ジョウトの万屋の隣には一軒家と見紛うほどの小さな研究所がある。そこの主である男性、レムは現在予期せぬ事態に頭を抱えているところであった。

「………」

玄関の呼び鈴が鳴り、ドアを開いた先にいた人物に彼の思考は一時中断した。当然であろう、隣の青年達か何かかと思っていたのに、実際そこにいたのは、本来ならばそこにいて良い者ではなかったのだ。どうして彼の者がここに、浮かんだ疑問にけりをつける暇もなく、その者は彼の手を取り、口を開こうとする。

――捕まった。

振りほどこうともがいた手は、しっかと握られてしまっていた。

「レム」

変声期を終えたばかりの凛とした声が、鼓膜に響く。赤い両の瞳は以前と変わらぬ熱を持って彼を見つめてくる。見つめ返すことなどできない、それをしてしまえば彼はこの若者の思惑通りとなってしまうから。

「やっと見つけた」

言葉と共に青い革手袋に包まれた指先が男の丸眼鏡に伸びる。男は達観したように溜め息をつき、惑わされぬように目蓋を閉じた。次に告げられる台詞はもうわかっている。今まで何度も聞かされた、自分に向けられるにはあまり相応しいとは思えぬ動詞。

「――愛してる」

その言葉を耳にした途端、レムは先程の比ではない二度目の溜め息をいた。びっくりするほどここまで変わっていないとは、と少年の思慕に彼は感心と落胆を同時に覚える。
――来訪者の名は幸正、三年前にシンオウでレムと旅をしていたルカリオの少年である。少年、といっても年の頃は大体十六、七か。山吹色の胴着に隠れた細い四肢が筋肉により成っているその肉体もさることながら、顔を覆う黒の包帯の合間からのぞく、揺らぐことなき赤の瞳がやけに彼という存在を印象付ける。目は口ほどにものを言う。その眼は彼の性質そのものである。

すなわち。

「今までお前だけを捜していた。レム、こうして会ったからにはもう離れたくない。……俺と、結婚してくれ」

――この少年は恐ろしくはっきりとものを言う正直者なのだ。口から出る言葉は全てその真っ直ぐな眼差しと同じようにストレートに届く。これが好意的なものならまだマシだ、だがしかし相手の傷口を抉りかつ塩を塗りたくるような発言すらも少年は平気で行う。
悪気はないのだ、とレムは彼のあまりよろしくない発言スタイルに当初は同情を寄せていた。しかしそれにより直球で口説かれるようになってしまった彼にそのような考えは浮かばない。彼に浮かぶのはただ一つ――どうしてこうなってしまったのだ。

「……あのね、幸正」

疲れたように息を吐き、レムは口を開く。じっと見つめてくる瞳がこの上なく痛い。
彼は三年前、そう旅をしていた頃から告白を受け続け、そして断り続けていた。同性同士の恋愛に偏見などはない彼であるが、自身が同性に愛を向けられることになるとはゆめにも思っていなかったのだ。それに少年はまだ若く、彼は少年より一回り以上も齢を重ねている。感覚からすれば息子のような相手とどうしても恋愛関係になれる気がしなかったし、少年も一時的な気の迷いですぐに目覚めるのではないかと思っていた。
しかしその考えは大外れ、少年はしれっと愛を告げ続けた。それはもういい加減にしろと言われてもおかしくはない程に自らの想いをレムに打ち明け続けた。そこでレムはついに考えが至った――こいつは相当諦めが悪いのだと。わざわざジョウトくんだりまでやってきたのがその決定的な証拠である。
では、そこまでやった少年についに絆されてしまうのかといったら答は否。彼はそのような事柄を単純に割り切ってしまうほど思い切りの良い男ではない。空いている手のひらを前に出し、以前と同じくあくまでもやんわりと断ろうとした。

「前にも言ったけど、私じゃなくても良いだろう……?ほら、可愛くて若い子なんて沢山いるんだし……」

「若くて容姿が整っていることが何か意味を為すのか?俺は、そんな沢山いる奴らよりレムが良い」

「……それに、同性で結婚っていうのも無理な話でね」

「俺はレムの息子になれば結婚できると聞いたぞ、それでは駄目なのか」

ああもう駄目だこいつ、彼は本格的に頭を抱えた。何処で道を間違えたのだろうか、そして何故それに気付かないのか。今からでも遅くない、さあ来た道を引き返し真っ当に生きるんだ。そう少年に語りかけたい欲求を胸の中で必死に押し殺し、なんとかして諦めてもらおうと口を開こうとした。
その時――ガチャ、と扉が開く音がする。誰かがこの研究所にやってきたのだ。一体誰が、と注視する二人をよそに、失礼しますと前口上を述べながらそろそろ入ってきたのは隣の万屋の一員であるバンギラスの男性であった。両手で鍋を持つその姿はいかにも主夫らしい。彼は黒目を僅かに見開き、間に立つ見知らぬ少年のことはひとまずおいといてレムに声をかけた。

