蔓延する疑惑


「ねぇ、理紗ちゃんとえりなちゃんって仲悪いの?」

休憩中、唐突に麗華がそう尋ねてきた。
俺と長太郎は目を合わせ、向日は麗華に飛びつくようにして言った。

「あったりまえじゃん!苛められてんだから!」

「そっかー…やっぱそうだよね。あれ一方的だったし…」

顔を歪めてそういう麗華に、俺らはようやくえりなが苛められているということを認めてくれる気になったのだと思った。

「見たんですか?その、苛められているところを。」

「見たよ。理紗ちゃん探してたんだけど偶然。喧嘩かなって思ったんだけど理紗ちゃんは手を出してなくて不自然だなって思ってて。」

「…は?」

呆然と聞き返す。
理紗は手を出していない?そんな訳がない。

「お前、何言ってんだよ。苛められてんのはえりなの方だろうが。」

「え!?いやいや、えりなちゃんが理紗ちゃんを殴ってたよ?」

「どうせ麗華の見間違いだろ〜?」

「失礼だな、がっくん。マジだって。」

「…。」

真剣な麗華に俺達三人は口を閉ざした。
理紗が被害者?そんな馬鹿な。
何度考えてもありえない。

「んなわけねぇな。やっぱ見間違いだろ。」

「見間違いじゃないって!だったら侑士に聞いてみなよ!あ、侑士〜!」

そう言って麗華は休憩中の忍足の元まで行って腕を引いてくる。
タオルで汗を拭いながら、忍足は苦笑していた。

「なんやねんな。今日の麗華はえらい積極的やな。」

「黙れ。そんなことより、昨日の話してあげてよ。」

「昨日の話…?」

「そうそう。その、あれよ。…えりなちゃんと理紗ちゃんの。」

麗華が躊躇いがちにそう言うと、忍足は何故か一瞬眉を顰めた。
それに俺は、俺たちは少なからず嫌な予感がした。

「理紗ちゃんって、えりなちゃんに苛められてるんだよね…?」

「…ちゃうで。いつも苛められてんのはえりなちゃんの方や。」

「え、じゃあ何で昨日理紗ちゃん殴られてたの?」

「だーから、ソレお前の見間違いだって!そうだろ、侑士?」

「いや…、」

見間違いちゃうで。殴られてたのは理紗やった。
そう無表情に言った忍足に俺らは目を見開いた。
俺達を見まわしてから、忍足は溜息を吐いた。

「俺はいつもの仕返しやって思ってんねんけどな。」

「…あ、なるほど。それなら納得がいきますね。」

長太郎が頷いている。
確かにそれなら、そう思って俺と向日も頷こうとしたが、ソレは出来なかった。

「え、そりゃないっしょ。」

麗華が不思議そうに、だがきっぱりと否定したからだ。

「だってさー考えてもみてよ。普段から苛められてる相手に一対一で仕返しとか怖くて出来ないって!しかも2つ年上でしょ?ムリムリ!」

彼女が連ねる言葉に何も言えない。
確かにその通りだ。

普段から苛められている人に一対一で仕返しなんて。
しかもえりなはいつも苛められたと俺らに泣き付いてくるのに。
元々仕返しが出来るほど強気な性格なら俺らに泣き付く必要がどこにある。

