「うへぇ」
「?どうしたの流雲、変な声上げて」
「本当ねぇ、そこら辺に落ちてる変な物でも食べたのかしら?」
流雲は二人──慎司と叶恵の問いに答えることなく二人の肩を抱き踵を返させる。その目には焦りの色が浮かんでおり頬を一筋の汗が伝う。
これはただ事ではない、と若夫婦(予定)がいぶかしんでいると流雲が絞り出した声である提案をした。
「なあ二人共、別の道にしない?」
「え?でも依頼主の家はこの通りを真っ直ぐ行った先だけど……」
「いやいや急がば回れって言うだろ!すなわち遠回りした方が福来たるってことに」
「なるわけないじゃない」
叶恵は呆れ果てた様子で一度溜め息をつき、兄貴分たる彼を胡乱な眼差しで見つめる。
「どうしていきなりそんなこと言うのかしら?それ相応の理由があるんでしょうね」
「いや、それがその、ちょっと……」
流雲が視線を泳がせ言いよどむ。余程言いにくいことなのかとますます疑問を覚える二人だが、その最中、背後から聞き覚えのない低い男の声がした。
「坊っちゃん!こんな所にいらっしゃったのですか!」
「げっ……」
「は?坊っちゃん?」
慎司と叶恵が肩越しに背後を見やるとそこには往来に不釣り合いな黒スーツに黒サングラスの男が感極まった様子で握り拳を作っている。いかにも、という風貌である。何がとは言わないが。
──あ、こりゃ厄ネタだな、と叶恵はきょとんとする未来の夫を尻目に特性として持ち合わせていない危険予知を発揮した。
「今までどこで何をしていらっしゃったんですか、ボスも姐さんもカンカンだったんですよ!」
「い、いや〜……人違いじゃないっすかねぇー……」
「何をおっしゃいます、まだ貴方が卵にいた時代からお世話していたこの私が坊っちゃんを見間違えるはずもございません!それにその都合が悪いことが起きると直ぐに目を泳がせて誤魔化そうとする所などまさしく坊っちゃんそのもの、お変わりなく……!」
「成長してねえってか!余計なお世話だ!……あ、やべ」
男の発言に思わず振り向き反論した流雲だがすぐに己の過ちに気付き口を閉ざす。けれどもスーツの男にはその反応すらも想定内だったようで嬉しそうに歩み寄る。
「さあ、帰りましょうか。ボスも姐さんもなんだかんだ心配してましたし、今なら小指二本くらいで許されますよ!いやー坊っちゃんを始末せずに済んで良かった良かった!」
「いやいやそれも嫌だから!つーか始末って何!?そこまで行きそうだったの親父達の怒り!?」
「あははジョークですよジョーク。いつものことじゃないですかぁ」
「だからそのノリに着いていけねえんだって!」
会話は蚊帳の外の二人を置き去りにしてヒートアップしていき、段々と道行く人も何事かと横目で様子をうかがいながら通りすぎていくようになった。流石にこのままにしておくのはまずいと感じた慎司が間に入って会話に割り込む。もっとも、続く言葉はずれたものであったが。
「すみません、声のボリュームもっとおさえてくれますか?他の人に迷惑なので……」
「いや周囲に気をつかうのは立派だけど今はそこじゃないわよね?そこより大切なことあるわよね、慎ちゃん?」
「え?えっと……あ、おじさんは流雲の知り合いですか?立ち話もなんですし何処かのお店にでも……」
「……うん、私が悪かったわ慎ちゃん。後は私にまかせて」
問題点をわかっていない平和主義な許嫁に慈しみの笑みを向けてから叶恵は同一人物とは思えぬ冷淡な眼で流雲を見やる。
「流雲、大体察してるけど一応説明してちょうだい。その人は貴方の何?痴話喧嘩という様相ではないようだけど」
「いや、それがめっちゃ言いにくいことで……」
「言え。蹴るぞ」
「すんませんでしたぁっ!!でも大声じゃ言いにくいんで耳貸して!」
黒服の「流石ご友人、坊っちゃんの扱い方を良くご存じで!」との言を無視しつつ三人は中腰になり顔を近付けあう。往来のど真ん中で行われているそれは端から見ると滑稽である。
「えー、お前らはまだ未成年ということでお伝えしておりませんでしたが」
「前置きは良いからさっさと本題入ってちょうだい」
「俺の実家=マル暴。俺家出。あいつ実家での世話役。実家カンカンで俺回収したい模様。ドゥーユーアンダースタン?」
あまりにも短すぎる衝撃的な説明をあけすけに言い放ちグッと親指を立てる流雲。そんな開き直りに慎司が理解追い付かずぱちくりと目を瞬かせる中、叶恵は微塵も動じない。おっとりとしたたれ目を細めてそれはそれは優雅に微笑む。
と、そこまでは淑女と言える振る舞いだったのだが、残念ながら彼女の本性は雄々しく狂暴な猛禽類。
ピンと背を伸ばし立ち上がって──間髪いれず、渾身の力をもって流雲の腹を蹴り飛ばした。
予期せぬ衝撃に「ゴフッ!!」と声を上げた若者の体はコンクリートに叩きつけられ地をすりながら黒服の足下へと転がっていく。