「あれ……レムさん?居たんですか、呼び鈴押しても出なかったからてっきり居ないかと」

「あ……ああ、すまなかったね基継君。どうしたんだい?」

そう言うとレムは幸正を押しのけ、基継の正面に立った。少し機嫌を損ねた少年の表情は見なかったことにして。対する基継も二人の関係に多少疑問を抱きつつ鍋を差し出し、お裾分けですと一言添えた。

「煮物、ちょっと作りすぎたんでよければどうぞ」

「ああ、本当かい。それはとても嬉しいね、ありがとう。鍋は後で夜叉に返しに行かせるよ」

「いや、喜んでいただければ此方も有り難いんで……」

ありふれたご近所同士の会話をしながらも、基継は先程から自分に向けられている疑いの瞳に居たたまれなさを覚えていた。彼が少年の方を見れば、明らかに敵意を込めた眼と視線がかち合う。一体自分が何をしたというのか、見ず知らずの少年に恨みを買われる覚えなどない彼は突き刺すような眼差しから目を逸らし、レムに問いを投げかけた。

「と、ところでレムさん、この子は?」

「あ、ああ……この子は、私の……昔の仲間で、ルカリオの幸正っていうんだ」

「………」

言い辛そうにしながらも紹介する彼と、紹介されながら挨拶一つもせずに睨みつけてくる少年は第三者から見ればとても奇妙な構図に見えた。当然、事情を知らぬ基継には二人の関係に不自然さ、一種の違和感のようなものを感じるけれども、ただのお隣さんである自分があまり深く立ち入るのも如何なものかと思い、少年に笑いかけた。

「へえ、レムさんの昔なじみか。俺はバンギラスの基継っていうんだ、よろしく」

そう言いながら鍋を左手で抱え、右手で握手を求めるも、その手を握ることなく少年はじとりと基継の顔を見上げる。その状態のまま、暫しの間。握手を拒否されたこと、次に真っ直ぐな瞳に悪い意味で見つめられたことによるダメージは予想以上に大きかったらしく、彼は空を切ることになった手を引っ込め、小さく一言ごめんなさいと呟いた。
――どうしよう、出会って五分でびっくりするほど嫌われた。
何か嫌なことでもしてしまっただろうかと今までの行動を思い返してみても思い当たる事象は何もない。そもそも、一言も会話をしていない状態でどうして仲が悪くなれるというのだ。少年の奇行に頭を悩ませつつも、とにかく波動弾を撃ち込まれることがないよう慎重に接しなければと彼は決意を固くする。
だが――少年は、基継から視線を逸らさずポツリと一言もらした。

「……背が高い男が良いのか」

「え?」

言葉の意味がわからず、妙な声を上げる。しかしそんな基継の様子もお構いなしに幸正はレムの方へ向き直り、彼の両の手を握りしめた。

「レム、どうやら俺はまだお前に認められていないらしいな。なら俺はお前に認められるよう更に精進する。背だって気合いで伸ばしてみせるし心身共に鍛えてみせる。例え何年がかりになろうとも」

だから待っていろ、意思表明をした彼はレムの右手を口元へと導き――その細い指と筋張った甲に口付けをした。そして唐突な出来事に呆ける二人を置いたままドアを開け放ち外へと駆けていく。
基継はそのまま去り行く少年の後ろ姿をただ眺めることしか出来なかったが、時が経つにつれ徐々に状況を飲み込んだ。つまりは、そういうことか。二人の関係というものを理解した彼はとても気まずそうなレムに恐る恐る声をかける。

「……あの、なんというか……よろしくないタイミングで来てすみません……」

「……いや……こっちこそ、恥ずかしい所を」

見せてしまったね、と普段の穏やかな声音に陰りをのせて、苦々しく口角を上げる。

「悪い子じゃあ……ないんだけどね、……ちょっと融通がきかない子で」

「ああ……でしょうね。でも」

「え?」

「彼は本当にレムさんが好きなんですね」

苦笑を作りながら告げられた言葉に、レムは過去の自分が彼に言った言葉を思い出した。恐らく彼の方もそれを意図して口にしたのであろう、黒の眼はからかいを込めて細められている。
――よもやこのような場面で意趣返しをされようとは。
男は額に手をあて、瞳を閉じた。

「……君、ちょっと意地が悪いね」

「それほどでも」

交わした言葉に意味はなく。開いたドアからは清々しい秋風が侵入していた。女心と秋の空、と昔から云うが。願わくば彼の想いもそうなっていただけないだろうか、とレムは受け取りそびれていた鍋をようやく受け取りながら考えた。


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