アオキさんの無自覚大好きムーヴに振り回されるカブさん。



 パシオに来てから、カブはひそかに当惑することが多くなった。長い人生の中でこれほど心乱された経験は指折るほどしかないかもしれない。というのも、とある友人の言動がどのような意図を示しているのか、測りかねていたからだ。
 その友人とは人工島パシオで出会い、ベテラントレーナーと若手トレーナーの交流会を経て瞬く間に親しくなった。それから頻繁に外食を共にし、時々は旅行にも連れ合う仲となった。パシオで最も交流を重ねた人間は彼ではなかろうかとカブが思うほどには一緒に過ごしていた。
 その友人は人付き合いを好まないが、カブに対しては積極的に誘いをかける。驕りかもしれないがおそらく友人もまた自分の事を気にかけてくれているのだろうとカブは考えていた。もしかしたら、誰よりも。
 友人から好意を持たれている。それはカブにも分かった。
 ──であれば、その好意の根幹はなにか?
 最も重要である、そこがわからずカブは戸惑っていた。
 
 ガラルメジャーリーグのシーズンオフ期間中にカブはアオキと短いホウエン旅行に赴いた。日中は名所を巡り、夜はえんとつ山近辺に居を構える源泉掛け流しの温泉宿へと泊まる。二人は疲れた身体を風情溢れる露天の湯で癒してから旅館浴衣に袖を通し、しみじみ宿の夕食を楽しんでいた。
 新鮮な山の幸をふんだんに使った食事に舌鼓を打ちながら盃を傾ければ自然と会話は弾み、時間すら忘れるもので。暫くすると、お互いしたたかに酔いが回ってきた。
 ──ここしかない、とカブは思った。
「アオキくんは、恋人や好きな人はいないのかい?」
 酒の勢いに任せてカブは訊ねた。常であれば決してほうれはしない話題である。
「……唐突ですね」
「ははは!すまない、不躾だったかな!」
 なんでもないを装って一笑するが、大真面目だった。心の臓は大きく波打っている。赤ら顔が酒のせいだけではないと、アオキには気づかれていないだろう。
「最近、こうやって旅行にも誘ってくれるけれど、ぼくとばかり過ごしていて良いのかなと思って」
 それだけではなかった。アオキは時折、思いもしない程に距離を詰めてくる。その方法は言葉であり、行動であり。平凡を謳う割にその言動は度々カブを驚かせるのだ。本当に、あらゆる意味で。
 だからカブは彼の気持ちを秘かに探りたくて、そんな柄ではない問いを投げた。心の何処かで期待をしながら。
「カブさんは、お嫌でしたか」
「いいや、嬉しいとも!けど、そういった相手がいたら妬かせてしまうだろうから、一応訊ねてみただけだよ。言いたくなければ構わないからね」
「そうですか」
 カブの問い掛けを受けてアオキは虚ろな眼でじっと盃の酒を見つめた。この男の表情は変化に乏しく、一見すると何を考えているのかわからない。しかし彼がこうなる時は決まって己の思考に耽っているのだと、カブは度重なる付き合いによって理解していた。
「……自分がカブさんを誘うのは」
 長考を終え、ポツポツとアオキが話しだす。
「貴方と食べる飯が一番美味いからです」
「っ、」
 動揺が指先に現れた。盃を持つ手がびくりと震え、微かに酒がこぼれる。
 飾らない真っ直ぐな言葉だった。アオキはいつだってシンプルだ。思ったことがそのまま口をつく。そしてシンプル過ぎるが故に、時折愛の告白めいた言葉を平然とのたまう。人によっては単純な好意と受け取れるのかもしれないが、色恋に慣れないカブにとってはたまったものではなく、つい心の柔らかな部分が反応する。アオキはいつも、こうしてカブの心をかき乱していた。
 けれど、肝心な所が明らかになっていない。知りたいのは触れられなかった色事の部分であったのだが、出した勇気に見合った答は返ってこなかった。結局、告げられた彼の言葉から想いを推し量ることは出来ず、心中でため息をつく。
「カブさんさえよければ、これからもプライベートを共にしたいと思っています」
 ──それはつまり、どっちの意味で?
 湧き出た追求をすんでのところで呑み込み、カブはごまかすように笑う。
「、ありがとう!ぼくも君と過ごすのは、とても楽しいよ!」
 知りたいと思ってはいる。だからと言って、これ以上踏み入る勇気はカブには出なかった。