途端、周囲は沈黙。雑踏のざわめきはピタリと止んで人々は皆息をのむ。辺り一帯には死地かのような妙な緊張感が拡がった。
そんな周囲の様子など気にもせず、叶恵は笑みを崩さぬままパンパンと手を払い慎司に向き直る。まるで大掃除を終えてスッキリとした主婦のように。
「さ、仕事に行きましょ慎ちゃん。馬鹿に付き合ってる暇ないわ」
「え?でも……」
「待て待て待てぇ!!話したのに蹴り食らわすたぁどういう了見だよ!」
「あら、なんのことかしら。私蹴らないとは一言も言ってないもの。しかしまさか貴方がその筋の人だったなんてねぇ……私達まだ子供なのに裏世界のあれやこれやに巻き込まれるの正直ごめんだからそっちでなんとかしてちょうだい」
「それが無理だから言ったんだろがい!お願いだから助けて!お前の兄貴分だろ一緒に成長してきたじゃん!沢山思い出あるじゃん!」
「大丈夫、貴方関係の記憶はゴミ箱に捨てた後空にして綺麗さっぱりなかったことにするんで。女って思い出を切り捨てるのが上手いのよ」
「それ単にお前が非情なだけだろうが!大体お前ってやつは──」
それからは周囲の様子もさして気にせずやいのやいのと言い合う二人。先ほどの周囲への気遣いもどこへやら、残された慎司は二人とも元気だなぁとその様を微笑ましげに眺めている。
ふと、彼が隣を見るとスーツの男性がいつの間にか近くに佇んでおり口元を弛ませていた。男のサングラスの奥に見える瞳は慈しみに溢れた眼差しで流雲を見守っている。それはまるで愛息子に向ける親のそれ。健やかに伸びやかに、幸福たれと願うもの。
ああこの人は悪い人ではないなと気を許し、慎司は声をかけた。
「どうですかおじさん。流雲、なんだか楽しそうでしょう?」
「ええ本当に。いやぁ生き残るものですね。まさかあの坊っちゃんがご友人と言い争える関係性を築けるとは。そんな『普通の若者』のようなことを、自然と行う様子を見れるなんて」
「はい。僕達にとって彼はちょっと変わってるだけの普通の青年です。……おじさんは、流雲の事を大切に思ってくれてるんですね」
「ええ、幼い頃から見ておりましたから。帰ってきてほしいのも本心ですよ」
ですが、と愛情深いバリトンが想いを紡ぐ。
「──もう暫くは、夢を見るのも悪くないでしょうね」
暫くした後、いまだ妹分と口論を続けていた流雲は知らぬ間に男が消えている事に気付いた。周囲を見てみれば遠巻きに様子を窺っていた野次馬も消えており日常の光景に戻っている。
「あれ、あいつは?」
「うん、帰ったよ。坊っちゃんによろしくって」
「あら、見逃してもらえたようね。貴方の情けない姿に呆れちゃったんじゃない?」
「この程度であいつが呆れるかよ、実家にいた頃の方が情けない格好さらしまくってたわ」
「それ堂々と言う事じゃないわよね?」
「良いだろ事実なんだから!」
叶恵に反論する流雲の姿を見て、慎司は先程の黒服の言葉を思い出す。
夢──いつかは覚める泡沫のもの。けれどもそれが非現実的で魅力溢れる程、人は少しでも長い間、夢を見ようと足掻き続ける。例え現実逃避の産物だったとしても。
彼の実家が本当に裏社会の組織ならば常人の預かり知らぬ精密な情報網を有していても不思議はない。その力をもってすれば当然流雲の所在も直ぐ様明らかになり本気を出せばいつでも連れ戻せたはずだった。あるいは人知れず始末することも。
しかし彼の実家はそうしなかった。彼の養育係を使い形だけの捜索をした。黒服が言っていた両親の怒りもどこまでが本当なのかわからない。全くの嘘かもしれないし半分程度は本当なのかもしれない。けれど完全なる本心だったら流雲は間違いなく今ここでこうして叶恵と軽快な口論をしていなかったはずだ。それ一つだけは確かであった。
慎司の胸の内に暖かいものが拡がる。形は異なれど紛れもない家族の情。我が友はなんと幸せ者だろうかと自分の事のように嬉しく感じる。
「おい慎司、なんだよその顔は」
「あら、そんなににやついて何が面白かったのかしら?慎ちゃん」
じとりと見上げてくる二人の言葉で慎司は己の頬が緩んでいた事に初めて気がついた。ごめんごめん、と軽く謝罪するがその後は自然とこの言葉が口をつく。
「流雲は随分愛されてるなぁと思ったんだ」
「「はぁ?」」
いぶかしむ両者を他所に、慎司は黒服の男性が去っていった方を見やった。そこは人々が行き交う光景が拡がるばかりであり、男の姿は既に無い。
──安心して下さい。彼は、これからも面白おかしく後悔せずに生きていきますよ。
家業を継ぐ道か、はたまた別の道を行くにせよ、そこは間違いないだろう。先の事などわからないはずだが、根拠のない確信を抱きながら心の中で彼の家族に語りかけた。
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