「いらっしゃい、奈央さん」
「あ、華胥君……」
カウンターへ出て声をかけると、少し気落ちした様子で此方を見上げてくる。いつもなら笑顔で真っ直ぐカウンター席に座り、昼ならコーヒー夜なら焼酎を飲みつつ同じタイプの俺によく絡んでくるというのに、今日はよく珍しいことが起きる日だと思った。
「どうしたの?酒ならまだ出してないけど」
「違うの、今日はお酒じゃないの……」
首を左右に振って大人しくカウンターの席につく。下を向く大きい瞳の上で長い睫が揺れるのを見てると、この人が年上の男性だなんてとても思えない。容姿に違わずいつも明るい彼が落胆するとは一体何があったのか。わからないが、とりあえず落ち込んでいるらしい彼にいつものコーヒーを淹れてあげた。
「ありがと、華胥君……」
それに気づいた彼は少し口元を緩めて力なく笑い、マグカップを手に取り、息を吹きかけてから一口飲んだ。
「……何か悩み事?」
「え、……あ、やっぱりわかる?」
「そりゃ、そんだけ普段と違ってりゃ」
誰だって気づくよ、と言葉を続ける。
「奈央さん、俺でよければ聞くよ。あまり助言らしいことは言えないけど」
「……ありがとう。華胥君なら僕の気持ち、わかってくれるかもしれない」
少し元気を取り戻したのか、いつものように目尻を下げて俺の手を取る。やっぱり彼は笑っている方がらしい。つられて口角をあげた。
「……で、その悩みって?」
「うん、悩みっていうかなんというか……」
ちょっと愚痴っぽくなっちゃうかも、そう前もって俺に伝え、彼はその内容を話した。
「冬場の静電気のことなんだけど」
――空耳だろうか。
今とてつもなくくだらないことを聞いた気がする。いや、きっと彼には死活問題なのだろう。しかしその問題はとても周囲の理解を得るものではなかった。
「本当にもう冬場は触る人触る人麻痺しちゃってさ……洸毅にも怒られちゃったし、静電気って困るよね」
「……や、別に困らないけど」
「え、なんで!?華胥君特性静電気でしょ!?」
心底驚かれて逆にこっちがびっくりするが、直ぐに落ち着きを取り戻し彼にその訳を話す。
「そうだけど、俺あんまり人に抱きついたりとかしないしされもしないから周りを麻痺にする機会がないんだよ」
「え、じゃあ僕が抱きついたり手を握ったりするからいけないの!?」
「……というか、なんでそんなわざわざ相手に触れなきゃいけないのかが俺にはわからない」
呆れかえりながら未だに俺の手を握りしめている彼の両手を見下ろし、ため息をつく。本当に、スキンシップの好きな人って理解ができない。彼らには照れや恥じらいというものがないのだろうか。そんなことを考えていると、彼は突然眼を涙で潤ませた。思わずぎょっとするが、それを顔に出す暇もなく、彼が喋り出す。
「そんな……華胥君が僕の悩みを理解してくれないなんて……」
「いや、そういうつもりじゃ……」
「もういいもん、道雪君に同意を求めてみるもん!!コーヒーご馳走様でした!!」
「ちょっ、奈央さんおあいそ!!奢りじゃないから!!」
思い立ったら即行動かと突っ込みたくなるほど唐突に立ち上がり、俺の手を振り払ってそのまま扉を力いっぱい開く。どうやら俺の勘定を求める声は届かなかったらしい、涙で頬を濡らしながら一直線に駆けていく彼の姿を唖然としながら見送る。今度来た時に利子として倍の金額を請求しようと強く誓った俺の耳にはベルの音がうるさく響いた。
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