 ──さて。一度呑み込んだはいいものの、上手く消化できるとは限らない。
 床に就いてからすっかり夜も更けたが、いつも寝つきが良いカブはこの日に限ってなかなか寝付けなかった。理由は明白であり、またそれとは別に予想外のことも起きていた。
(……これは、困るな)
 隣の布団で眠っていたはずのアオキが、同じ布団にいた。アオキはいつの間にか、横向きで眠るカブを背中から抱き締めるような格好で眠っていた。今までも旅先の宿で布団を並べて眠ったことがあったけれどアオキの寝相はここまで酷くなかった。たまたまなのか、それとも。よりにもよってどうしてこんな日に、とカブは困惑した。
「……アオキくん?」
 名を呼ぶが返事はなく、規則的な寝息しか聞こえてこない。なんとか肩越しに背中側を見やれば、アオキは珍しく目元のゆるんだ安らかな表情で熟睡していた。いつもは後ろにすき上げている黒とブルーグレーの髪が今は目元にかかっており、普段よりも若い印象を与える。
 カブは困ったように眉根を寄せた。布越しに届く背中の体温を意識すればするほどに、己の身体が徐々に熱っぽくなっていくのが自ずとわかる。若い時分には恋愛の一つや二つ経験したことあれど、ポケモンバトルに人生を捧げたカブには、この歳になってからはこうも人肌を感じる機会などなかった。ましてや、相手が彼とあっては。
 振り払おうと思えば振り払えたが、カブはそうしなかった。この温もりを自ら手放す気にはなれなかった。
「カブさん……」
「っ!」
 その時、寝ぼけた声がカブの頭上から聞こえてきた。突然名を呼ばれてカブの心臓は一際高鳴る。起きたのか、と身構えたが、ただの寝言であった。
 再び場は静まった。自らの鼓動の音が体中に響く。日頃のトレーニングでもこれほど心臓が痛くなったことはない。
(いつも、君はそうやって……人の気持ちを振り回してくるんだね)
 顔が熱く火照っている自覚はあった。アオキが想定外の言動を引き起こす度、カブの心は生娘のような反応を見せる。彼の言葉、その行動にいちいち喜び胸を弾ませる。

 ──愛されているのだと、錯覚する。

 違うと理性は否定した。思い上がるな、勘違いだと。けれども錯覚は止まらない。歳と共に築き上げた思慮分別の埒外らちがいで何度も何度も繰り返し幻視する。
 だが──仕方ないのだ。
 だって、その声色が妙に甘いから。見つめる彼の目がひどく優しいから。彼の全部があまりにも、好きだと伝えてくるから。
 勘違いも、するだろう。まるでらしくない・・・・・、子供っぽい言い訳がカブの頭を過った。
 アオキの真意はわからない。友としての友愛なのか、それとも情人としての愛欲なのか。アオキはただの一度も、明言したことはない。それでもカブは期待せずにはいられなかった。それほどまでに、アオキの態度はカブに特別な愛情を感じさせた。
「…………」
 カブは一瞬の逡巡の末、自分を抱き締める男の手をひっそりと握った。ポケモンバトルの際には懐からしっかとボールを掴み出す、自らのそれよりも大きい無骨な手。この手が何気なく触れる度、カブの熱はジリジリと高まる。
 ──君は、ぼくのことをどう思っているのだろうか。何度もためらい呑み込んできた問い掛けを、カブは心の中で始めた。
 愛してるのだろうか。恋人になりたいのだろうか。それとも、やはりただの友情のつもりなのだろうか。頭の中でぐるぐると、アオキの胸の内を想像する。
 アオキから聞かない限り、カブには本当のことはわからない。わからないが。
(……ぼくは、きっともう君のことを)
 火が着いていると気付いてしまった。もう恋に燃え盛ることはないと思っていた枯れ木の心に、そっと火種が生まれてしまっていた。熱源は、明らかだった。
 もしも彼の気持ちが友情であるのならば、この火は隠さなければならない。もし知られてしまったら、あっという間に彼との良好な関係が終わってしまいそうで。この歳になってもまだこれほど恐ろしいことがあるのかと、秘かにおののいた。
「……アオキ」
 いつもはしない呼び捨てで、小さく名を呟く。抱える愛しさがこぼれ落ちて乗ってしまったのか、その声は微かに震えていた。
 アオキが目覚めないことを確認し、カブは。そっと、想い人の指先に接吻を落とす。
 ──長い夜に、なりそうだった。



攻めの行動に心乱され悶々とする受けって良いよね。アオカブでもやってみたかったけどカブさんはこんなに女々しくない気がしなくもない。pixivでも色んなアオカブが投稿され始めているが己のキャラ解釈が最も違うように感じるね。


