蘇る神話


蝉の声が五月蝿い。
その声がこの暑さを加速させている気がして、生い茂る木々を睨んだ。
もちろん生きる事に必死な蝉達が鳴き止む事はない。

憎憎しい程の青空の中、じりじりと肌を刺激する太陽が窓から見える。
陽光に侵食され始めた窓側から少し身体を離して、椅子を僅かにずらす。
日に当たらなくなった左腕が少し涼しくなった。

チャイムが鳴って、先生が授業の終わりを告げる。

身体をぐっと伸ばす。
どこかの骨が微かに音を響かせる。
首を軽く振って鞄に入っている菓子パンや惣菜パンを机に広げた。
まずどれから食べようかと思案していると、いつものように仁王がやって来て、空いた前の座席に腰掛ける。

振り向いて仁王は自分で持ってきた焼きそばパンの袋を開けた。

「今日もあっついのー。廊下の熱気ヤバいナリ。」

「あー…やっぱ?俺便所行きてぇけど、今混んでるよな。」

「なんじゃブンちゃん。個室希望か。」

「ちげぇよ、ばーか。」

中学から変わらない銀髪を揺らして仁王が笑う。
俺は思わず顔を顰めたが、仁王は意地悪そうな表情を崩さなかったので何も言わずに惣菜パンを咀嚼した。

日差しはキツイが教室には冷房が入っているので暑さに茹だる事もない。
二袋目を開けた時、閉め切ってある後ろの扉が開く音が聞こえた。
何人かの目がそちらを向く。
パンを咥えながら、俺と仁王も皆に習うように何となくそちらを見やると、見知った顔がそこから覗いていて、思わず咥えたパンを落としかける。

咄嗟に仁王がパンの先を掌で押し返してくれたので落とさずには済んだが、喉につっかえ噎せそうになる。
だがここで噎せると全て吐き出すという大惨事になりかねないので必死で口を動かし飲み込む。視界が滲んでいくのを感じながら何とか飲み込むと、大きく息を吐いた。
目尻に溜まった涙を軽く拭って顔を上げる。

「大丈夫っスか?」

少し眉を寄せた後輩が俺を見ている。
すぐ傍に来ていた事に驚いたが、頷いてペットボトルのキャップを捻った。
水で喉を潤していると、赤也は俺の目の前に座る仁王に目線を移す。
パンを頬張ろうとしていた仁王は、どうした?と首を傾げた。

半分ほど飲んだところでキャップを閉めて机に置く。
一緒に飯を食べに来たのかと思ったが見たところ赤也は手ぶらだ。

「相談があるんスけど…、」

俺と仁王は顔を見合わせ、固い顔の後輩を見上げた。
その眉は綺麗な八の字を描いていて、俺達は一も二も無く頷いた。



「は…?肝試し?」

「そうっス。あの山の雑木林ん所で。」

「まぁいかにも夏にありがちな事じゃがの。」

取り合えず赤也を近くの余った椅子に座らせて、昼食を取っていないと抜かしやがったから仕方なしに俺のメロンパンを渡した。
お礼を言った赤也は、随分と遅いスピードでそのメロンパンを齧っていく。
思わず女子かと突っ込みたくなってしまうような食べ方だったが、悩んでいる様子の後輩にそんな事を言えるほど無遠慮ではない。

苦慮する表情を見せながら、赤也は真剣な眼差しを向けてくる。
それが分かっていたから俺達もその目を真っ直ぐに見返した。

「俺は最初行かないっつったんスけど、友達がビビってんだろとか言ってくるから…」

「上手い事乗せられて行ったんじゃな。」

「お前もう高1なんだからしっかりしろよぃ…」

呆れた溜息が漏れる。
すると赤也は自分の不甲斐無さが分かっているのか反論はせず、目を泳がせ、やがて俯いた。
反省はしているようなので、まぁいいと続きを促した。
意気消沈して俺達の元までわざわざやってくるぐらいだ。しかも昼飯を食べる事さえ忘れて。何かよっぽど深刻な悩みでも出来てしまったのだろう。俺達に出来ることなら協力してやりたい。

