疑念の種を芽吹かせる


「え…」

何と言っていいか分からず押し黙る。
だって彼女は昨日から知っているはずだ。

テニス部のマネージャーは二人だと。
そんなことを口に出せるわけもなく困惑していると、忍足が眼鏡の位置を戻しながら小さく笑っていた。

「何言ってんねや。えりなちゃんのが実質ちゃんと働いてくれてんねやで。」

「そうそう。どっかの誰かのイジメにも負けねぇでな。」

「ほんっといい子だC〜!麗華ちゃんも気に入るよ!」

ニコニコと笑った慈郎が九条さんの腕に抱きつく。
反対側の腕には向日。

大きく溜息を吐いてしまっている跡部の眉間には幾本も皺が寄っていて申し訳なくなる。

「へぇ…私見たことないなぁ。理紗ちゃん以外のマネージャーなんて。」

「…え?」

不思議そうに首を傾げている向日に、彼女は綺麗に微笑んだ。

「だっていつテニスコート見たって走り回ってるの理紗ちゃんだけじゃない。」

「……、」

しん、と沈黙が落ちた。
重い空気に居た堪れなくなる。

何が、したいの黄泉さん。

「そ、そんなことないぜ!」

「うん!えりなちゃんだっていつも応援してくれて、」

「応援?それだけ?」

「…っ」

慈郎が言葉に詰まった。
その顔から笑顔が薄れていく。
再び沈黙が流れそうになった時、忍足が声を出す。

「応援やって大事なマネージャーの仕事やろ?えりなちゃんはそれが上手やねんで。」

微笑む忍足に九条さんは、そう。とだけ簡潔に返していた。
何故かその口元に湛えられていた笑みは昨日見た妖しいものだった。

「ほら!早く行こうぜ!長太郎や日吉はお前の事知らねぇんだから紹介しねぇと!」

「そうそう!おい、えりなー!」

わらわらと部室に正レギュラーが入っていく。私はきっとそこに居てはいけないだろうと思いタオルを洗いに行こうとした。
その時腕を取られる。見上げれば心配そうな顔と目があった。

「大丈夫だ。」

跡部の言葉は違和感だらけで。
でもその時はただ頷いた。



あれから一週間が経った。
あの日以来黄泉、九条さんは毎日午後の部活に顔を出すようになっていた。
それ故か、私にレギュラーが絡む事も減っていた。
もしかしたら九条さんが全く連絡を絶っていたのに、部活に顔を出したのはこの為かな。

確かにこれならあと半年なんとか乗り越えられるかも。
そう思っていたのもつかの間、
私は校舎裏というベタな所にえりなに呼び出されていた。



「ねぇ侑士。」

「ん?なんや。」

「理紗ちゃん知らない?」

きょろきょろと辺りを見渡す麗華に目を細める。

何故か唐突に部活に顔を出し始めた彼女。
今まではメールなどをしていたが部活に来ることなど皆無と言っていいほどなかったのに。

だって最後の大会じゃない。そしたら見たくなったの。

その答えに納得のいかない部分もあったが部内では誰も疑う事がなかった。
あの跡部でさえ。

でも“応援は私に任せな!”なんて元気に言い切った麗華に、あぁ彼女はいつだって気まぐれで、猫の様な人だったと思った。

そして彼女は何故かえりなちゃんより理紗の方を信頼しているようだ。

いくら部員達がえりなちゃんを苛めているんだと言っても、麗華は「その場面を見ていない」「いつも忙しくしている理紗ちゃんがそんな事する暇あるとは思えない」と信用していない。

その証拠に今も口から出てきたのは理紗の名前。
俺はラケットを肩に載せながら「さぁ、知らんな。」と応えた。

「そう…タオルがどこにあるか聞きたかったんだけどなぁ…」

「そんなんえりなちゃんに聞いたらえぇんちゃう?」

「え…でもあの子ドリンクの容器仕舞ってある場所も知らなかったよ?」

「…は?」

困ったように眉尻を下げる麗華##NAME2##に俺はそんな馬鹿なと呟いた。
だっていつも時間通りにドリンクを運んでくるのはえりなちゃんだ。
えりなちゃんが選手と話していて忙しい時だけは理紗。
そんなえりなちゃんが容器を仕舞っている場所も知らない…?

「いやだって昨日容器の場所聞いたらそんなの知らないから自分で探せって言われちゃって…私あの子に嫌われてんのかなー。」

悲しげに俯く麗華##NAME2##に俺は言葉に詰まる。
自分で探せ?ほんまにそんな事言うたんやろか。いや、でも麗華がそんな嘘を吐く必要があるか?
それに彼女が嘘嫌いなのはずっと前から知っている。

「…えりなちゃん、そないなこと言いよったんか。」

「あ、いや多分忙しかったんじゃない?そん時向日達と話してたからさ。一応ドリンクの時間だったから私が作っちゃおうかと思って声かけたんだけど…」

「…さよか。」

えりなが部員と話しているのは大抵大した事じゃない。彼女はテニスに関して詳しくないからだ。テニス関連の事は跡部と理紗がいつも話している。

…ふと、ここで疑念が沸き上がる。
いや、まさか、と否定したい自分と肯定する自分。

もしかして部内の事をやっているのは、えりなちゃんじゃなく、理紗…?