おまけ



 夜が明け、朝となった。
 アオキの意識が眠りから覚めようとした時、ある違和感に気付いた。腕の中に何かがある。自分の体温よりも高い、安らぐ温もり。まさぐってみれば布団ではない、がっしりとした誰かの肉体を指先に感じた。
「っ、あ、アオキくん!?」
 聞き慣れない上擦った声を耳にしてアオキはうっすら目を開けた。未だ焦点の定まらない寝ぼけまなこのピントを瞬きで調節し、その正体を確認しようとする。段々と確かになる姿。全容をとらえた時、アオキは一瞬固まった。
「……カブさん?」
「お、起きたんだねアオキくん。その……早速だけど、離してもらえるかい?」
 そこにいたのはカブだった。アオキは今、カブを拘束するかのように後ろから両腕で抱き留めている。目線を下げると、カブの乱れた浴衣から、ほのかに色づいたうなじが覗いた。
 腕の中の温もりがカブということは、先程触れたのは──そこまで考えたアオキはさっと顔を青ざめ、急いで両腕を離してカブに頭を下げた。
「……すみません、大変失礼をしました」
「だ、大丈夫だよ!寝ぼけていたんだろう?」
 カブは浴衣の襟を調えながら真っ赤な顔でへにゃりと笑う。
「まあ……いえ、だとしてもこんな無礼を働くとは……」
 いくらカブの心が広くともこの振る舞いは流石にやりすぎている。アオキは珍しく猛省した。挽回をせねばと固く決意した。
「お詫びとして、今回の宿代は自分が持ちますので……」
「そんなに気にしなくても……ぼくは大丈夫だから、ね?」
「しかし、それでは自分の気が済みません」
「う、ううん、そうか……」
 カブは困ったように唸る。
「とりあえず、話は後でどうかな?今は身支度をするとしよう」
 そう言うとカブはアオキの返事を待たずにそそくさと洗面所へ向かった。その後ろ姿がアオキには心なしか浮き足立っているように思えた。
 一人残されたアオキはその場でじっと考えを巡らせた。無意識とはいえ何故あんなことをしたのだろうか、と疑問に思いながらも、心の内は不思議と充足感に溢れていた。
「…………」
 自らの手をじっと見て、先程まであった温もりを思い出してみる。
 久方ぶりの快眠だった。いつもより格段に目覚めがよかった。それは、彼の体温が側にあったからだろうか。人肌など煩わしいと思っていたのに彼のものと考えるだけで途端に悪くなくなる。いや、むしろまたあの体温を感じながら眠ってみたい。そんな欲求が首をもたげてきた時、不意に昨夜投げ掛けられた問いを思い出した。
 ──アオキくんは、恋人や好きな人はいないのかい?
 いる、と言えば嘘になる。しかしいないと言うのも違う気がすると思い、あえてその問いには答えなかった。意中の相手がいるわけではないはずなのに妙に気にかかった。恋というものは諸説あれど多くの場合、誰かとずっと一緒にいたいとか、抱き締めたいとか、独占したいとか、愛して欲しいとか──いわゆる相手を求める強い感情を指す。アオキには、とんと縁がないものでしかなかったはずなのだが。最近は、心当たりがなくもない。
 その人と関わる時間が日常の楽しみになった。その人と摂る食事がいつもより美味くなった。その人との会話が楽しく、けれど話しておらずとも側にいるだけで安らぎを覚えるようになった。その人が誰かを気にかけている時、自分には関係がないはずなのに心の奥底がもやついた。それもこれも久方ぶりに出来た友人が素直に嬉しくてただ若い頃のように浮かれていただけだと思っていたが。
 はたと思い付く。
 もしかしたら、自分は。彼を。
「……まさか」
 反射的に呟いた。まだ確証が持てない。だんぜぬような曖昧な気持ちで語るには難があるたちの感情をこの場で容易く認めるのは気が引けた。しかし、彼の熱を名残惜しいと思ってしまったのは事実である。これはどう処理すれば良いのか。
(いや……らしくない・・・・・な)
 アオキは考えるのを止めた。わからないなら確かめれば良い。
 どうやって?簡単だ。
「やあ、待たせたね。アオキくんも顔を洗って……」
 丁度戻ってきたカブを見るやいなやアオキはいつもの調子で訊ねた。
「カブさん、ご迷惑でなければまた自分と一緒に眠ってくれますか?」
「えっ!?」
 ──わかるまで繰り返す。
 シンプルなトライアンドエラーこそ、難題に直面した際の正攻法である。



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