彼の視界の大部分を占める画面の下の方には真っ青に染まったゲージ――敗北の、印。この色を最後に見たのはいつだったか、そう確か去年の今頃だ。未だ覚束無い思考回路でぼんやりそんなことを考えていた男の耳に入ったのは、機械から敗者への罵りだった。
『Too bad!』
未だかつて一度も聞いたことがなかった美声による追い討ちは見事に彼の神経を逆なでした。こめかみに青筋を浮かべた男は、奥歯を噛んで拳を握る。
「っだぁぁぁ畜生っ!!」
ダン、とゲームの台を叩いた男の叫びは、後ろで並んでいた少女達をこれでもかというほど震え上がらせた。ゲームにやつあたりをするのはやめましょう、そんなマナーを忘れる程に怒りと悔しさそして己の不甲斐なさに情の大半を制圧された男は背後で上がった恐怖の声でようやく冷静さを取り戻す。肩越しに確認すれば、今にも泣きそうな潤んだ目で身を寄せあう大人しそうな少女二名の姿。不味いことをした、一握りの罪悪を感じた男は彼女達に謝罪をして、その場を去る。
「ちっ……」
自動ドアを通ってゲームセンターを後にした男は忌々しげに舌打ちをして、胸ポケットに入れていたタバコをくわえた。安いライターで火を付けるその姿は誰がどう見てもチンピラそのものであろう。しかし、人は見かけによらないとは本当に良く言ったもので。驚くことにこの男は警察官という名の公僕であった。制服を着ていないところを見るに、どうやらこの日は非番だったらしい。男は煙をくゆらせながら、手近なコンクリートの壁に背を預けた。
(なんなんだあの譜面は……発狂ってレベルじゃねえぞ。あれをクリアするなんざ、相当練習積まねえと……)
先程の衝撃を思い出して、苦々しく表情を歪める。ゲームの腕前には少なからず自信を持っている彼が久々に経験した敗北。それは完膚なきまでに叩きのめされた男の胸中に打ち拉がれるということを教えた――ように見えたが。
「……ふ、ふふふふ」
男の口角が歪み、薄い唇の隙間から鋭い犬歯が覗く。くわえていた煙草を指の谷間に安置した彼はまるで地の底から這い上がってくる化け物のような低い笑い声を上げた。今この場に通行人やら何やらがいたとしたら、おそらく先程の少女達のように男を恐れ、胡乱な眼差しを向けたであろう。それほど、男の眼は危険にぎらついていた。
「……おもしれえ、やってやろうじゃねえか」
唸るように呟いた男は携帯灰皿を懐から取り出し煙草を押し付ける。それから殊更邪悪な笑みを浮かべて、来た道を戻っていった。その顔は警察という正義の役職とは縁遠く、寧ろマフィアなどと通うところがあるようにすら思える。
今一度言うが、彼がこのように非人道的な表情を浮かべる起因となったのは、楽しくプレイすることが目的のゲーム、そうゲームなのである。一般的な考えからいけばたかがゲームにと言われてもおかしくないしそれが普通だろう。だが、悲しいことに男は一部常識から意図的に外れた思考回路を所持してしまっているし、彼の周囲にいる人間も一般論を忘却の彼方へと追いやってしまっている。彼の中では、ゲームは何物にも代え難い存在なのだ。
(次こそは、必ず)
そう決意した男が再び挫折を味わうまで、長くはかからなかった。
戻る/トップページへ