言い返せない俺ら3人に対し、忍足は無表情で呟いた。

「我慢の限界だったんちゃうん?」

「、そ、うだ!きっと今まで散々酷い事されたからだろ!」

向日が同調しているが、俺には出来そうもない。後ろにいる長太郎からも困惑の気配が伝わってきた。

「ふーん…酷い事って、例えば?」

「たくさんあるんだぜ!殴られたとか、蹴られたとか、水や粉かけられたとか、突き飛ばされたとか!!」

「最悪やったんは刺された事やな。掠り傷みたいやったけど。」

向日と忍足の言葉に麗華は顔をしかめていた。痛そう、それは酷いね。そう言った彼女は首を傾げて尋ねた。

「それで、皆は助けてあげないの?」

「…助ける、って?」

「え、だってそのやられてるの見てたんでしょ?」

「そ、れは…」

向日が言葉に詰まった。
当然だ。
だって俺らはえりなが苛められているのを直接見た事がない。

いつもえりなの事後申告で、その現場に居合わせた事など、


一度もない。


麗華の言葉でそれに気づいた俺は目を見開いた。
他の三人も同じようでハッとしたように顔を強張らせた。

「…いつも、俺らの目につかん所でやってるから、見たことないねや。」

「そうなんだ。いつも皆と一緒に居るえりなちゃんを見つからない所で苛めるなんて…理紗ちゃん酷いね…」

眉尻を下げる麗華に、何も言えなくなった。
何故か言いようのない不安感が胸に渡来する。
そんな事を知る由もない彼女はさらに首を傾げた。

「だから皆理紗ちゃんに対して冷たいんだね。」

「…おう。」

「じゃあ何で理紗ちゃんは部活辞めないんだろう?」

「…そんなん、男好きやからやろ。」

「え?レギュラーに嫌われちゃったら居辛いし辞めるんじゃないの?」

「…それは、」

「そういえば理紗ちゃんいつもコート走って頑張ってるよね。こないだ教室から見てた時は朝練前にネット張るの一人でやってたし。」

「は…」

それはいつもえりながやってる筈じゃ。
朝練に来た時にはもうすでにネットが張られていて、えりなにありがとうと声を掛けるとこれくらい当然ですよと笑っているのに。

ちょっと待て。
どういうことだ。

何が正しいのか分からない。

「麗華、お前なんか企んでるやろ。」

同じく眉根を寄せた忍足が麗華に言う。
すると彼女は否定せず、ただ苦笑した。

彼女は嘘を吐かない。


「だって皆えりなちゃんを庇ってるけど、教室からいつもテニスコートを見てた私からしたら理紗ちゃんの方が働いてるんだもん。だから理紗ちゃんが冷たくされてるの可哀想で。」

だから大会前に仲良くして欲しいな、と思って最近顔を出してます。
なんて言う麗華に言葉が詰まった。

忍足は何か言いたげにしていたが結局溜息を吐いただけで何も言わなかった。
長太郎も、向日も何も言わない。
言えなかった。

理紗を、俺らが苛めている事なんて。
そして、もしかしたら理紗は苛めていないかもしれないなんて事は。

自分達を守る事に必死になっていた俺たちは、仲良くしてほしいからという慈善的な理由でわざわざ顔を出してくれていた麗華に、何も言わなかった。




「ふふっ…え?あぁ、ごめん何でもないの。ただちょっと面白いぐらいに事が運んでて。」

「…え?そうそう、今回はテニス部。…うん、マネージャーは一年で辞めたけど。」

「そういえば最近の合同練習で氷帝のテニス部はどうだった?」

「そう…やっぱりえりなちゃんは使えなかったか。ま、そりゃそうだよね。テニス興味なさそうだし。」

「え?依頼?もう解決するよ。うん、二週間くらい。今回は時間かかったな。レギュラーって癖ある奴ばっかだから。」

「あぁ、うん。また近いうちに神奈川にも行くよ。結果?はは、もちろん。解決したら電話で教えてあげるよ。…うん、じゃあね。」

ピッ、と無機質な音が響いた。
俺の家に突然やってきた彼女は、妖しく笑っていて、表の顔など微塵も被ってはいなかった。

しばらく話していたケータイから耳を離し、出された紅茶を優雅に呑んだ麗華は貼り付けたような笑みで言った。

「あと3日で、解決するよ。」

「…そうか。」

「ねぇ景吾。そんなに心配しなくてもいいよ。」

ふふっと笑う彼女に底冷えする。
上品に手を口元に添えて彼女は笑った。

「さて…楽しみだねー…自分の化けの皮が剥がされた時の顔が。」

「…それが目的か。」

「まぁね。」

どうやら目的はえりなの化けの皮を剥がすことだけではないらしい。
その証拠に彼女の眼光は猛禽類のようにぎらぎらと光っていた。

くつくつと喉を震わせて笑う麗華に、恐怖はあった。
それでも理紗を救いだせるのはコイツだけだ。

なら、と。
俺は言葉を紅茶と共に流し込んだ。



きっとあの日の様に笑いあえる日を、理紗も俺も望んでいるから。

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