「なぁ麗華、俺も一緒に理紗探すわ。」

そう返した時、俯いていた麗華がほくそ笑むように口端を釣り上げた事など、俺は知る由もない。



「いい加減にしてくれませんか。」

「…なにが。」

「跡部部長だけにどうやって取り入ってるんですか?」

「べつに…っ!」

「ふざけんな。…さっさと辞めて下さいよ。レギュラーに好かれてないし苛められるなら、もう部活に居る意味ないと思いません?」

「…思わないよ。皆が部活を快適にする為なら。」

「悲劇のヒロイン気取り?でも残念。悲劇のヒロインは私なの。あんたは意地悪なお姉さん。」

「…、」

「最近来るようになった前マネのせいでレギュラーの皆さんと話す時間も減るし、アンタを気にする事もなくなってるし…マジありえない。」

「…!」

「なに、その顔。」

「べ、つに…」

「どうせザマーミロとか思ってんだろ!!」

「痛ッ…!」

「ふざけんなッ!やっと全員に取り入れそうなのに…!前マネに邪魔なんかさせない…ッ!!」

「ッ…う、!」

「お前から跡部部長も取ってやる…っ!!!」



「うわ…っアレ喧嘩!?早く止めないと…!ちょっと侑士聞いてる!?」

「…、」

「侑士?喧嘩してる理由知らないけど止めないとマズイって!」

「…せ、やな。」

「…ちょっと、顔色悪いよ?どうしたの?」

「い、いや…何でもないねん。」

アレは、何やろ。

麗華と一緒に理紗を捜して来て、やっと見つけたと思ったら何故かえりなちゃんに殴られている理紗。
意味が分からない。

えりなちゃんは理紗に苛められると泣き付いてきて、怖いと叫ぶ子なのに。
それなのに、
今のこの風景を見て誰がえりなちゃんを被害者だと思うだろう。

危害を加えているのはえりなちゃんで、
一方的にやられているのは

理紗。

何かの間違いじゃないのか。
えりなちゃんがいつもの仕返しにやっとるんちゃうやろか。
あ、そうか。それやな。
きっと、そうや。

背筋に流れた嫌な汗を気にせず、自分に言い聞かせる。
その間にえりなちゃんは座り込む理紗を放ってテニスコートに戻って行った。
いつの間にか理紗の元まで走って行っていた麗華を追いかけた。

「大丈夫?」

「平気、です。」

「そう、よかった。」

「喧嘩か何か?」

「…、」

「そんなんいつも自分がやっとる事の仕返しされただけやろ。」

俺がそう言えば俯いたまま押し黙る理紗。
ほら何も言わん。
せや、仕返しや。
えりなちゃんは普段そんな事せぇへん。

「えと…痣になったらいけないから早く冷やさないと…」

「ほっといたらえぇやん。」

「でも、腕、」

「えぇからはよ行くで。跡部に怒られてまうやん。」

麗華の腕を取り無理矢理立たせて、テニスコートまで早足で歩く。
後ろを振り向かなかった俺は、理紗に片目を瞑って微笑む麗華を知らない。



「い、たた…」

えりなに殴られた腕を抑える。
今日はまた一段と強かった。当然か。私に対してだけでなく九条さんへの分もあったようだから。

溜息を零してケータイを開く。
そこには登録されたばかりの黄泉のメアド。


from.黄泉
sub.

―――――――――

多分えりなが私に苛立って理紗ちゃんに何か嫌がらせをする頃だと思う。
悪いんだけど、わざと誘いに乗ってくれないかな。
悪いようにはしないから。



ぱたん、とケータイを閉める。
本当に、大丈夫かな。だって忍足は私を少しも心配していなかったし、逆に私に自業自得だと言い放った。

あんなのどこからどう見たって私が苛められているのに。
景色が滲んで思わず蹲った。

「苦しい…」

呟いた時、ケータイが鳴った。
緩慢な動作でメールボックスを開いて、そこに書かれた文に、私はどうしようもなく泣きたくなった。


from.黄泉
sub.

―――――――――

ありがとう。
ごめんね、辛い事を頼んで。

でも成功したからね。
無駄にしないよ。

絶対助けるから、
あと少しだけ待っていてね。



ケータイを握りしめて、私は静かに泣いた。



細すぎる光を抱きしめた。

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