※嘔吐表現注意








毒タイプの性だろうか、昔から毒の扱いには長けていた。毒か否か、如何なる種類の毒性か、何と何を組み合わせればどのような症状を引き起こすのか、どの毒物をどの程度摂取すればあれそれの種は死に至るか――理屈は不明だが不思議と俺は一口舐めるだけで毒物の全容を把握することが出来た。
野生時代はこの能力を生存の為に利用する事もあったが多くは幼馴染みの彼の為に使ったものだ。
幼馴染み――イヴォンと名を貰った、俺の最愛の人。兄弟が多く食糧の確保に苦慮していた彼に、俺は嬉々として口にしても問題無いものやその見分け方を教えた。彼に心身共に頼りきりだった俺が唯一力になれたのはそれだけで、それでも彼は有益な情報を伝えると喜び褒めてくれた。そんな彼の助けに俺がなれるのが、とても誇らしかった。心底嬉しくて、もっともっとと知識や経験を蓄えていった。
揺花の下に来てからは人間達の学問に触れる機会を得られ、彼らの医学薬学により毒と薬は紙一重であると学んだ。ならば俺の能力で薬も作り出せるのではないかと考えていた丁度その頃揺花が体調不良で病床に伏した為、試しに実践してみたら大成功。それが切っ掛けで、俺は今故郷の海に戻り薬屋などを開いている。仕組みを理解さえすれば投薬が肉体に如何なる作用をもたらすか推測するのは容易いことだ。強力な毒も用法と用量を守れば薬足り得る場合もあるし逆もまた然り。後は服用者の体質体調を確認し調合物質や量を調整すれば良い。天性の感覚で行えるこの仕事は俺の性格にもあっているし転職だと思う。

現在、幼馴染みの彼は恋人となり、常に側に居てくれる。どんなにとんでもないミスをやらかそうが彼は一頻り叱った後はやれやれと許してくれる。お人好しで甘い彼。一緒になれて夢のようだった。

俺は幸せだ。本当に幸せなんだ。
でも、それでもこの手は彼のマグカップに毒を入れてしまうのだ。

「っ、が、……!」

彼は大きな音と共に椅子から崩れ落ち、反射で酷く咳き込んだ。朝食の席でマグカップの中の紅茶――正確には毒によりそれらしく色付けられた水を飲んだ彼の口の端からは血泡混じりの唾液が垂れ、木製の床に染みを作っている。彼に投じた毒は元々致死量ではないのだが、それでも人一人をもがき苦しませるのには十分だった。
何気ない朝には相応しくない光景だが俺の口角は喜びを隠しきれずゆるんでいた。乱れた呼吸を繰り返しながら苦しそうに床をのたうつ彼の姿を観察していると、不思議と心が充足する。俺の手で彼が苦しんでいるのだと、視界から得た情報を脳がそう解釈する事でしか得られぬ快楽が俺の脳を歓喜させていた。

「お、まえ、いいかげんに……!!」
「ああ、ごめんな。苦しいよな。その毒、結構強くしたから。ほら、水飲んで。一回吐いとこう」

水差しに用意した水を無理矢理こじ開けた彼の口へ流し込むと直ぐに身体の防衛機能が働いて大きく噎せ始める。瞬く間に彼は嘔吐した。ツンとした酸っぱい匂いが鼻腔を刺激する。吐瀉物はほぼほぼ血液と胃液のみであったが水で薄められた毒物の存在も確認することが出来た。
未だに咳を繰り返す彼の背をあやすように撫でながら、俺はふとかつての別れを想起した。

彼は、俺にだけは何も告げずに海を去った。その意図は分からないし聞いてもいない。きっとそれを知っても俺の言動思考に何ら影響はしないだろう。
それでも当時の俺には十分衝撃であり唐突に訪れた冬だった。俺の脳はショックのあまり機能を停止しかけていた。髪一本から爪先まで細胞の一つ欠ける事なく全ての己が力を彼との生に役立てるべく利用する心積りであったが、肝心の彼が消えたのでは話にならない。間違いなく、一生において俺が最も絶望した時期であった。
捨て鉢の精神で同行したトレーナー・揺花が偶然にも彼のトレーナーの従姉妹であったのは僥倖としか表現しようがない。しばしば交流を重ねてくれていたお陰で俺達は見知らぬ土地で再会を果たす事が出来た。すっかり大きくなってしまった俺にとって久々の彼は記憶の中とは違いあまりにも小柄に感じたがその心根は当時と変わらぬままで、昂る気持ちが抑えられず、ずっと側にいたいと願わずにはいられなかった。
しかし彼は俺の言葉を信じてくれず、あろうことか距離を取ろうとしてきた。酷い男だ。俺はもうお前がいないとどうしようもない程死んでしまうのに。
それでも何とか縋って縋って追い縋り、涙すらも利用して俺は彼に愛を訴え続けた。何度も何度も繰り返し、そしてようやく彼が俺の手を取ってくれた時、心の底から泣きじゃくってしまったのは記憶に新しい。