もう一度真剣な目を投げかけると、彼は酷く困った顔でこう言った。

「肝試しは、山麓の長い階段上った所にある神社まで行って、その神社の裏の小さな鳥居を潜った先にある雑木林の中を行った所にあるお宮さんまで行くって言う…」

「神社ってあのデッカイ…?てか、神社の裏にある小さな鳥居が何だって?」

「だから、小さな鳥居潜った先にある雑木林の中の、」

「お宮さんまで行ったんじゃな。随分本格的な肝試しじゃのー」

紙パックのジュースをストローで飲みながら仁王が眉根を寄せた。
確かに。
山の麓に大きな神社があるのは有名だ。日中なら人も多くお参りに行くし、神主さんや巫女さんがいる。木々に囲まれているだけあって薄暗く、少し肌寒いそこは避暑にはぴったりだ。
しかしながらその裏に小さな鳥居があるというのは知らなかった。
大体神社の裏にわざわざ回る人がどれだけいるのだろうか。
その先にお宮さんがあるというのも初耳で、一度赤也の説明を聞いただけでは理解できなかった。

仁王と同じく不思議に思って赤也を見ると、食べ終わった空き袋を結びながら口を開く。

「友達が小さい頃お祖母ちゃんに聞いたらしいっス。そのお宮さんには悪戯に近付いちゃいけないよって。」

「はあ?近付くなって言われた所にわざわざ肝試し行ったのかよぃ?」

「阿呆やのー。昔の人が言うって事は何かしらあるっちゅー事じゃろ。そうそう行っていい場所な訳なか。」

「…俺も、そう思ったんスけど…少しなら、いいかなって思っちゃって…」

「ばーか。」

「わかめー」

「ちょッ…髪型今関係ないっしょ!!?」

俺が馬鹿と言った事で更に項垂れた赤也は仁王のワカメ発言に、頷きそうになって慌てて反論した。しかしキレはしないところから相当反省はしているようだ。
これ以上責める必要も無いかと、俺は四つ目の袋を片付けながらペットボトルに手を伸ばす。
不貞腐れた様子の後輩に、元々彼が此処にやってきた理由を目で促す。
すると不安げな眼が俺達を映す。
躊躇うように口を動かす彼をじっと待つ。ここで急かしてしまえばきっと自分のタイミングを見失い、思うように口には出来ないだろう。

やがて、意を決した彼が声を発した。

「そのお宮さん、そんなに大きくはなかったんですよね。んで、やっぱちょっと不気味な雰囲気ってか、こう、迫力みたいなのがあって、あぁやっぱ来ない方がよかったなって改めて思ったんスけど…」

「思って、なんだよぃ?」

至極言いづらそうにしている後輩を見据える。
一層顔色が悪くなっているのは気のせいじゃない。
軽く仁王に視線を向けると彼も眉を寄せて後輩を捉えていた。

俯き、大きく深呼吸をした赤也はガバリと顔を上げ、真っ青な顔で言い放った。


「壊しちゃったんスよ!!そこにあった、ちょっちょこーっと、こう、古くなってた灯籠!!」


「は、はぁぁぁぁあああああああっ!!!?」

「お、おまっそれマジで言っとるんかっ!?」

「大マジっすよ!!とっととと、友達がこれ壊れそうだよなーみた、みたいな感じで触ろうとして、やめろよって言ったのに聞かなくて!!触った瞬間ボキッガタガタッて!!!」

身振り手振りで説明してくる赤也に頭痛がする。
思わず上げてしまった大声で何事かとクラス中の視線が突き刺さるが正直どうでもいい。
今はそれよりも、
思っていたよりも緊急事態の後輩の話を聞かなければ。
横に視線を投げると仁王も同じく米神を押さえ、いかにもそれはマズイだろという様子を見せている。

