進む秒針、戻る長針


溜息が、漏れてしまった。
生徒会室から見えるグラウンド。
快適に整備されているそこではボールを打ち合う音が響いている。
多くの部員達と一線を画するように練習をしている正レギュラーの面々。

そしてその間を忙しく動き回っている理紗。

練習している彼らと同じように汗をかいている彼女を気遣う素振りを見せる奴はいない。

一ヶ月前なら仲睦まじい姿が容易く見られたのに。

また、溜息が漏れる。
いくら俺が言ったところで根本的な解決にはならないのだろう。
その証拠に理紗へのレギュラーの嫌がらせは絶えていない。

理紗は何も言ってくれないが。
影にあるベンチにのうのうと座るえりなに苛立ちが沸く。

何故努力もしないアイツがそこにいるのか、理解ができない。

だがきっと、アイツを辞めさせても理沙は喜ばないだろう。
そしてレギュラーの態度も悪化するに違いない。

それではダメなのだ。

窓に背を預けながら空を見上げた。
どうにかならないか、
いくら考えてもいい答えは浮かばないまま時間が過ぎる。


眉間に皺が寄るのが自分でも理解できた時、控えめなノックが4回、生徒会室に響いた。
俺以外誰もいない部屋。
当然入室の許可を出すのは自分しかいない。

溜息を押し潰して会長の席に着く。
そして口を開いた。

「入れ。…麗華。」

返答の代わりに扉がゆっくりと開く。
ぱたんと後ろでに扉を閉めたソイツは、その唇を弧に歪めた。

「よく分かったね。私だって。」

「欧州式のノックをして生徒会室に入ってくる奴なんてお前以外いねぇだろ。」

「あぁ、なるほどね。」

薄く笑いながら女生徒は断りもなく会長の机に腰掛けた。
足を組んで堂々と座るコイツは悪びれる様子もない。

その背に「ソファーに座れ。」と声を掛けたとしても、素直に分かったと応える奴ではないから何も言わない。
その背にざんばらに広がる黒髪を見上げていると、凛とした抑揚のない声が届いた。

「テニス部、随分面白いことになってるね。」

心臓が跳ねた。
何の事だ、とシラを切れる相手ではないと理解している。
だから俺は間を置いてから麗華に尋ねた。

「どうして知ってる。」

ふふ、と不気味な笑いが響いた。
黙って返答を待っていると彼女は楽しそうに応えた。

「景吾は助けたいと思わないの?」

「…何?」

「テニス部の為にと必死な彼女を見捨てるの?」

「…っ」

「君に何も言わない彼女は一体どれだけの傷を体に残しているんだろうね。あぁ…心にもか。」

「!!」

目を見張った。
麗華はどこまで知っているのか。
まさか俺が知りえないところまで知っているのか。

だとしたら何故。
聞きたいことが多すぎてから回る。
一度息を吐ききってから、声を出す。

自分でも覇気のない声だと分かった。

「何か知ってるんだな。」

「さぁ、どうかな。」

「言え。」

「何を?」

「分かってんだろ…!」

怒気を滲ませても目の前にある背は楽しそうに揺れるばかり。
クスクスという笑い声が耳について顔をしかめた。

「なに笑ってんだ。そんなに楽しいか、人が苛められている様は。」

「ふ、誰もそんなこと言ってないじゃない。」

「なら、」

「滑稽だね。景吾が無様に底辺でさ迷う姿は。」

振り向いた麗華の眼光が妖しく光った。
至極楽しげなその瞳に顔が歪む。

麗華はいわゆる幼馴染だ。
お家柄、地位、名声、学力
どれを取っても俺に遅れをとらない。


だが一つ、彼女には裏の顔がある。
表向きは一般を好む一風変わった令嬢。


裏は人が感情で揺れ動く様を楽しげに見つめるサディスト。
人の感情に昔から興味のあった彼女は何を経由してその行動に至り、その人は何を思い、
またアクションを起こした時その感情はどう変化し、どう転ぶのか、
その実験に度々他人を巻き込む。

愛想のいい彼女を誰もが慕うが、俺だけはその本性を見破っていた。
だからこそ彼女はその本性を俺に隠すこともない。

妖しげに笑う麗華はこちらを見つめて目を細めた。

「いいね、その顔。久しぶりに見たよ。理由は何かな。焦燥、呆れ、…諦め、かな。景吾みたいなタイプは周りに中々いないからね。面白いな。」

「…俺様をお前の実験とやらに巻き込むのは止めろ。」

「それは残念。」

少しも残念とは思っていないようなその表情を見てから口を開く。

「それから理紗もだ。」

「……。」

彼女の表情が変わる。
まるで感情を削ぎ落としたようなその顔は恐ろしい。
ロボットのような人形のような表情は、小さい頃から俺に恐怖を抱かせた。

だが今回ばかりは黙っていられない。
理紗が彼女の玩具にされてしまえば、今度こそ精神が病んでしまうかもしれない。

何も出来なくとも、それぐらいは。

眼力を強めると、麗華は口端を吊り上げた。

「私が関わるのは理紗ちゃんの意思だ。」

「…何、?」

「助けてあげると、約束したからね。」

「お、まえ…っ!理紗に何する気だ!」

「何もしないさ。」

滑るように彼女は机から降りた。
振り向かずに、彼女は言を紡いだ。

「私は本当に助けてあげるだけだよ。何を言って、どう行動すればテニス部レギュラーが理紗ちゃんを仲間として再び迎え入れるのか…それが見たいからね。」

うまくいくかなーなんて呟いている麗華に俺は戸惑った。
今まで人の感情が露出する様が楽しいと言っていたコイツが、レギュラーの価値観が変わる様だけに理沙に協力するのだろうか。

疑いの眼差しを向け続ける俺に、
彼女は「嘘じゃない。」そう呟いた。

麗華は嘘を吐かない。

それだけは確か。

なら本当に理紗に協力して助けてくれるのか。
それならば俺にはどうにも出来なかった事を、あるいはコイツなら。
感情の起伏を読むことが得意な麗華なら。

「…理紗は、傷つかないのか。」

「もちろん。」

「レギュラーもか。」

「感情の変換が上手くいけば大丈夫だろうね。」

「…お前の、本当の目的はなんだ。」

振り向いたソイツは、ただ笑っていた。
純粋な子供のようで
残酷な悪魔のよう。

赤い唇が弧を描いたのを見届けた瞬間、

麗華は生徒会室を出て行った。


彼女は何か隠している。
おそらく理紗を助ける過程でのレギュラーの感情を見たいというのは建前だ。
なら、本当の目的なのか。

沈む夕日の中、必死で走る理紗がグラウンドにいる。
影に座る、えりな。


麗華なら、


この現状を打破できる。

俺は麗華の行動を黙認すると決めた。



軋んだ秒針を戻して欲しかった。

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