そんな言葉を聞いた時、この男は随分な愚か者だと心の中で嘲った。移ろいやすい幼少期の慕情を大人になっても変わらず抱き続ける馬鹿なんてどこにいる。相手が同じ感情を共有していたかも定かではないというに。
妄執に囚われた愚者の末路など得てして悲惨なものだ。どうせ一笑の下切り捨てられ終わりだろう。とんだ笑い話だ、俺だったら絶対引く自信がある。
──あっちは覚えてないんじゃない?
──大きくなったら考えも変わって、男同士なんて嫌だって言うかもよ。
──他にイイ人が出来てたりして。
悪戯半分で何度か嫌味を放ったが彼には効かなかった。
──それでも良い。
──変わっていても良い。
──彼がそれで幸せなら俺は良い。
いつもの唐変木な仏頂面のまま、ぶれない真っ直ぐな瞳で言い切られてしまえば話はそこで終わりだった。上手くいけば良いねなんて心にもない言葉を冗談めかして投げ掛けて笑みの下に感情を隠した。
最初はただのからかいだった。しかし、月日が経つにつれこんな愚かしい彼を愛しく想い始めてしまったらその変わらない返答を聴くのも段々苦痛になってきた。
どうしてそうまでして過去に会ったっきりの相手を愛せるのか不思議で仕方がない。いや、そもそも彼のあれは愛なのか。幼少期の想い出にすがっているだけの執着ではないのか。そんなものに依存せずとも、すぐ近くにお前を求める者がいるというのに。
作り笑いの下で生まれる嫉妬と苛立ちが不快感をもって臓腑に溜まり、ぐずぐずに腐っていく。いつからか己から例の幼馴染みの話題を出すことは無くなったが、それでも他の仲間達が軽率にその話を彼にふる時もある。そんな時は決まって彼の視線の外で歯軋りをした。
もう何年も顔を合わせてない──俺は毎日共にいるのに──奴ばかりをいとおしむ彼にほとほと呆れるし、何より今の彼を知らないくせに──俺の方が今の彼を知っているのに──彼にこうも想われている幼馴染とやらが憎かった。
俺に彼の愛は理解出来なかった。その思考回路は常軌を逸している。相手の現状など度外視した彼の恐ろしく一途な想いは俺にとって最早狂気の域であった。そして、その狂愛が己に向かない事が酷く辛かった。
それでも、俺はこう思っていた。
──どうせ会ってしまえば虚像は瓦解する。
現実はいつも純粋な者を踏みにじるように出来ている。対面すれば如何に愚かな幻想を抱いていたか嫌でも気付くことだろう。そうなればきっと俺にだってチャンスは巡ってくるはずだ。
確信めいた期待を胸に秘めながら俺は彼等と冒険を続けていた。
しかしある日のこと、それは突然覆された。
「────」
ありえない光景に絶句した。
マリエシティの庭園で例の幼馴染を見つけた時の彼の顔は一生俺の脳裏に焼き付いて離れないだろう。
口角を上げた柔らかな微笑み。
赤いサングラスの下の愛おしむ眼差し。
今だかつて見たことがない、いっとう幸福そうな表情だ。あの能面がこうも感情豊かに動くのかとジョークさえ浮かんだ。
──止めてくれ。そんな幸せな顔をしないでくれ。俺の知らない表情を誰かに向けないで。頼むから、こっちを見て。
外面の下で本心が悲鳴を上げている。心臓を握り潰されたかのように苦しみが押し寄せ、堪えきれぬ嘔吐感が襲う。目眩がする。脳が麻痺して上手く思考が出来ない。
心中穏やかでない俺に気付かぬまま彼は俺の目の前を横切り愛しい人の下へと駆け寄った。お相手は悲しみではない涙を目元に浮かべて満面の笑みで彼の背に腕を回した。彼の懸想の相手は俺が想像していたよりも何倍も美しく聡明そうだった。本能で理解した、敵わないと。
「、は、は」
その時俺は己の妄想の愚かしさに気付き、乾いた笑いをあげた。
そも前提からして間違っていたのだ。端からあの幼馴染み以外に彼と結ばれる者等存在しない。彼の愛は不変かつ不滅で、そこに誰かが入り込む隙間など微塵もなかった。例え幼馴染みに愛されずとも見返りのない無償の愛情すらを彼の者に与える心持ちで、彼は己が抱いた愛とまっすぐ向き合っていた。彼は想い出に狂っていたのではない、ただ愛し抜く覚悟があったのだ。
思い返せば始めから彼はそう言っていた。叶わなければそれでも良いと、承知した上で愛するのだと。なのに信じなかったのはひとえに俺がそう思っていたかったからだ。少しでも彼に愛される可能性を夢想していたかった。こんな俺でも彼と生きる道を歩いてみたかった。
得心がいった。今ならわかる。この過ちは彼が誰かに愛を囁く様を見たくなかった俺の現実逃避の産物だ。
──まったく骨の髄まで愚かしい。我が事とはいえ反吐が出る。
皮肉にも、思い込みにすがっていたのは俺の方だったのだ。
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