呆れて物も言えなくなってしまった俺達を尻目に、まだ続きがあるとばかりに顔色の悪い赤也は早口に捲くし立てた。

「そんで、そのッ壊しちゃった奴、一週間休んでんスよ!!」

「…は?一週間?」

「肝試し行った次の日から来てなくて、気になって家に行ってみたら、なんか…高熱らしいんですけど、病院でも原因が分からないって言われたらしくて、そんで…今日は大学病院に検査入院するって…」

歯を食いしばる赤也に言葉が出ない。
肝試しの次の日と聞けば誰だってそれが原因ではないかと思うだろう。
しかも体調不良の原因も不明ときた。
いよいよこれは不可解な現象だと疑ってかかるべきかもしれない。

俺が背中に伝う冷や汗を誤魔化せずに、自分の心音を耳元で聞いているとそれまで黙っていた仁王が口を開いた。

「…まだ、肝試しが原因って決まったわけじゃないじゃろ?たまたま時期が被っただけかもしらんし…」

確かに、仁王の言う通り、それが原因だという決定打には欠ける。
だが不安は一掃できない。
思い込みならいいと、仁王の言葉を引き継いで赤也に励ましをかけようとしたが、それは当の後輩に遮られた。

「そいつと…もう1人、肝試しで灯籠に触ってた奴が一緒に休んでるんスよ…」

俺達は目を見張り、押し黙った。
これは所謂確定だ。
気休めの励ましも意味を成さなくなったしまった。
いくら純粋な赤也と言えど、肝試しに行き悪ふざけをした2人が同時期に休んでいるのが偶然だと捉えることは出来ないだろう。

ぐっと拳を握る赤也にいよいよ何も言えなくなる。
何度も仁王と視線を交わすが、言葉は何も思いつかない。
何故なら、俺達にはソレを解決する術を持っていないからだ。
もし彼らに罰が当たったのだとしたら、どうすればいいかなど分からない。

分からないから、赤也は俺達に相談に来たのだろう。
だが、それは俺達にだって分からない。

沈黙が降り積もる。
クラスの喧騒を遠くに聞いていると、呻くように赤也が言葉を吐いた。

「も、もし…呪い、とかだったら、…あいつ等どうなるんスかね…?」

今にも泣き出しそうな目が俺達を交互に映す。
息が詰まる。
だって、誰がそれに応えられるというのか。
きっと赤也は求めている。
俺達からの大丈夫、という一言を。考えすぎだと一蹴して欲しいのだろう。
でも、それは出来ない。
何故なら大して長い時間を生きていない俺達にだって分かる。
小さい頃から教えられてきた事。

悪い事をすれば、罰が当たる。

それをまさに目の当たりにしたような状況で、一体誰が容易く否定の言葉を吐けるというのだろうか。

何も言わない俺達を赤也が大きな瞳で見つめてくる。
逸らしたいけれど、ここで逸らしたら誰がそれを受け止めるのだろう。
涙で潤む瞳をただひたすらに見返していると、そこに第三者の声が聞こえた。

「神は人を呪いはしない。…祟るんだ。」

突然聞こえたそれに3人が振り向いた。
そこにはノートを片手に佇む柳がいた。

ぐっと歯を食いしばる赤也を軽く見た柳はそっと息を吐いた。

「参謀、祟るって、どう言う事じゃ。」

真剣な眼に射抜かれ居心地悪そうに萎縮する事もなく、柳は薄い唇を開いた。
そこに感情は窺えないが、あえて押し殺しているのかもしれない。

「そのままだ。神は呪わない。その代わり、祟る。それこそ末代まで。悪霊よりも神の怒りの方が凄まじく、しつこいと聞く。…尤も、そうそう祟られる事などない筈だが。」

薄く開かれた柳の眼が赤也を見据える。
声を詰まらせた赤也は、目線を落とす。

一体いつから聞いていたのか、そう思って思考の読めない目を見ると、柳は開いていたノートを閉じ、すまないと呟いた。
それは立ち聞きしていた、と言う事に対する謝罪だろうか。
あまりにも深刻そうな顔をして赤也がお前達の教室に向かうものだから気になってしまったと続けた柳に、頷くだけで、特に言葉を返しはしなかった。

