氷華の裂く頃。
「やぁ、久しぶりだねえりなちゃん。息災かい?」
「…あんた…っ」
憎悪に滲む眼光で睨み付けられ小さく笑った。
蹲る彼女の体には無数の痣。
それでも理紗ちゃんにやっと追い付いたくらいだと思うけどね。
壁に寄りかかりながら彼女を見下げていたら、えりなは地を這う様な低い声で言った。
「あんたでしょ…」
「ん?」
「とぼけないでよ…全部…全部お前がやったんだろッ!!!」
唾を飛ばして顔を真っ赤にしながら叫ぶ彼女は、まさに敗者と呼ばれるに相応しい姿で笑いが込み上げた。
理紗ちゃんを苛めていた時の、あの優位に立つ者の余裕が、今の彼女には見られなかった。
「何をやったって?」
「お前が来てから全部おかしくなったんだよ…ッ!!なんで…何で私がこんな目に…」
痛いと言って腕を抑える彼女の双眸から涙が零れる。
私はそれに首を傾げた。
「君は面白いね。」
「は……?」
「因果応報という言葉を知らないのかな。」
「何言って…!!」
「それが自分に跳ね返ったとは思わないのか。」
「…っうるさい!!こんなの因果応報な訳ないじゃん!!アイツがさっさと辞めないから…ッそれにあいつ苛めたのは私じゃない!!」
頬を濡らしながら泣き叫ぶえりなは人間の感情というものを剥き出しにした醜い姿そのもので、私は小さく笑った。
こんなに歯向かう奴もなかなかいない。
大体の奴らは泣きついて許しを請うか、嘆いて学校を辞めるかなのに。
滅多にお目にかかれない愚か者の姿に私の胸は高鳴った。
私は髪を無造作に掻きあげて、未だに喚いているえりなを見下ろした。
「本当面白いなぁ…。自分を省みれない馬鹿って。」
「な、なによソレ…!!」
「まぁでもそろそろ気付くべきだね。理紗ちゃんにやったことまんま返ってきてるだけだと。」
「私は…アイツのクラスまでに手は出してない!!」
あぁ、そっか。
こいつクラスでも苛められてたっけ。
まぁもうそれもどうでもいい。クラスの連中も攻撃しても言い訳を連ねる彼女に呆れたのか無視するばかりで相手にしていない。
その代わりテニス部からの物理的攻撃は続いているようだが。
さらにはテニス部も辞めさせてもらえないらしい。
それは当然だ。
彼らの理紗ちゃんに対する免罪符がそう簡単に離れては困るのだから。
えりなは担任にも辞めたいと訴えているようだが、それが通らない。
当たり前だ。
跡部財閥と我が家の圧力が掛かっているのだから。
私は鼻で嗤って、愚者を見下ろした。
「喚く馬鹿は嫌いじゃないけど…生憎と自分を省みない馬鹿は好きじゃないんだ。」
目を見開いて固まる彼女に、私は喉の奥で嗤った。
ほら、やっぱり優位者が地に堕ちる時ほど面白いものはない。
「悔しいなら…ほら、やりかえしてみろよ。」
「…許さない…!!お前なんかッ…殺してやるッ!!!」
殴りかかろうと鬼の様な形相で飛び掛かってくる彼女を身をズラして避ける。
冷たい廊下に倒れ込んだえりなはそれでも私を睨みつけた。
自分の否を一切認めない馬鹿も、なかなか興味深い。
なんて考えていたらドンっと勢いよく壁に叩きつけられる。
顔を歪めた彼女の顔は、もはや人間とは思えない。
でもその感情がまざまざと浮き出た様こそ、人間らしいけれど。
「私の日常返してよッ!!!!」
悲痛な叫びが誰もいない廊下に響くが、これが彼女の自業自得なのだから滑稽だ。
ただ無感情にえりなを見ていたら彼女が右手を大きく振りかぶった。
乾いた音が木霊する。
それと同時にシャッター音も。
ハッとした様子のえりなが階段を見上げた。
そこにはケータイを構えてこちらを窺う影。
ケータイをずらして男は笑った。
「いい感じだったぜ。マジ最高。」
「だ、だれアンタ…な、なんでっ」
困惑するえりなの手を振り払う。
逆らわずに離れた彼女は意味が分からないとばかりに目を見開いていた。
上履きを鳴らしながら降りてきた男は、ニヤニヤと楽しそうに笑うばかり。
「あーぁ。あんた馬鹿だな。」
「は…?」
「大人しく私が悪かったです。って麗華に泣きつけば日常に戻れたのに。」
「…なによ…それ…どういう事!!?」
「だーから。お前が反省してれば、麗華が助けてやったって事だっつの。なぁ麗華?」
笑いながら男が肩に手を回してくる。
その手を引き剥がしたとしても、また腕が回ってくる事は分かっているから黙っていた。
「…いちいち抱き着いてこないでくれる。」
「つめてぇー休み明けで早速手伝ってやってんのに、怜ちゃん泣いちゃうよ?」
「黙れ。停学喰らってたくせに調子乗んな。」
燃えるような赤い髪を揺らしながら、怜はケータイを翳した。
そこにはばっちり平手で殴られている私。
「…うまいじゃん。」
「でっしょ〜我ながらシャッターチャンス完璧じゃね?」
「…ちょっと、ねぇ。」
「あ?」
えりなの問いかけに怜は眉根を寄せて顔を向ける。
彼女はそれを気にする様子もなく私を見つめていた。
「謝れば…もう苛められなくて済むの…?」
「…はぁ?お前何聞いたらそうなるわけ?お前が反省してたらっつっただろうが。」
怜の不機嫌一色の声を気にするでもなく、えりなは私に縋りついた。
希望を目に映しながら、彼女は必死に請う。
まるで自分が被害者であり、絶対的な弱者であるかのように。
「理紗を苛めたことは反省するから、ごめんなさい。だから、」
「何この女。頭沸いてんの?」
「…、」
制服を握る彼女の手を弾き飛ばす。
呆然とするえりなを見下ろして、私は顔を歪めた。
なんて馬鹿なんだろう。
吐き違えるなよ愚か者。お前は弱者ではなく、地に墜ちた加害者だ。
「反省してたら、って言ったでしょう?」
「だ、だから!反省するって、」
「するじゃねぇよ。」
「反省できない奴を助ける気なんてないんだ。残念だったね?」
「な、によ、それ!!元はと言えばあんたがクラスやテニス部の人たちに変な事吹き込むから…!!」
「じゃあ君がテニス部に吹聴して回った嘘は許されるんだね。滑稽だ。」
そう言い捨てて廊下を歩いて行く。
怜は愕然とするえりなを笑ってから、後ろを着いてきた。
「で?この画像どうするよ。」
「…とりあえず、」
職員室のパソコンに一斉送信しとこうか。
己が愚を知らぬは愚の骨頂。
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