ遅くなるよ。犬なんていないから」
「いる。だめだ。引き返すぞ」

 少し焦った様子の遊真が踵を返す。釈然としない気持ちのままその背中を追いかけようとして、なんとなく階段を見てみる。やはり何もない。

「……変な遊真」


 ——その日の夜、国のお偉いさんが一人亡くなっていたと有吾さんから知らされた。その人はあのコンクリートの階段の近辺に犬と住んでいたらしい。思わず遊真を見たけれど、黒髪の子供はなんてことない顔で有吾さんの話に頷いただけだった。






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