きっと、俺らだって逆の立場ならそうしてしまうだろうし、今回の場合は赤也を心配しての事だ。その証拠に赤也は咎める視線を向けはしなった。

再び声を失うその場に、震える声が響いた。

「か、神様って、どうやったら許してくれるんスか…ッた、祟るって、俺っどうすれば…ッ」

「落ち着け赤也。」

小さく震える肩に宥めるように手が置かれる。
息を吐いた赤也が乱暴に腕で目元を拭う。
陽光に反射して光る雫を見えない振りをして、俺達は視線を下げた。
何を、すれば許されるのか。
正直分からない。
そもそも許されるのかさえ謎である。
俺達はそういった専門家でもなんでもないのだ。


中学三年生の、未知に触れたあの日を思い出す。

そっと左手の甲に視線を落とす。
そこには何も無い。
そう、何も無い。

あの時の唇が触れた感触など、一ヶ月もすれば忘れてしまって恥ずかしさも消えた。
でも彼女の記憶と言葉は消えていない。



―――もし君が我が名を呼んだなら、私は何処へでも馳せ参じよう。―――



「どんな危険からも……君を救うと誓おう…」

「丸井?」

呟けば柳が不思議そうに声をかけてくる。
俺はじっと手の甲を見つめたまま口を開いた。
一つ閃きが。

「なぁ…そのお宮さん、行ってみねぇか。」

「…え、」

「何言っとるんじゃ、ブンちゃん。」

「丸井それは止めた方がいい。危険だ。それに止めたとはいえ赤也は灯籠を壊してしまった時に傍にいる。もしかしたら怒りが赤也にも向くかもしれない。」

困惑と驚愕
それらが伝わってくる。
分かってる。
危ないよな、俺だってそれくらいわかってる。
分かってるけど、

俺は目線を上げて赤也を見た。
不思議そうな目。
赤らんだその瞳はまだ濡れている。

「赤也は友達、助けたいだろ?」

「…はい。」

ゆっくり頷いた赤也は、俺が何を言おうとしているのか大方察しているのかもしれない。
その目は強い意志を湛え、揺らぎない。
握り締められた拳と決意を見据え、俺は口角を上げた。

なら俺は先輩としてやれることをしてやろう。

「じゃあ神様に直接謝って許してもらうしかねぇだろぃ!!」

「はいっス!!!」

席から立ち上がり拳を握れば、それに呼応した赤也も笑顔で立ち上がり拳を握る。
神様とか正直すっげぇ怖ぇけど、何とかなる気がしたんだ。

左手の甲を見ていると、そう思う。

恐怖に焼かれて行きたくないと考えてしまうと、手の甲が熱を持つようにチリチリと反応する。
痛みの無いそれは、大丈夫だといっているようにも、励ましているようにも思える。

まるで俺を後押しするようなそれに、何となく、でも絶対的な自信が沸き起こるんだ。
きっと大丈夫。
そんでもって、もしどうしようもなくなったら、きっときっと、
彼女が助けてくれる。

だから、大丈夫。


そう熱弁したら、赤也は嬉しそうに大きく頷いた。
柳は困ったように苦笑して、でもそうなる確率は高いなと呟いた。
仁王は呆れたように声を零し、それでもその目は笑っていた。

もうこうなったらテニス部全員巻き込んじまおうぜ。

そういったら3人頷いて。
ぼろぼろ泣き始めた赤也を慰めるのに残りの昼放課を全て費やした。
始終ありがとうございますっと大声で泣くから、周りの視線が痛かった。



俺っ…俺の事なのにッこ、こんなに丸井先輩とかが真剣に聞いてくれるとか思ってなくてっ
おい、お前今なんつった。
絶対仁王先輩とかっ馬鹿にして、くると思っ思っててッ
…おまん、何でB組来たんじゃ。
だって!F組とかA組とかッ事情も聞かずに肝試しに参加したことを怒られるに決まってるっす!!だったったらまだ馬鹿にされた方がマシだって、おれ思って!なのにこんなに真剣になってくれるとか…ッ!い、いだだだだッ痛っ痛いっス!!何するんスか!!

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