やっとの事で手に入れた至福の時間。それを台無しにしてしまうようなこの行為。わかっているのだが止められない。
真っ当な愛し方なんていくらでもあるというのに、俺はどうしても彼に苦しみを与えたくなる。苦しみの中俺を睨みつけてくる彼を眺めていると、たまらなく心が満ちるのだ。

「これ、飲めば楽になるから」

予め用意していた解毒剤を差し出すが彼からの反応はない。聴覚はおろか肉体がうまく機能していないようだ。肌は青白く、酸素を取り込もうと呼吸を繰り返すも、喉からはヒュウヒュウと音が漏れ瞳孔は開いている。強めに調合したとはいえ重症にはならないであろうギリギリの作りにしたはずだが、予想以上に毒が効いたらしい。体質は考慮済だから原因があるとすれば体調か、何れにせよ自発的に飲めないのならば此方が飲ませるしかない。水差しの中に適量の粉薬を放り混ぜ、今度は吐き出さないよう彼の口へ少量ずつ流し入れる。噎せはしたがそれだけで、喉の動きにより薬を呑み込んだ事が窺えた。

暫くすると薬が効き始め、彼の呼吸も落ち着き顔色が良くなってきた。極度の緊張状態に陥った為か体力の消耗が激しかったようで、瞼を閉じた後は眠るように意識を手放した。俺は彼の上半身を軽く抱え、汚れた口元を水に湿らせた清潔な布で丹念に拭う。気を失った彼の表情は苦悶から解放されたように安堵で満ちている。

――先ずは彼を寝室に運ばなくては。
そして脂汗でべたついた体を拭いてやり、洗いたてのパジャマに着替えさせてしまおう。彼をベッドで寝かせてからは床の掃除をし、目覚めた時の為に消化に良い物でも作っておこうか。さて何があっただろう、後で冷蔵庫を確認しないと。

これからの予定を思案しながら彼を横抱きにして寝室へと運ぶ。意識のない彼の全体重が両腕に負荷としてかかる、この瞬間が俺は好きだった。己の腕の中に彼がいる事実に口角がゆるく上がる。成人男性にしては小柄で軽い重さが愛おしい。一生涯手離したくないとも思うが、生きている以上四六時中こうしているのは現実的ではない。惜しむようゆっくりと、湿気で軋む廊下を進み、時間をかけてベッドに辿り着いた。

「よっ、と」

彼をベッドに横たわらせて掛け布団を被せる。呼吸は浅く、一見すると死んだように見えるが胸元に耳を当てれば心音が聴こえてきた。生きている。
きっと目覚めたら怒号と共に殴られ怒濤の説教を浴びることとなるのだろう。彼の怒りも当然だ。一手間違えれば死に至る行為を許容する者などいない。いたとしたら、それは自殺願望を持っているか生物として正常な判断が出来ない異端者である。
望むところだ。目覚めた彼の第一声がどのようなものになるのか、俺には楽しみで仕方なかった。俺は彼に毒を盛るが決して彼が憎いわけでは、ましてや殺したいわけではない。俺の望みは極めて単純だ。彼と共に在りたい、根っこを辿ればただそれだけ。これはきっと、それが少し派生し、俺だけを見て欲しいと願った結果でしかない。この時だけは、彼の視線は、意識は、感情は俺のみに注がれるから。

俺に愛情の定義は難しく、この感情が真に『愛』であるかは実の所わからない。
でも、彼の側は温かい。彼の側は安心する。兄に何も告げられることなく見捨てられてしまい幼心に絶望を覚えた過去。頼れる者など誰もいない。たった一人、救いの手を差しのべてくれた唯一の彼。
眠る彼の頬に手を添えた。皮膚越しに彼の体温が伝わってくる。恋しい温もりに目を細めた。

ずっと一緒だ。
もう離れてなどやるものか。
死が二人を別つまで、などという月並の言葉を宣誓し、この血肉を彼との生に捧げてみせようとも。

脳を支配する執心の赴くまま彼の首筋へと唇を落とし、俺は部屋を後にした。


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